小説1
□沈んだ記憶
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「なぁ、こんな事は聞いちゃいかんのかも知れないが……おまえ、どうしようもなく寂しくなったりはしないのか…今の、生活は」
蒐集家は口元に酒を運びながら、そう云ってギンコの目を見た。
「いきなり何だ」
「訊いてみたくなったんだよ、答えたくなければそれでも良い」
運んだ酒を飲み干し、化野は僅かに目を伏せた。
「蒐集家の好奇心て奴か?」
問い返すギンコの口調に棘はない、化野は数少ない友人と呼べる人間のひとりだった。
好奇心の強いこの男が今迄それを訊かなかったのは、彼なりに思うところがあったからなのだろう。
「医者も蒐集家も、元来好奇心の強いものだ、疑問に思うのも不思議じゃないさ」
化野はギンコの心にあった事を自ら口にする。
旅の合間に訪れて来るギンコを、化野は酷く気にかけていた、ギンコと云う蟲師の特異性は明らかに他のものとは違う。
しかし、その出自や経緯のほとんどを化野は知らなかった。
「俺はお前の持ってくるモノにも、旅の中で見たコトの話にも興味がある。
しかしな…多分一番興味があるのは、それを運んでくる、お前自身にだ」
化野は一度そこで言葉を区切り、ギンコと自分の杯に酒を注いだ。
「他人に話したくない事もあるだろう、だから酒の席の話だと思って聞き流してくれても良いさ」
「自分から切り出した話の割には消極的だな、俺はまだ何も言っていないぜ?」
注がれた酒に口をつけながらギンコは云った。
「……あるさ、少しはな」
光を受けて揺らめく杯の中の酒を見つめながら呟く。
「あるが、懐かしむ程の故郷も記憶も俺は持ち合わせていない。
ただ…」
「ただ、なんだ?」
「林や森を抜けながら、何かを思い出しそうになる時がある」
ギンコは顔を上げ、化野を見た。
化野は黙ってそれを見返す。
「何を思い出そうとしているのかは分からない。ただそれは、もしかしたら俺にとって一番大切な何かなのかもと、時折思う」
抑揚のない声でギンコは淡々と云った、化野は口を開かずに言葉の続きを待っていた。
「そう云う時は、酷く自分に何かが欠けている様な気になる。それを寂しさと云うなら、確かに俺は寂しさを感じているんだろう」
言葉の終わりを待って、化野は空いたギンコの杯を酒で満たした。
「…悪かったな、矢張り訊くべきじゃなかった」
「そうでもないさ。この体質の所為で一所に留まれないと云うのも確かにあるが、思い出しかけるそれは動き続ける動機であり目的なのかも知れない…話しをしながら、今 そう思ったよ」
「…そうか」
「こういう話も、たまには悪くないな」
ギンコは笑みを浮かべながら酒で満たされた杯を取った。
「……さて、次は俺が訊く番かな?化野先生」
「俺か?!」
「元来、蟲師も好奇心が強いものなんだよ」
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