王佐の誓い

□変容
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『約束の赤』

 好きという言葉がこんなふうに響くのを、清麿は初めて聞いた気がした。想いが揺れるとは、こういうことかと初めて知って、茫然とした。



 それは魔界と人間界をつなぐ扉の縁の錬成が終わる日のことだった。

 時を止めたように地下の工房は変わらない。堅牢な石造りに阻まれて、冬の日差しも冷たい雨風も届かない。温もりには乏しいが気温も湿度も一定で穏やかなものだ。ただその中で、ガッシュの魔力を注がれる縁だけが、少しずつ確実に変化をしていた。
 焦がされて砕け、形をなくして、光り輝く精気へと変じた縁は、錬金術の最後の工程であるルベドの結合で赤い結晶となっていた。空を照らす夕陽のような、水に溶かした血のような澄み切った赤。
 赤は清麿とガッシュにとって懐かしく思い入れのある色だ。記憶を失くしたガッシュの唯一の手がかり、退屈に埋もれた清麿の孤独を破壊して、ふたりを出会わせた本の色。清麿の心の力がガッシュの術に変わるとき、それはいつも赤く光った。
 今、その赤く透明な光で照らされるのは、凛々しい青年の顔をしたガッシュだ。
「これで、縁は完成だの」
 ガッシュは、肩から荷を降ろしたように息を吐く。そして錬金炉から外された赤い粒子で満たされたフラスコに手を掛けて清麿を見た。
「話したいことがあるのだが、よいか」



「私は、清麿が、好きだ」
 一言ずつを区切るようにガッシュは清麿に告白した。
「とても、とても、大好きだ」
 上気した顔が、切羽詰まった眼差しが、そこに込められた意味を間違いなく伝えてくる。
「私の、清麿への気持ちは、友達に思う好きとは違う。そういう好きではなくて……いや、友達だとはずっと思っておる。だが、それだけではなくて、清麿のことがとてもとても、愛しいと思うのだ」
 ガッシュは何度も言い直した。辿々しく、やがて溢れるように紡がれる。

「会えなかった時も、ずっと清麿の姿を思い描いていた。そうすると、心に力が湧いてくるのだ。私がやさしい王様であろうとする時、それを支えてくれたのは清麿だったのだ。
 だから赤い本が現れた時、願いが叶ったと思ったのだ。人間界への扉のこと、親なしの子のこと、清麿を頼りにしたいことはたくさんある。けれど、その、私は、ずっと清麿のことを心の支えに『王佐』と呼んでいた。
 会いたかったのだ。そばにいてほしかったのだ。会えたら、その顔を見つめるだけで、きっと満ち足りる。そして、ただ友として穏やかに語り合い、笑い合い、王として成すことに手を携えてくれたら、と。その願いは叶ったのだ。
 だが、私の望みは、それだけではなかった」
 一息ついて吐露されるのは、より深いところにある想い。

「会ってみて、一緒にいるようになって、もっともっと清麿のことを、好きになった。
 遠くにいる清麿と目が合うのが、嬉しい。話をする時の近さが嬉しい。手を繋ぐだけで、心が舞い上がって、頭や髪を撫でてもらう時は、蕩けそうなくらいになる。もう、友達というだけでは、いられないのだ」
「お前の、その俺への気持ちってのは、つまり」
「うぬ。恋愛の、感情なのだ」
「……そっか」

 その一言は、清麿がガッシュの思いを理解したという返事だった。そうなれば、清麿から何かしらの答えがあるものと、ガッシュは待った。
 そしてやはり、しばらくの沈黙の後に清麿はゆっくりと口を開く。
「俺さ、お前に思う気持ちが、変わらないんだ」
 悩んだ末だろう、清麿は顔を伏せたままガッシュに告げる。
「お前は成長して、俺への気持ちを変えたんだよな。ただの憧れや友情だったものから、恋愛感情に。けど、俺の気持ちは変わらないんだ。ずっと、お前が子供だった頃から。だから、俺の思いは恋なんかじゃない。お前に同じ想いは返せないんだ。ごめん」

