小説1

□心の在処2
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目が覚めた時、雨はもう上がっていた。



薄いカーテン越しに部屋に差し込む光は
早い朝特有の眩しく優しいもので、しのぶはその明るさに一度開けた瞼を再び軽く閉じた。

頭の下には、後藤の腕があった。
横を向いたしのぶの体を背中から抱くように腕が肩に回され、もう一方の腕は引き寄せるかの如く腰を抱いている。
腕から感じる体温と、僅かに残った汗の匂いが昨晩の出来事を喚起させ、しのぶは酷く居た堪れない思いに駆られた。
首筋に掛かる規則正しい後藤の寝息がそれに一層の拍車をかけ、瞼以外を動かす事が出来ない。
鼓動だけが意志に反して矢鱈と強く体に韻いた。

後藤の腕を外してしまう訳にも行かず、だからといって安心してもう一度眠りに落ちてしまえる程の精神の安寧も無い。
背中や肩や腰に感じる後藤の体温はしのぶを相変わらず酷く居た堪れない気持ちにさせた。


後藤が自分をどう思っているのかなど、疾うに知っていいた。
彼はそれを隠さない。
しかし、それを誇示もしなければ具体的な何か──行動に移す訳でもなかった。
ただ、見守っているような。
ただ、待っているような。
その後藤の視線を、しのぶは時折恐ろしく感じた。

『委ねてしまいそうだ』

そう感じてしまう事を、恐ろしく思った。


かつての傷はまだ癒えていない。
恐らく、それはこれから先も癒える事は無いだろう。
拓植からの手紙を今だ捨てられない自分が
、どうしてそう易々と後藤の想いを受け入れられるというのか。

それでも少しづつ埋まって行く物理的距離が、しのぶを一層困惑させた。
望んでいない訳ではない。
望んではいけないと思っているだけだ。
それなのに今、自分は、ここで一体何をしているのか。

裏腹に進行する現実と思考との狭間で、しのぶは自分自身の心の在処すら見失いかけていた。
何が本当の望みか。
自分は何を求め、一体何から赦されようとしているのか。

与えられるこの温もりに、甘えてはいけない。
この腕の中を少しでも居心地よく思ってしまうのならば尚更。


「──しのぶさん、起きてる?」


不意に、耳元に掛けられた言葉に体が強張った。
答えなければいけない。
言葉を発さなければならない。
このまま寝た振りをする事は出来ないのだ。
しのぶのその僅かの逡巡の間に、後ろから肩を抱く後藤の腕に力が籠った。


「──ねぇ、俺、気紛れじゃないよ。しのぶさん、解って……いるでしょ?」


解っていた。
解っているからこそ、こんなに居た堪れないのだ。
静かなその後藤の声に、しのぶは一層体を固くする。
後藤の想いが真摯なものであればあるだけ、その声に宿るものが真摯なものであるから尚の事、自らの在処を失念してしまいそうだ。


「──後藤さん……私……」


漸く発した声は、酷く掠れたものだった。





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