王佐の誓い

□変容
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『白の輝き』

 地下から空に向けて開く換気口は、雨を防ぐために折れ曲がっているが、季節によっては壁に反射した日差しが漏れてくる。それでも薄暗いのに変わりはないが、外より気温が一定していることもあり、初夏の工房は意外にも過ごしやすい。

「町づくりの方はどうなのだ」
「順調だよ。今度、教授が見に来てくれる」
「あの教授が街外れまで行かれるのか」
「ああ。外に出るのは何年振りか、って言ってたけど」
「そうであろうな」
「最近はティオやモモンも俺の案内役じゃなくて、親なしの子に人間界の事を教えてもらってる」
「皆が先生役なのか。どんなことを話すのだ」
「人間界での暮らしとかだな。ちなみにキャンチョメの奴は、説明しながら化けるのが大受けだ。それで質問があれば、俺が補足する」
「質問?」
「家の造りとか乗り物の仕組み、機械の仕組みとか」
「なるほど、それは清麿の得意だの」

 他愛もない会話は相変わらずだが、縁の精製はそろそろ次に進みつつあるのは清麿から見ても明らかだ。
 黒く焦がされて粉々に砕けた縁の材料は、もう砂よりも細かくなって今では滑らかな流体のようだ。微睡みを誘うほどにゆったりとフラスコの中を漂っている。もう火花を散らすような反応はなく、時折ふわりと吹き上がる粒子は燃え尽きた灰のような鈍い色に変わっている。
 ニグレドでただの物質から元素の混沌へと還元された縁は、次のアルベドで純粋な精気として抽出される。あまねく万物に宿る精気は、見えなくとも確かに存在するもので、錬金術によって凝縮されて生命の水と呼ばれる霊薬となる。

「次の休みの前の日に、また町を見に行こうと思うのだが、よいか?」
「ああ。ちょうど水路も完成するしな」
「ならば折角だ、なにかお祝いでもしようかの」



 振り仰ぐ空は抜けるように青かった。強い日差しは真っ直ぐに頭上から降り注ぎ、川の水面に照り返してきらきらと目に入ってくるのが眩しい。川は王都を囲んで流れている。清麿はここから街外れに水を引くために、新しい堰と水路を造ることを町づくりの計画に入れていた。
 杖をついてやってきた教授は、モモンに付き添われて少し離れた木陰にいる。さっきまで石積みを撫でるように見て歩き回っていたが、久しぶりの外出でなけなしの体力が底をついたという。呆れ顔のティオが、被っていた大きな麦わら帽子で風を送っている。
 ガッシュはキャンチョメとウマゴンと共に、ムームと親なしの子達を手伝っている。魔力は一切使わない単純な力仕事ばかりだが、あれこれと皆から言いつけられて傍目にも振り回されている。

「じゃあ、開けるぞ!」
「せーの!」
 川の水を塞き止めていた大きな板を、親なしの子が左右から力を合わせて引き抜く。
「来た、来た、来たーっ」
「うわっ、早いよ、追いつけなーい!」
 勢いよく流れ込む水を歓声を上げて追いかけて走る子供達の後を、清麿はゆっくりと歩いていく。水路の出来具合を順に確かめていくと、ひとりの子が石積みに張り付いて座り込んでいた。
「あ、あの、王佐様、これ」
 清麿を見上げる顔は、今にも泣き出しそうにゆがんでいる。見れば、押さえた指先のわずかな石の隙間からは水が滲み出ていた。
「僕がしたとこ……」
「ああ、大丈夫。壊れないから」
 綻びを見つけて固まった気持ちをほぐすように、清麿は笑って頭を撫でる。
「隙間は漆喰で後からでも埋められる。印をつけておこうな。それから、他にもあるだろうから見てごらん」
 しょぼくれていた顔が持ち上がったのを見て、まわりの子にも声をかける。
「皆も。もし壊れても直せばいいから、よく確かめて教えてくれ」
「はーい」

 町づくりをしていても、親なしの子の生活はあまり変わらない。街での仕事は道端の屑拾いやら煙突の煤払い、どぶ浚いとか荷運びなど。その他は街外れに捨てられた瓦礫から使えるものを集めて売ってと、その日暮らしだ。
 稼げる日銭は少なくても、手に入れた食材を使い古しの鍋に放り込んで竈にかければ、ともかくお腹は満たされて、時には思いっきり遊んだり。今日のことだけを考えて、稼いで食べて眠ることの繰り返し。それでも皆で身を寄せ合って、ささやかな楽しみを見つけて笑い合う。だから、その先なんて考えもつかないでいた。

 街外れのムームの家の周りにあった瓦礫は除かれ、今ではちょっとした広場になっている。そこに町づくりの手始めに建てた小さな切妻屋根の作業小屋は、親なしの子の学び舎みたいなものだ。ここで清麿は親なしの子に読み書きと計算を教えながら、道路や水路などを一緒に造っている。実用の知識は身に付きやすく、その成長ぶりは目覚ましかった。