「恋では、ない」
 ぽかんと、ガッシュは繰り返した。それから、じわじわと顔から血の気を引かせていく。信じていた者に突き落とされたような。そんな顔をさせたくはなかったのに、と清麿は唇を噛む。
「まさか、そうとは思わなんだ」
 口元を押さえてガッシュが自嘲する。
「何という、私は、愚か者だろう。少なからず、お主には好かれておると……自惚れていた」
 零す言葉が突き刺さる。
「そうか、恋では、ないのか」
 呟く声はひどく寂しく胸に響いた。
「うん、ごめん。嫌いじゃないけどな」
 言い訳がましく清麿が言う。
「好きではないのだな」
 未練がましくガッシュが言う。
「……お前のことは好きなんだ。友達として。そのお前に好きと言われたら、やっぱり嬉しかった、けど」
「そうか。嬉しくは、思ってくれるか」
「ああ。同じ想いが返せたら、どんなにいいかと思う」

 王佐というそれだけが、清麿が魔界にいる理由だった。ガッシュに望まれ、自分でもそうありたいと応じたことだ。王佐という役目がどんなものでも構わなかった。それだけでガッシュの傍にいられるのだから。自分勝手な望みなのだと、清麿は思う。
 ガッシュへの思いは、自分でもよくわからない。ただの友達だという気もするし、それ以上である気もする。
 ガッシュが自分に向ける感情に嫌悪感はない。同じ男だ、好きだと思う相手に欲望が向くのも理解している。応えてやりたいと思う気持ちもある。
 相手はガッシュだ。誰より大事にしたい相手だ。自分のなかの、よくわからない感情の内で、一番確かなのはそれだ。
 ガッシュのことが誰より大事だ。どうかすると自分自身よりも、大事にしたいと思っている。傷つけたくない、笑っていてほしい、そのためになら自分の出来ることは何でもしてやりたい。
 その思いだけが、ずっと変わらない。

「清麿を、想いを諦めるのは、辛いのう」
 ガッシュの嘆きはもっともだ。
 好きではないと言われても、俄かには信じがたい。清麿に想いがないとは思えない。それは恋に変わりはしないのだろうか。
「友達としては、好きでいてくれるかの」
「もちろんだ。お前のことは、とても好きだよ」
 縋る気持ちのまま、手を手繰り寄せてしまったガッシュに、ほんの少しの抵抗もしない清麿が答える。この優しさが、勘違いの元だと分かっていても離せそうにないと、掴む指先に力を込めてガッシュは苦く問い掛ける。
「私が、清麿に邪な想いを抱いていると、知ってもか」
「だからって、それでお前のことを嫌いになったりはしない。これからも、ずっと。何なら、誓ってもいい」
「そんなこと言って、私が襲ったらどうするつもりなのだ」
 あまりに無防備な清麿を諌めるつもりで、ガッシュは眉をひそめた。ふと視線を漂わせた清麿は、ややあってため息交じりに答える。
「それでも嫌いになれないだろうな。もし今、お前がそんな気持ちになったとしても」
「清麿は平気なのか、私にそんな無体をされても」
 それは罪悪感が言わせているのかとガッシュは悲しくなる。
「平気じゃないだろ、たぶん。けど嫌うのは、ない。お前に想われたのは嬉しいんだ」
「清麿それは本気で言っておるのか」
「ああ。友達としてでも、心から俺が好きだと思うのはお前だけなんだ。だからお前より誰かを好きになるなんて有り得ない。俺はお前に、何をされても、どんなことがあっても、お前の傍にいたいと思う。これから先も、ずっと一緒にいられたらいいと思ってる」
 そこまで言われてガッシュは唖然とする。

「清麿、それは普通は、友達に言うことではない、と思うが」
 呟く声はまるで途方にくれた迷子のようだ。
「私のことが嫌いではなく、想いを嬉しいと思ってくれて、好きだとも。それで、それがただの友達?」
「ああ」
 随分なことを言っているという自覚はある。それでも、この感情は絶対に恋なんかではない。清麿とガッシュの想いは違う。清麿にはガッシュのような情熱はない。求めるような気持ちがない。だから恋とは言えないものだ。
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