小説1

□【生きる、意味を】
1ページ/1ページ





「誕生日、おめでとう」




あの日、扉越しに聞こえたその声を今でもはっきりと思い出す事が出来る。

かつての自分と、加持が居たその時間。


あの時は(本当は今だって)未来の行く末を知らず、漠然とした不安感と刹那的な喜びが交錯する毎日を生きていた。

破壊的で非生産的で、向こう見ずな日々はそれでも僅かの希望を確かに孕んでいた。




少なくとも、今よりは生き続ける理由を必要としなかった。
そう思う。







【生きる、意味を】








玄関のチャイムが鳴った時、扉の外に居るのが加持だと云う確信があった。
きっと彼は扉に手を付いているに違いない。

私を閉じ込めた、あの時の様に。

その事が分かっていても。
その事が分かっているからこそ尚更、私は気の抜けた声で問う。
「どちらさま?」
と少し、間延びた声で。






その日、大学に姿を表さなかった加持に私は少々憤慨していた。
正しくは『相当に』憤慨していた。
誕生日を祝って貰いたかったのかと云われれると、それは良く分からない。
プレゼントを期待していた訳でもない、ディナーに招待されるなんてもっと期待していない。




ただ、景色の中に『居て欲しかった』




それを認めるのは、あまりにも癪に触る事だったけれど、その日の不機嫌の理由はきっとそれに尽きたのだ。

リツコに誘われて酒を飲んで帰宅した後も、足りない感覚はそのままだった。
自分でも驚く程に加持の存在を求めてしまっている事が、どうしようも無く腹立たしかった。


それでも、私は期待していた。
12時を回ってしまう前に電話が鳴る事を。
本当はそれよりももっと、玄関のチャイムが鳴る事を。
扉を、ノックする音を。



期待通り、チャイムは12時を回る少し前に鳴った。
期待していた筈のその音にびくりと身体を震わせて顔を上げる。
そして、それを悟られない様に気の抜けた声を出した。
「どちらさま?」と

この扉を開ければ、そこに加持がいる。
その事実は嬉しさと、不安と、焦燥と、溶合う事の無い不安の全てを孕んで私を動けなくさせた。

ただ、扉を開ければ良い。

たったそれだけの事だ。
それだけの事で、求めていたあの腕が私を抱きしめるのだろう。
耳障りの良い上手い言い訳と、囁く様な愛の言葉と共に。
戻る事無い時間への恐怖と、決して本当には得る事の出来ない『何か』への憧憬がどうしようも無く自分を蝕んでいく事を知っているのに。
私は、ささやかな抵抗の後必ず扉を開けてしうのだ。


なによりも憎いのが、自らの心の弱さと知りながら。






【戻る】

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