王佐の誓い

□変容
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『王族』

 一年で最も昼の時間が長くなる日を前にして、夕刻の空は明るいままだ。人間界の、特に夏が短い北欧の地域では、この日に夜通し火を焚いて太陽の復活を願う祭礼が行われるが、これはまた男女の縁結びの祭りであったりもする。



 ゼオンとコルルの婚約。それは、誰にとっても驚きだった。
『ありがとう、ゼオン。喜んでお受けします』
 朝食の席に、文字通りに飛びこんで来た銀の言伝の鳥は、居並ぶ者とゼオンを軽く瞠目させた。
「ゼオン、今のは?」
「婚約の申し込みの答えだ。つい、先程の。まさか、早くても明日と思っていたが」
 ゼオンが思わず口元を綻ばせて呟くと、それを聞いたガッシュが低く唸った。
「どういうことだ、ゼオン。私は、何も聞いておらぬぞ」
「ああ、言わなかった」
 元から大きな丸い目は零れる程に開かれた。
「というか告白ではなく婚約だと? 兄上、いくら何でも早くは」
「早くもない。数年来の、内諾はあったからな」
「……って、付き合っておったのか? まさか、ずうっと? ふたりして黙って、隠しておったのか?」
「いや? そうだな、黙っていたのは悪かった。だがお前が清麿を連れ帰るのを待ったうえで、先だっての新年の宴で宰相と父上にも承知いただいてからの申し込みだ。俺としても長く待ちわびた。……祝福してくれるんじゃないのか?」
「っ裏切り者! 私は今、初めてお主等が嫌いになりそうだというのに!」
 こんなに声を尖らせるガッシュも珍しい。清麿が私邸の者の様子を窺うと、冷静沈着を常とする執事のジェイドも双子の遣り取りに唖然としていた。
 察するに、この関係は密かなもので、ガッシュのみならず誰にも知られていなかったということか。
「えーっと。ゼオン、経緯はともかく、おめでとう」
「ああ、ありがとう」
 清麿の祝辞に応じて、悠然とした笑みを浮かべるゼオンに、噛みつくような勢いでガッシュが叫ぶ。
「まったく酷いではないか! ゼオンもコルルも! ふたりとも隠し事が上手くて、嫌になるほどお似合いだ! さっさと末永く幸せになるがよいのだ!」



 空に明るさが残る、夏の夕方。帰宅した清麿をゼオンが出迎え、話がしたいと切り出した。それでいて答えも聞かず、ゼオンは玄関から続く応接間の扉に手をかける。急かすように振り向かれ、清麿は否応もないなと、苦笑しながら従った。

 これを機会に言っておく、と長椅子に掛けて清麿と向かい合ったゼオンが改まる。
「俺はお前に感謝している」
「何だよ、急に」
「俺が宰相に師事したのは、兄としてガッシュを支えようと思ってのことだ。これは既に承知だな」
 清麿も黙って頷いた。ゼオンが宰相に師事を申し入れたのは、魔界に帰還した直後だ。その事情については、清麿もあらかたは知っている。

 宰相というのは、魔界の王に次ぐ地位であり、実質的な魔界の頂点だ。王が、どれだけ絶対的な存在でも、たったひとりで全土を治めることはできない。魔界の統治は、王を絶対と仰ぐ宰相とその下で各都市の行政機構を管轄する宰相府が担っている。
 その宰相府の長である宰相は、この千年ただ一つの家系によって受け継がれている。それが、ガッシュとゼオンの父である先の王の長子を祖とする宰相家だ。
 先の王の長子は、敬愛する父の支えとなることを志して、前代の王に仕えた宰相と縁を結んだ。他家と縁を結んだ者が元の家の名を継ぐことはなく、それは王族であっても変わらない。
 王族とは、王の家族。その名は本来、王の伴侶である妃とその子のみにしか許されない。
 だが前代の宰相はその職位を譲るとともに、新たな家名をもまた贈った。
『名は「ベル」。王を支える一族としての、王族であれ』
 以後、宰相家の代々は王族として名を継ぎ、先の王への忠誠を尽くしている。
 その宰相家の新たな後継者となったゼオンが、魔界の王として認めるのは弟のガッシュただひとり。

