long*思ひ絶ゆ月
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「荒北さんは夏期休暇なかったんですか?」
8月最終日の夜、手嶋の家の縁側で片膝を立て、スイカを頬張った。
庭では小学生たちが花火を手に、はしゃいでいる。先週まで、休暇で地元に帰っていた手嶋の土産らしい。
「来月取るつもりィ。その間は本土から代わりのヤツが来るらしーヨ」
「神奈川帰るんですか?」
「ンー。どーすっかなァ」
帰るにしても、船の発着に合わせて帰省日程を立てなくてはならない。ここから神奈川までの移動は丸1日を要する。
――メンドクセーな。
つまりは悩んでいるのは素振りだけで、内心はこの島で過ごすことを決め込んでいた。
「先生、花火これだけー?」
吉塚病院の息子、コータは花火の袋を無造作にビリビリと破った。
「お前ら、あれだけあったのにもうラスイチかよ?!」
驚きながらも、嬉しそうに口元が綻ぶ手嶋は無邪気な子どもたちへ、フッと優しく溜め息を投げた。
「花火ってここじゃァ売ってねェのォ?」
「ないですね。たまに島を出たヤツが帰省するときに持ってくることはあるみたいですけど。それでも量はたかが知れてるでしょ」
「なるほどネェ。だァから花火ひとつでこんだけキャッキャ出来るわけか」
「本土の小学校に居た頃は、こんなんじゃあ子どもたちの心は掴めませんでしたよ」
「そりゃァそーだろォナ」
そもそも、教師の自宅に招いて花火をするなんて、こんな時代に有り得ない、と手嶋は笑った。
最後の花火が終わる頃、子どもたちの親が続々と迎えにきた。
また明日学校で、と元気に帰っていく子どもたちへ手嶋が手を振る。
花火の片付けをする手嶋は庭の片隅に置かれた手提げバッグに気付いた。
「あっ。これミサトのだ」
「ンー? 忘れもん?」
「あーあ。絵日記入ってんじゃん。今日の分、まだ書いてねえのに」
ペラペラとページを捲ると、手提げバッグへ戻して、
「俺、届けてくるんで、適当にしててください」
俺の返事を待たず、手嶋はロードに跨がった。
特に何かするために訪れたわけじゃない。
何もすることのない夜だから訪れただけだ。
足を庭に投げ出したまま、背中を床につけた。ついでに両腕を伸ばす。だらしない体勢だが、気持ち良い。
穏やかな波音と、蚊取り線香のニオイが心地よい。
灯りを消せば、息を呑むほどの星空を眺めることが出来る。初めて見たときは言葉を失い、ただひたすら口を開けて上を向いていた。
見慣れた今、わざわざ体を起こして灯りを消すという動作が面倒で、感動より怠慢を取ったオレは瞼を閉じた。
「あれ? もう終わったの?」
半分、眠っていた。時間にして5分も経っていないと思う。
誰かの声で目を覚ます。
庭にはなまえが立っていた。
数日前、港で客を迎えに来ていたなまえを一方的に見かけたことはあったが、まともに会うのは1ヶ月振りだ。
彼女の手には大きなビニール袋が提げられている。
「どしたァ?」
「花火するって聞いたから。これ、持ってきたの」
なまえは縁側でビニール袋をひっくり返した。
それは開封済みの大量の手持ち花火。
「どーしたんだヨ? こんなにィ」
「去年、大学生の客が持ってきてたんだけど、打ち上げ花火の類いだけで満足したみたいで、荷物になるからって残りを置いて帰ったの。処分し忘れてたの思い出して持ってきたのに。純太は?」
「ミサトの忘れ物届けに行ったヨ」
「あちゃあ。あそこに行くと、長引くんだよね。ミサトのばーちゃん純太大好きだから。今頃、居間に通されてお茶飲んでるよ、きっと」
オレの隣に腰掛けたなまえはカットされたスイカをひとつ取る。
シャクッと瑞々しい音を立て、上品に咀嚼したと思ったら、今度は豪快に種を飛ばした。
「……ハ?」
「え? なに?」
今の行動に唖然としたオレがおかしいのか。なまえは平然とまた、スイカを口にし、種を飛ばす。
驚くことに、全く不快な下品さはない。が、こんなことを躊躇いなくやってしまえる女がいるのかと思った。
「ンやァ。色気ねーなと思ってェ」
「求められてないでしょ、そんなの」
「自覚あんのか」
ニヤリと笑ってみせると、なまえの顔がオレの真上に覆い被さって見下ろすように睨み付ける。
一瞬、胸から変な音が聞こえた気がした。
転がっていたライターを取り、花火に火を点けたが、湿気ているのか火花を散らすことなく火種は大人しくなる。数本試してみたが、どれも同じだ。
「ダメだナ、こりゃァ」
「たった1年で使い物にならなくなるんだ」
「保存方法がマズかったんだろ」
「残念」
だが、なまえが徐に取った1つが、ふいに火花を散らす。
「あっ、この線香花火、いける……」
諦め半分で適当に持ったまま着火したそれをなまえは慎重に持ち直した。
「電気消して」
言われるがまま、灯りを消すと、そこは真っ暗で、なまえの姿は見えないけれど、儚い火花が小さく震えていた。
「……イヤだな」
「何がァ?」
そう問うと同時に、火種がぽとりと落ち、正真正銘の暗闇が広がる。
「束の間の夢は呆気なく終わっちゃうみたいで。線香花火ってなんかイヤ」
「だったらしなきゃ良いだろォ」
「仕方ないじゃない。たまたま……これが点いちゃったんだから……」
線香花火の話をしていると分かっているが、この言葉には何か別の意味があるのかと、勘繰ってしまう。
彼女の声が、なんとなく震えていたから。言葉尻が段々とか細くなったから。
灯りを点けることはやめた。
ただ、空を見上げた。
溢れてきそうな星の群れと力強く輝く真ん丸の月。仄かに届く月明かりを頼りになまえの方を見ると同じように空を見上げていた。
泣いているように見えたのは気のせいだと思う。だって、島育ちのなまえが今更この夜空に感涙を溢すことはないだろうから――。