小噺bsr

□梅雨と共に
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(…ここ数日、雨ばかりだな)




執務の傍ら、雨音に耳を傾ける。

幾ら恵みの雨とはいえ、こうも降り続けては気が滅入ってしまう。

元就は募った苛立ちを抑え筆を置いた。




戦国、安芸は郡山城。

先日から梅雨に入ったためかひっきりなしに雨粒が打ち付け、日輪を崇拝する元就にとっては陰鬱だった。

そうは言っても雨が降らなければ作物は育たず、民は困窮する。

分かってはいても、好かないものは好かなかった。




(これでは政務も進まぬ)




戦の無い日には一日中机に向かう元就にしては珍しく、今日は止めにすることにした。

それもこれも、この雨の所為、ということにして。




すると慌ただしい足音が此方へ向かって来る。

それはこの部屋の前で止まると、戸の向こうから家臣の声がした。




「元就様、」

「入れ」




す、と開けて入って来たのは家臣の中でも古参の者。

閉めた戸の近くで膝をついたまま報告した。




「騒がしい。何事ぞ」

「も、申し訳ありませぬ。今しがた清鱗様がお見えになりまして…」

「何…?」




(彼奴め、何の用で…)




「如何致しますか」

「何処に居る」

「門前に」




その言葉に、元就は少々目を大きくした。

毎年この時期、清鱗という女が諸国を回る。

己は水や雨を司る龍神と初めに宣っていたが、龍の姿になったところなど一度も目にしていない。

昨年も、一昨年もやって来ていたから恐らく今年もだろうとは思っていた。




だがいつもは家臣が待てと言っても待たず、勝手にずかずかと上がりこむのに。

固いことを言うな、と笑う顔は何処かの鬼のようで。

それをいつも元就は呆れて見ていた。

だのに今年に限ってどうしたものか。

逆に寒気さえ覚えてしまう。




「通せ」

「は、かしこまりました」

「それと茶と菓子も用意せよ」

「直ぐに厨の者に伝えましょう」




必要最低限の言葉を交わし、家臣は出て行った。




(……気味が悪い)




普段ああだった者が突然大人しくなると、感心するよりも気味悪さが先立つ。

今年は例年と何かが違うのではないか、よもや水害が起こるのでは。

らしくもなく良くない考えばかりが頭の中を占める。




程なくして、床板の軋む音が近づいてきた。

気配は二つ。

一つ、軋む音は清鱗のもの、もう一つ、殆ど聞こえない足音は家臣のものだろう。

清鱗は足音を抑えるということをしないため、直ぐに分かる。

こればかりはいつも通りらしい。




『元就、入るぞ』

「まだ良いとは言うておらぬ」




声を掛けると同時に戸が開く。

後ろに家臣の申し訳なさそうな顔が見え隠れしていた。

これもいつものこと。




「下がれ」




家臣に一言告げると、頭を垂れて下がった。




向き合うように座った清鱗は見目とは反対に所作は荒い。

現に今も胡坐を掻く、その上に頬杖をつく、女らしさの欠片もなかった。




「…貴様、真に女か」

『分類上はな』

「はあ…」




ため息を吐くと、何を思ったか清鱗がころりと畳へ転がる。

次いで横向きになると目を閉じた。




「おい、此処で寝るつもりか」

『駄目なのか』

「当然であろう。ほんに神とは名ばかりの礼の欠片もない」

『ふ、お前こそ失礼な奴よの。神が前に居るというに敬いもせず』

「我が敬い奉るのは日輪のみよ」




目を細める清鱗はそう言っていても気に障った風は無い。

元就との会話はいつもこうだった。




「此度は如何したのだ。貴様が律義に門前で待つなぞ、」

『ああ、何となく』

「……紛らわしい」




今年のこの行動に理由などないと分かれば途端に眉が寄ってしまう。

これでは気に病んだ此方が阿呆の様ではないか。

寝転ぶ女の頭を踏みつけたい気分だったが、流石にそれは止めておいた。

いくら阿呆で不作法であれど神は神。

本来の姿を見たことは無いが水や天候を操るのは以前直に見たことがある。




清鱗が手を差し出せば水が湧き、空へ翳せば雨が降る。

その様は正(まさ)しく龍神の名に相応しく神々しくさえあった。

国の民は毎年龍神がこうして赴いているなど知らずに暮らしているが、城で仕える家臣達は清鱗の術を見ている。

故に、龍神であることは疑いようの無い事実として受け入れ、主の元へも通す。




『偶には違うことをしてみるのも良かろう?』

「ふん、神とはそれ程暇なのか」

『暇だなぁ。年がら年じゅう雨を降らす訳にもゆかぬし、多すぎれば害になる故』

「その余った時を有意義に使おうとは思わぬところが阿呆よ」

『歯に衣を着せようとは思わんのか』

「我がか?」

『否、愚問であったな』




鼻で笑いながらそう言う女は矢張り寝転がった体勢から起き上がらない。

今日はこれで過ごすらしい。

元就はまたため息を吐いた。
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