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□Let's make believe that we are in love.
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硝煙の立ち込める一帯に何かが煌めいた。

眼を細めその光を追うと、それは人の眼光であった。靄がかった空中を探るように照らすように、定まらず動き続ける一対がよく見える。そしてふと此方を視界に入れた。途端に慌てたように踵をかえしてパタパタと足音を響かせ去ってしまった。

面倒なことになった、とセバスチャンはその良く切れる頭で思った。

人気のない郊外の山道___それに今日は霧がしっとりと肌を濡らすほど視界の悪い日であったため、余計に油断をしてしまったのである。大破し火の燃え盛る車体を背にして、真っ黒な燕尾服に身を包んだ奇妙な男は優雅にも思える仕草で手を顎にやった。ここならば目撃されることもなかろうと高を括った己が愚かであった。去った影を追うこともしなかったセバスチャンは、嘲笑と苦笑のどちらともつかぬ表情を浮かべて、今や遠くへとなってしまった人の気配を感じた。

「坊ちゃんに知られたら どやされてしまいますね」

火の粉が舞う。
セバスチャンの真紅の瞳は既に、フードを目深に被った薄墨色のケープの人影を標的として爛々光っていた。

















「ど、どうしましょう……っ」

日は沈みかけている。立ち並ぶ木々が鬱蒼とした葉を繁らせ、逃げる乙女を隠すようにしていた。まだ彼女の鼓動は早鐘のように打っている。

(よりによって、里へ下りた日に災難に遭うなんて。)

先程の男の赤い眼光がまだ自分を捉えているかのように感じ、ぞっと背筋が凍った。
あの人は何をやっていたのだろう。こんな山奥で……

彼女の思考回路は最悪の考えばかり辿り着く。
人目につかないところですることなど限られる。殺人、強盗、車上荒らし……。気味の悪い光景ばかりがフラッシュバックするもので、焦りと恐怖心に突き動かされるように少女は走り続ける。鼻の奥にこびりつくような焦げ臭い煙と、轟々と燃える火柱の中、ひとつの細長い影が佇んでいる光景が脳裏に甦る。まさに"事件現場"であった。



踵の低い短靴でひた走る先は自身の家。

この深山には彼女の家以外に建物という建物もなく、殆ど馬車も通らないような山道が一本あるだけだ。土地の所有者も数年ほど前に亡くなったきりで、跡継ぎがいない為か此処らは無法地帯と化していた。

そんな事情も好都合。少女___レイは2年前から山に住んでいた。お粗末な小屋をやっとの思いで建て、自給自足の暮らしを続けるには非力な少女に苦労こそあったが、人に縛られず生活できるというのも大変魅力的なものだ。人嫌いな性分も気にすることがない。彼女は生活に満足していたのだ。

大分走ったと思われる頃、木に標されたマークが横目に見えた。ほっと息をつく。視界は既に開けており、目の前が霞むこともなくなった。きっとあの炎も、長時間霧にさらされていればいずれ消えよう。自分が心配することなど、己の身の安全のみ。



さあ、もうすぐ家が見えてくる___。



見よう見まねで手掛けた不格好な茅葺き屋根の、ほんの一片が、夕暮れ時の光にぼんやりと浮かび上がって見えた。

さっき見たことは忘れよう。
まだ不安はあるけれど、温かいホットミルクでも飲んだら、きっと眠りは深かろう。

月に一度の人里へ下りる日であった今日なら、酪農民に分けてもらったミルクがある。蜂蜜も少しだけ買うことができた。もう日常に戻ってきた感覚がして、ほくほくと心が満たされていく。
つい、呑気な欠伸までしてしまった。

「早いところ眠ってしまいましょう……」



















「逃げられたと お思いですか?」

男の囁きが、微かな風にのって響く。歪んだ口角から鋭い歯がのぞいていた。
茅家の小ぶりな丸窓、少女の安らかな寝顔が見える。
くつくつと笑う悪魔は、眉を下げ卑しい表情を浮かべていた。


ああ、哀れな乙女よ。
何も見なければ良かったのに___





とっくの昔から 歯車は廻っていた




 

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