短編

□"す"
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「なつきちゃんにお願い事があるんだけどなぁ〜」
そういいながら私の方へゆっくり歩いてくるが、その先を彼は一向に喋りそうにもない。
「何ですかー、お願いって。」
書類とにらっめこしながら、パソコンと向き合ったままそう答えてみる。
「書類整理お疲れ様。どう、進んでる?」
「えぇ、おかげさまで。」
相変わらず書類から目を離さず声を発すると、ハァッとため息が一つ聞こえる。
「ねぇ、なつきちゃん。こっち向いてみて」
もう、しょうがないですねー何ですか?
と声に出す前に、彼の方に向き直った瞬間
唇にリップ音を立てながら何かが触れた。
「…へ?」
「なに素っ頓狂な声出してるのよなつきちゃん。もっと可愛らしい声は出ないわけ?」
呆れ顔でまた溜息を一つ吐き出した彼は、
自分のデスクに着くと何事もなかったように仕事を始めた。
「あ、あの!?」
思いもしない行動に、空中に放り出された魚のように口をパクパクしながら放った最初の一言は
想像以上にうわずっていて、自分の声だとわかるには時間がかかる。
「声、うわずってるけど」
パソコンの画面を眺めながら、彼は一言つぶやいた。
このままではいけないと思い、つかつかと彼のデスクまで近づく。
「事実確認をさせていただいても、よろしいでしょうか!?」
「は、どうぞなつきちゃん。」
まるで学校の先生かのように、私を宥めるかのような口調で返事をする。
そんな彼を見ていると、小学生にでも戻ったような感覚にされた。
「あの、えっと…」
「早くしてくれない?こっちは忙しいんだよねー」
そういいつつ、手に持った書類でぴらぴらと宙を仰いで見せる。
「あの、私達ってお付き合いさせていただいてましたでしょうか!?」
そんな記憶、私にはないのですが。
「いや、してないけど?」
「じゃあ、ど、どうしてキキキキスなんてしたんですかっ!?」
先ほどの行為を思い出し、思わず赤面してしまう。
「そりゃあ…す…いや、何でもないよ。」
顔を赤らめて、頭を描きながらそう話す彼に淡い期待を抱いてしまう。

「す、何ですか?」
「いや、なつきちゃんの口から聞けるまでは言わないでおこうと思って。」
す…きとはやっぱりまだ言わないでおこう。
「じゃあ私も秋山さんが言ってくれるまで言わないですからねー。」
「えー…しょうがないなぁ。」

"す"き…だよ

Fin.
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