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□仮初の刻に華を添えて
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「おかえりなさい、ブラック様」

遠く離れた場所で彼らと人間の潰し合いが繰り広げられる毎日とは思えない程の長閑な昼下がり、別荘のような住居で私は主の帰りを待っていた。すると、特徴的な黒髪を靡かせた彼が空からフワリと降りて来て、私の挨拶に対し「ああ」と素っ気なく返す。同居のザマス様と共に早朝から出て行かれたのに、ブラック様は何故一人で戻って来たのだろうか。こうして主の帰還時には必ず出迎えるべきと教え込まれたのは、私が初めてここに連れて来られた時だった。最初はその習慣に身体が慣れず、出迎えがぎこちない感じになったり時には忘れたりタイミングが合わなかったりしていたけど、もうすっかり定着して様になっていると思う。

「あれ…ザマス様と一緒ではなかったのですか?」
「ザマスは一つ用事を片付けてから帰るそうだ」
「そうですか…」

私は此方を一瞥して建物の中へ入って行くその広い背中を追った。しかし、常日頃から人間を抹殺する排除する消滅させるなど悍ましい言葉を口癖のように話しているのに、無力な人間である私をこんなに長く生かしておくなんて実にらしくない。何か考えあっての事だろうが、単なる雑用係以外にどんな意図があるのかは未だに分からないまま。けれど、一つだけ気になる事がある。それはブラック様の分かり易い態度分けだ。ザマス様が居る時はまるで別人のように冷酷極まりない言動をするくせに、いざ二人だけになると優しくなって。俗に言うツンデレというやつだが、彼の場合は絵に書いたような究極のツンデレ具合だった。
その性格上、熱々の恋人同士みたいにベタベタしてくる訳ではないけれど、あからさまに態度を変えているのは確実としか言い様がない。

「なまえ、こちらへ来い」

ブラック様は普段から自分の領域だと言い張って譲らないお気に入りのソファーに深く腰を落ち着け、私を自らの隣へ座るよう促した。彼の領域に踏み入るのは少々気が引けるが、叱られたくないので素直に従い王様のようにふんぞり返る彼の右側にちょこんと座る。すると、太くて靱やかな人差し指に装着された神様御用達の指輪が、鉛白の光を反射させて私の視界を横切った。

「うん?湯浴みでもしたのか」
「あ、はい…すみません、先に入ってしまって。いいお湯でした」

新しくなった匂いに気が付いたブラック様は、私の髪をスルスルと手櫛で梳きながら顔を覗き込んでくる。別に色っぽい事を企んで早々に入浴を済ませたのではない。ただ単純に余裕があった、それだけのこと。
彼等にも「手が空いた時に入っておけ」と言われていたから、私がどの時間帯で済ませようと自由であり、とやかく言われる筋合いは毛頭ない。

「そうか。それにしても湯上りとは唆られる響きよ」

色気を含んだ低音で差し迫ってくるブラック様に目を向ければ、その顔から雄の本能という文字が垣間見えた気がして私は咄嗟に視線を外した。私たち二人しか居ないのをいい事に、何かを仕出かす勢いでグイグイと距離を縮めてくる。徐々に近くなる彼の甘い吐息が耳を掠めると私はぶるりと身を震わせ、熱を帯びたそこを手で覆い隠した。

「ちょ、っブラック様…お、おやめ下さい」
「…断る。この身体がお前を喰らいたいと言っているのでな」

このままではマズイと思った時には既に遅かった。
ブラック様は私の顎に手を添えると、親指の腹で唇を撫でるように擦りながら不敵に笑んでいる。そして唇の上を這って行ったり来たりを止めない硬い指先の感触に翻弄され、抵抗も儘ならない身体は膠着状態となった。すると、目を泳がせたままピクリともしない私に彼は「いいだろう?」と艶めかしく意味深な同意を求め、手を添えていた顎ごと自身の方へ引き寄せると唇同士が触れるギリギリまで顔を近付け得意気に口角を上げた。

「今すぐお前が欲しくて堪らない」
「ダメですよ…!あの、もし今ザマス様がお戻りになられたら…っ」
「奴の事など考えずとも良い。その時は見せ付けてやるだけさ」
「で、ですが…っ、まだ、」

まだ心の準備が出来ていないと言おうとした時、至近距離にあった彼の口許がスっと離れていった。不覚にも名残惜しいと感じてしまったが、こればかりは安堵の方が大きい。もしもこのままブラック様の言いなりになっていたら、どうなっていただろう。それを想像しただけで身震いが襲ってきそうだ。その震えは恐怖から来るものか興奮か或いは喜びか…。

「フッ…冗談だ。私がこのような所で事を急く下等な男だと思ったか?」
「え?いやっ、別に…、下等なんて、そんなことは…」
「この続きは今夜の楽しみに取っておくがいい」
「あの、それって…どういう意味、ですか」
「さあ?どうだろうな」

両腕を胸の前で組みながら背凭れに頭を預けるブラック様は、天を仰いで何処と無く遠い目をしていた。
何を思っているのか何を考えているのかその思考や意思は汲み取れないけれど、そこには何時もの傲岸不遜な様子は見られない。理想郷を創るためと称し人間を絶やす作業に出ずっぱりな彼は、自分に厳しく必要以上の休息も摂らないとしている。そんな無理が祟ったのか、整ったその横顔からは僅かな疲弊も感じ取れた。何事も身体が資本だと言うのに、そう無茶ばかりしていては元も子も無いのでは?と余計なお節介心が働いてしまう。それは私が世話焼きな性格だという事もあるけれど、何故かブラック様のことを放っておけないと思う気持ちもある。これはまさしく、盛大に履き違えた慕情という表現が似合う感情か。

「私は少し眠る」
「…さすがにお疲れですか」
「小賢しい人間共が無駄な抵抗をやめない限り、平和は訪れぬ」
「………」
「なまえよ…他の人間が次々と駆逐されていく中、お前だけは生きている。その意味をよく考えるのだ」

消え入りそうな語尾でそう言い残すと、ブラック様はそのまま瞼を閉じてしまった。生きている意味を考えろと言われても、私の中に浮かぶ答えは複数ある。
その中で正しい答えがどれなのかは分からない。しかし、少なからず必要とされている事は確かだと思う。不要であれば即座に斬り捨てられている筈。もやもやと思考を巡らせながら、私は何となく真隣の逞しい肩に頭を乗せて深呼吸をした。誰に何を言われようと、こうして隣に彼が居ることが充実感や満足感を更に倍増させているというのは、私にとって紛れも無い事実だ。また明日、この甘い時間が絶対にやって来るとは限らない。限りなく無いに等しいが、明日ブラック様が命を落としてしまう可能性だってある。勿論、私自身が終わりを迎えることだって…。ならば、どんな未来が訪れても悔いることのないように、今だけはこの甘美な時をじっくり味わうとしよう。


相互記念に希弥さまから頂きました!
素敵な小説をありがとうございます!




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