「だが、それは俺ひとりでは叶わない。宰相は、職位を譲るにあたっては成年の条件を満たせと俺に申し渡した」
「成年の条件?」
「つまり、誰かと婚姻を結ぶか、子を成して親となるか、だ」

 その時ゼオンは7歳すぎ。いくらなんでも宰相を継ぐには若すぎるというのだろう。しかし、清麿が魔界の法律について調べたときは、16歳を成年と見做す、とあった。記憶違いかとゼオンに問うと、法律とは別だという。古来、成年とは、婚姻を結んだ者もしくは子を成して親となった者を指す。逆に、それを満たさない者は年齢にかかわらず未成年として扱われた。
「戦いに選ばれる子供と同じか」
「古からの倣いだからな」
 清麿はなるほどと頷いて話の続きを促した。

「条件は、俺の未熟さを諭すためと思っていた。だが、ガッシュと一緒に暮らすうちにわかったことがある」
 前で組んだ手に視線を落とし、ゼオンが小さく呟いた。
「魔界の王を支えるには、ひとりでは足りない。王の宿命である千年の孤独は、存在すらも蝕み危うくする。父上ですら、代々の宰相と六の妃を得て、やっと王として立っている。それを俺だけで支えられるはずがない」

 魔界の歴史に、狂王という例がある。
 初めは善き王であった。即位から長く伴侶を持たなかったが、よく政務を執っていた。それは歴代の王が妃と死に別れた後に新たな妃を迎えるのを王が良しとしなかったためだ。だが壮年となり、ついに妃を娶るにあたって、それを唯一として生涯を捧げると誓いを立てた。そして時は過ぎ、王は仲睦まじく過ごした妃が亡くなると、政務を執ることもなく気を狂わせた。なまじ善き王であり、権能を一手に握っていたのが災いして魔界は乱れ、次の王が即位するまで治まらなかった。
 以来、魔界の統治を王のみに委ねることはなくなり、後に王を補佐する宰相府がつくられた。

「千年の王が、唯一の存在を望むのは危うい。だが、あいつは伴侶など望めない。やさしい王様は誰のことも選べない」
 漏らされた声の悲痛な響きに、清麿は何も言えなかった。
「そして、俺もだ。俺はガッシュの兄として、共に幸福になると決めていた。誰かと連れ添うことなど考えてもいなかった。だから言わなかったんだ」
「……コルルとのことか」
 清麿が遠慮がちに確かめると、ふとゼオンは口先で笑う。
「あれは、想定外だ。娶る必要などないからな。宰相を継ぐだけなら、子を成せばいい」

 そもそも魔物は、性の交わりで子を成すのではない。子は魔力の継承でつくられる。必要なのは、魔物の魂が宿るべく、魔力によって造られた身体と、親となる魔物が与える魔力の球。
 親となる魔物も、それが男女のふたりである必要はない。男同士も女同士も、また独り者でも親となり得る。

「だったら、なんでコルルと婚約したんだ」
 いくら人間とは事情が違うとしても、婚約が婚姻を結ぶ前提であるのは変わらない。
「お前がここに来たからだ」
 話が飛躍して、清麿は訝しむ。
「だから、俺はお前に感謝している。お前がガッシュの招きに応じたことで、俺は王族としてガッシュを支えることが叶う」
 満ち足りた笑みでゼオンは続けた。
「家族であり、魔界の王を支える者としての王族。俺は、王佐もそういうものだと受け取っている。お前は新たな王族となり得ると。この私邸で、王族の俺と同じ扱いだというのは、既にそういう意味でもある」
 ゼオンは事も無げに言うが、清麿はその意を汲みかねた。
「すまん。それは、どう考えていいか、わからない」

 清麿には、まず王族というのが腑に落ちない。家族と言われても、そもそもゼオンのように、ガッシュを弟として扱ったことがあっただろうか。
 また王佐というのも、よくわからない。扉の術式を書いたのはアンサートーカーの答えだ。王佐とは、二つの世界をつなぐそういう能力や役割だけではないのだろうか。
 しかも人間が魔界の王族になんてあり得るのか、と額を押さえて困惑する清麿にゼオンが訊いた。
「あいつは何もお前に伝えてないのか」
「ああ」

