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□硝子の瞳、君との誓い
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深い森の中にあって、そこだけはまるで時が止まったように静かだった。
森の中、木々のトンネルを抜けた先に、急に開けた空間。そこに佇む白い墓標。
木々の隙間から差し込む光に照らされた墓標は、まるで来訪者の存在を歓迎しているようにも見えた。

その墓標を前に、1人の男が立っていた。
焦げ茶色の髪、やや長い前髪はオールバックにまとめられ、真紅の左目と偽物の右目。
森という空間において酷く異質なのは、その男の格好が暗い緑を基調にしたタキシード姿であることだろう。胸に大切なものを抱くように、花束を抱えている。

「ずいぶん待たせてしまったな。…待ってなどいない、なんて君は言うかもしれないが」

ゆっくりと、墓標に歩み寄る。言葉は穏やかだが何処か歯切れが悪く、表情も硬い。
それは、子供が親に怒られることを恐れつつも、自身の悪事について告白する様にも似ている。

やがて墓標の目の前まで歩みを進めれば、意を決したように深く息を吐き出して、その場に片膝をついた。花束を墓前に供え、恭しく両手を土につき頭を垂れる。

「……すまなかった。君がいなくなって、私はすぐにここを訪れるべきたったのだろう。だが、出来なかった。」

見る者も聞く者も、そこにはいない。しかし男は言葉を紡ぐ。ゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐに墓標に向けられた目は、そこに誰かがいるのが見えているかのようだ。
『ルシェル・エルンスト』。それが墓標に刻まれた名前だった。
1人そこに眠る、かつて男が愛した女性。

「あれこれ自分の中で理由をつけ、言い訳もした。だが……本当は、ただ私が弱かっただけなのだろう。君が私より先に旅立つことは必然であり、覚悟していたつもりだった。だのに、私は……私は、君を失ったことを認めたくなかった。ここに来てしまうことで、君がもうこの世にいないのだと思い知らされるのが怖かった。」

墓標から少し離れた場所、森の中には住む者がいなくなった小さな家が残されていた。
そこに暮らしていたのは、金の髪と緑の瞳を持った1人の女。
そして、母親似の緑の瞳と父親似の焦げ茶の髪をした、魔と人の血を引いた少女。


「スイにも、かわいそうなことをした。私は、父親になれなかった。父親として生きることよりも、君の死から顔を背けることを優先したのだよ。」

人と魔が、並んで暮らせる世のために。かつて男は、それを「理想」と呼んだ。
それは酷く漠然とした願い。
「理想」を追い求め、走り続けた。だが、「理想」は遠く、ふと後ろを振返れば愛した者たちも手の届かない存在になっていた。

悔恨。彼女が死んだと知った時、もっと出来ることがあったはずなのに。
いや、彼女が旅立つ前から、もっと出来ることがあったはずなのに。

軍人だから。自分には他にやらなければならないことがあるから。
今更、君に合わせる顔がないから。今更、あの子に父だと名乗れる訳がないから。

たくさんの言い訳をして、そうしてこの森を訪れなかった。
言い訳を重ね、男は自分に嘘をつき、そうしてまた次の言い訳を積み上げる。
それは、「彼女たち」と男の間に立つ壁となった。

彼女の死から何年も過ぎて、一度だけ「家」を訪れた。
埃の積もった家具や棚の中に眠ったままの食器たち、それは自分が良く知ったもの。
だが、そこにいたはずの者たちはいなかった。
女は亡くなり、1人残された少女もこの森から巣立っていた。
空っぽだった。静寂が、お前は来るのが遅すぎたのだと責めるかのようだった。
……彼女の墓標を訪ねることは、結局その時は出来なかった。
自分の失ったものの大きさに押し潰されてしまいそうだったから。そしてそれは、男が娘1人に背負わせてしまった悲しみの重さでもあった。その事実から、男は逃げた。


何のために戦っていたのか。その目的すらも見失い、それから生きてきた時間は、酷く空虚なものだった。

時は過ぎ季節は巡る。神様のちょっとした悪戯だったのかもしれない。
風の吹く街で過ごす最中、突如届けられたのは緑色の鳥の羽根が添えられた一通の手紙。
娘からの、手紙。
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