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「顔が引きつってるぞ」
「急にお店手伝えなんて言われても営業スマイルが…」
「普通にしてればいい」
「は、はい…」
そうは言われても接客業ということもありそれなりの気配りや表情は大事な気がしてなかなか緊張が解れることはなかった。
私のせいでお店の評判が悪くなったりなんかしたらそれこそお兄さんと生活していくのが気まずくなってしまうしお店にも迷惑はかけられない。
08
お昼から夕方にかけては軽いウォーミングアップ的なものになった。所謂花金と呼ばれる今日は夜になるとそこそこお客さんが増えて来てバタバタしたけれどカウンター席はバーテンダーのお兄さんが、テーブル席は同居人のお兄さんがしっかりとフォローしてくれたおかげで何とか無事に一日を終えることができた。
「お…終わった〜!」
「お疲れ」
カタン、とテーブルに置かれたのは綺麗なグラスに入れられたオレンジジュースだった。お酒にするかと聞かれたけれど今はとにかく喉が渇いているからお茶やジュースがありがたい。
というよりお酒は立派な黒歴史ができてしまったので当分の間は控えようと思う。
「急に悪かったな。今日は人手が足りてなかったから助かった」
「楽しかったです!初めての接客業で緊張しちゃいましたけど…」
「確かに最初のほうはガチガチだったな」
「後半は少し慣れたのでよかったです!」
オレンジジュースを飲みながらガッツポーズをするとポケットにあるスマートフォンが震えたので確認してみる。
届いたのはただの迷惑メールだった。そう言えばさっきメールボックスを見た時も迷惑メールだらけだったっけ。最近はメールのやり取りなんてほとんどしないしアドレスを変えようかな。
「なまえ」
「!?」
ドンと一度机を叩かれて驚いた私は危うくグラスとスマートフォンを床に落としてしまうところだった。恐る恐る机を叩いた張本人を見ると少し険しい顔をしながら私を見つめていて冗談とか文句とか、そんなことを言える雰囲気ではないことをすぐに悟った。
「お兄さん…?」
「俺は独占欲が強い」
「どくせん、よく…?」
「…いや、何でもない。驚かせて悪かった」
頭をぽんぽんとしてスタッフルームに消えて行く後ろ姿を最後まで見送ったあと手に持っていたスマートフォンの電源を落としてこっそりとカウンターにある引き出しにそれをしまった。
どうせなら、もっとドキドキするシチュエーションで名前を呼ばれたかったな。
20190610