 そうだ。ガッシュからは何も聞いていない。魔界に来て約半年、ガッシュとはかつてと同じ親しさのままで過ごしている。
 魔界の王となったガッシュによって、王佐として招かれた清麿。お互いの立場は変化したが、その意味を訊くこともしないでいた。
 何となく今までとは違うと感じることもあるが、突き詰めて考えるのは無意識に避けているきらいもある。
 答えようがないのが正直なところだが、清麿は考えるべきことを放置していたと指摘されたようで気まずかった。

 だがゼオンはひとり静かに思案して、そういうことかと頷き、また新たに問い掛けた。
「では、これから先、お前は俺と共に生涯かけてガッシュを支える覚悟はあるか?」
 確かめるようなゼオンの問いに清麿は破顔し、きっぱりと答える。
「初めからそのつもりだ」



 先の王たっての願いにより、ゼオンとコルルの婚約の儀は、王宮の中庭にて執り行われた。

 男女の交わりが新たな命の誕生につながるわけではない魔界では、世を重ねるごとに婚姻を結ぶ者が稀となり、それにまつわる儀礼も廃れつつある。
 だからこその物珍しさもあるのだろうか、この王宮での婚約の儀は、客として招かれた者の他にも王宮に務める多くの魔物が集う華やかなものとなった。
 婚約の儀といっても、実際のところは主だった者に婚約を報告するお披露目である。婚約を成立させる儀式も簡素なもので、将来の婚姻を約束した者が互いに対して誓いを立て、その場における最高位の魔物が祝福を授ける。

 花も盛りと咲き揃った光溢れる中庭で、その中心に立つのは魔界の王と王兄だ。ふたりとも白の礼装に身を包んでいるが、その縁取りはガッシュは王の金色に、ゼオンは宰相家の銀色にと分けられている。
 やがて招待客の輪の中にガッシュを残して、しばし席を外したゼオンがコルルを連れて戻ってくる。
 両手に花束を捧げ持つコルルの礼装は、白い膝丈のワンピースドレス。その腰には、ゼオンと揃いの銀色で幅広のサッシュリボンを結んでいる。やさしくしなやかな風合いのドレスは、小柄なコルルをきっちりと包みながら、手首の先と喉元だけを薄く繊細なレースで透かしていた。
 この清楚で可憐な礼装は、ゼオンとガッシュの母である六の妃が、頼まれてコルルのためにと仕立てたもの。コルルの柔らかい桃色の髪に光る白銀と紫水晶の髪飾りも、ゼオンが懇意とする職人が意匠を凝らした逸品だ。
 こうして見れば、コルルへの心尽くしに表れているのは、決して認めようとはしないゼオンの本心だろうと思えてならない。あの偽悪趣味めと清麿は内心でため息をつく。
 清冽な白と、質実の銀と、奥ゆかしさの紫が、ゼオンとコルルを彩っている。連れ添うふたりは揃いの一対で、誰にもそれは似合いとわかった。

 魔界の王ガッシュの前に、ゼオンとコルルが進み出る。ふたりは互いに見つめあい、誓いの言葉を述べあった。
「俺は、お前を独り占めにする。拒むことを許す気もないが、あえて問う。いいか?」
「はい。嘘偽りなく真心をもって、貴方にすべてを」

「……では、祝福を」
 誓いの後に、起こった僅かなざわめきも、穏やかに響くガッシュの声に静まり返る。ほんの少しだけ腰をかがめたふたりに向かい、手をかざしたガッシュが祈りを込めて、ふわりと指を滑らせた。その魔力を纏う金色の軌跡は、丸く輪になって浮かび上がり、ゼオンとコルルの頭上に輝いた。それはあたかも宗教画に描かれる光輪のように清麿の目には映っていた。

 降りかかる不幸は様々だが、幸福は誰にでも同じように訪れる。
『……ゼオンは、優しいのだ。だが、いつだって私には隠されて、他に気づいてくれたのはコルルだけだ。そしてコルルは、いつも微笑みを絶やさぬが、決して心を明かさない。真の笑みはゼオンの隣にいるときだけだ』
 婚約が明らかにされた後、ガッシュはまだ悔しさを残す口調でそう言った。
『私には、ともに親しく、そうであればと祈ったふたりだ。だから、』

 金の祝福に包まれたゼオンとコルルは、まるで幸福が世に表れたようだった。清麿もまた、ガッシュと共にふたりの幸せを心より祈った。
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