美貌の皇帝

□第一章「クロプシュトック事件」
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ダリウスは一瞬、何が起きたか分からなかった。


だが、すぐさま表情を強張らせ、乱れた群衆の中から飛び出して敬愛する主君の姿を探す。狼狽える

人の波を掻き分け、不敬にあたると思いながらも、皇族たちが座っていた場所に辿り着けば、椅子の

主達の姿はなかった。煙の中である為、人影の認識が満足にできない。それでも、呼ばぬわけにはいか

なかった。心の奥底より敬愛し、己の命そのものであると豪語できるほど大切な主君の名を。


「ジークヴァルト様、どこにおいでです!?」


一刻も早く見つけて差し上げなければ。


御無事な姿を拝し、姫様の元に帰して差し上げねばならぬのだ。他ならぬ、主君の大切なご家族である

皇女殿下の待つあの家に。


「……ぐっ…………ダリウス」


僅かな呻き声の後に紡がれた名に、バッと顔があがる。


「ジークヴァルト様!!」


声の方向に駆け寄ると、誰かを下敷きにした状態で起き上がったばかりの主君の姿があった。右腕には

間近にあったのだろうグラスの破片が深々と刺さり、流々として血が溢れていた。


「っ……私は大事ない。それより、無事な士官を呼び寄せろ。グリューネワルト伯爵夫人が軽傷では

 あるが気絶なされている。お前は伯爵夫人の傍に―――陛下、御無事でいらっしゃいますか!?

 陛下、お返事を賜りたい!」


自身も決して軽傷とは言えぬのに、ジークヴァルトは皇帝の姿を探しに行ってしまい、ダリウスは戸惑う。

そのすぐあと、姉を探して血相を変えたラインハルトがダリウスの元にやって来た。


「姉上!!」

「アンネローゼ様!!」


若い二人は荒い息を整える間もなく、ダリウスが介抱の為に横抱きした彼女に駆け寄る。


「ご安心を、ミューゼル殿。姉君は気絶なされているだけです。ジークヴァルト様が身を挺して御守り

 下さったお陰で、軽傷を受けただけで済んでおります。このまま、会場外へお運び致しますので、

 共にいらして下さい」

「良かった……」

「……ジークヴァルト様はいずこに?」


キルヒアイスの問いに、ダリウスは表情を変えなかった。


「御父上様―――陛下の安否を確かめに」


その言葉を紡いだ瞬間、二人の顔が驚愕に歪んだ。



皇帝の姿は程なくして発見された。数人の名も知らぬ貴族の下敷きになる形で、煤けた顔でジークヴァルトを

見上げたからだ。兵士に抱き起されながら、ジークヴァルトの手を握る。


「ジーク……」

「父上、よくぞ御無事で…………っ…………フレーゲルっ!」


皇帝を守り、死んでいった貴族の中に数少ない友人の一人、フレーゲル男爵の遺体があった。


「余を守って逝った」

「臣……として、立派に、努めました。結果、父上が……守られたのです…………彼に後悔はないでしょうっ……」


僅かに震える声に、フリードリヒ四世は顔を僅かに歪めた。握る手はそのままに、臣下として礼を尽くす

息子を抱きしめる。それと同時に、フリードリヒ四世は心の中で誓う。


(何一つ決めぬ)


若く健康で、何よりも清らかで美しく愛しい息子の為に。


(そちの歩む道の為に、何も決めはせぬのだ―――ジークよ)


この時、友の死にジークヴァルトが流した涙は皇帝だけが知るところとなった。


その姿は、二人を見ていた誰もの脳裏に焼き付いた。そして、後に思い知るのだ。皇帝の真の寵愛を

受けているのは、ジークヴァルトただ一人である事を。


(あんなにも美しいのか、あの人は……)

(あの人が、アンネローゼ様の御命を救って下さった方……)


その父子の姿は、皇帝を憎み、王朝打倒を掲げる若き二人を驚かせるには十二分過ぎるものであった。




ジークヴァルトの美しく気高い姿はあらゆる人を魅了するのに容易かった。
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