「王佐様ー、これ、なんか作るのー?」
 牛乳に卵黄を混ぜ合わせ、砂糖を溶かしたものを用意する。それを薄い金属製の器に入れて、水と硝石を入れた素焼きの大鉢の上にのせて勢いよく掻き混ぜる。
「冷たくなった! 何で?」
 水溶性の窒素化合物である硝石は、水に溶解する際に吸熱反応を示す。この原理によって水の温度を下げれば、雪や氷を使わなくても氷菓をつくることができる。
 しゃりしゃりと涼しい音を立てて、半ば凍りついた欠片を掬って口に入れると、とろりと甘い口溶けを残して消えていく。
「わ、すっごい美味しい〜!」
「ほら、ちょっとしたお祝い。どうだ?」
 作れる量は少なく、分けると小さな器に一盛りずつとなったが、皆がはしゃぐには十分だった。

「ね、お姉ちゃん、歌って」
「いいわ。何がいい?」
 にっこりと笑ってティオが立ち上がる。耳打ちされて澄んだ声で歌ったのは、清麿もよく知っている人気アイドルの歌だった。
 もともと歌うことが好きだったティオは、魔界に帰ってからもパートナーを真似るように歌と踊りに励んでいて、今では王都の祭り行事で舞台に上がり、その声を披露するほどになっている。
 最近、ティオはその持ち歌を一つ増やした。街外れで親なしの子に聞かせているその歌は、魔物達の間でちょっとした話題になっているらしい。
 拍手を浴びたティオが一礼すると、次に立ち上がったのはキャンチョメだ。身振り手振りで合図をすれば、親なしの子も一緒に手拍子を打ってイタリアの英雄の歌を口ずさむ。

 心に強く思い描いたものを、魔力によって実現化させるのが魔物の術の本質だ。
 教授によれば、王を決めるための戦いに選ばれた者の世代は、戦いに際して新たな術を多く生み出し、その幾つかは人の姿を心に描いて現れる。そして魔物は、幾世代にもわたり術を受け継ぐと共に、心の型にその影を映していくのだと。
「心に映る影として人の姿は術に宿る。されど現に見え、共に在るというのは、また別。たとえ術として現れずとも、此処の子等が王佐殿の姿を間近にして、如何な町を造り上げるか」



 安穏とした閉塞感とでも言ったらいいのか、地下室には独特の雰囲気がある。四方を囲む壁の向こうの土の湿り気と、出入りの少ない室内で温くなった空気が混じり合っている。
 昨日は楽しかったの、と目を閉じて呟くガッシュに、清麿も頷いた。

 清麿が親なしの子に慕われているのは周知だが、いつもガッシュに突っかかってくる子がいた。殊更に清麿から人間界のことを聞きたがり、町づくりにも熱心に取り組むのは、認められたい一心だというのは明らかだった。そんな子が、清麿ではなくガッシュに向かって口を開いたかと思えば、真剣な目で問うたのだ。
『いつか俺も人間界へ行けるか』
 何の前振りもなく問われて目を丸くしたガッシュに、どうなんだよ、と彼は焦れたように睨んで答えを促す。だが、ガッシュが慌ててしどろもどろに返したことには、ふーんと半ば聞き流すような態度をとって、くるりと身を翻した。

 魔界と人間界をつなぐのは、あの戦いのなかで魔物と人間の間にできた絆だ。ただ、絆と言っても互いに再会を願うものばかりではなく、断ち切ることもできずに拗れて絡まる感情の縺れすらも含んでいる。
 清麿がアンサートーカーで得た扉の術式は、魔物と人間の間の特別な感情と呼べるものであればその善し悪しを問わず、二つの世界をつなぐ力に変える仕掛けを組んでいる。
 この扉の術式で、選ばれた魔物と本の読み手が互いの世界を行き来できるのは確実として、それ以外の者はどうなるのか。

「その為にも。これまで縁に込めていた想いを、これよりは術の形に紡ぐのだ」
 祈るように囁いて、ガッシュが両の手のひらを丸いフラスコにかざした。縁は、魔力に応えて湧き上がり、きらきらと小さな光を放つ。真白い光は段々と強くなり、やがて真昼のような輝きが、部屋の隅々にまで満たされていく。眩しい光は音もなく影を払い、縁はめまぐるしく形を変えて、激しく沸騰した水が蒸気へと変化するようにフラスコの中に充満している。
 見えなくとも存在するものを捉え、形あるものを様々に変えようとする錬金術の試みは、心に描いた願いを叶えようと術の形に表すのと、よく似ている。

「大丈夫だ。お前の願いはきっと叶うよ」
 親なしの子の人間界へ行きたいという願いを受けて、思い詰めたように気負うガッシュを見ていたら、清麿の口から何の根拠もない励ましがふと零れ落ちた。
 それを聞き、虚を突かれたガッシュは一瞬で表情を崩して、満面の笑みを広げて清麿に応えた。
「うぬ。清麿がそう言うなら、確かだの」
 差し込んだ一筋の光で立ち込めた霧が開かれるように、フラスコの中がみるみるうちに晴れていく。

 王として、とガッシュはこれからの魔界を思い描いて清麿に語る。やさしい王様として、魔物も人間も皆が幸せに暮らす町をつくりたいと。そしてガッシュの願いは、清麿の願いでもある。
 ガッシュの願いは叶うだろう。多くの者の願いを背負った、やさしい王様は決して諦めたりしないから。これまでもそうだったなと、清麿はガッシュと笑みを交わした。
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