王佐の誓い

□変容
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『教授』

 お話は以前よりかねがね、と清麿を笑顔で迎える教授と握手を交わしたのは、扉の術式を書いてすぐのことだった。

 魔界と人間界をつなげる可能性が、扉の術式によって現実となると、次に考えるのは魔物と人間の共存だ。
 そこでガッシュは、魔物と人間が共に暮らす町をつくるという計画を立てた。王都の街外れに住んでいる親なしの子達が、魔力を使わず人間の技術で一つの町を造り上げる。

『拝啓 ――教授殿
 春とは名ばかりの寒さの折、しばらくご無沙汰をしておるが、お変わりないだろうか。
 さて、この書簡を届けるのは人間界より招かれた王佐である。此の度、私はこの王佐の助けを以て、魔界と人間界をつなぎ、親なしの子と人間達とが共に暮らす町をつくろうと思う。
 教授殿も知っての通り、人間に魔力はない。だがそれ故に魔力がなくとも生きてゆくすべを持っておる。魔力だけが力ではない。何より人間の知恵と心の強さは、私を王へと導いたもの。それを学び、親なしの子等に教えることができれば、彼らが魔界で無力な者として虐げられることはなくなるだろう。
 私は王として、この魔界をすべての魔物が魔力の多少に関係なく、笑って暮らせるところにしたいのだ。人間と共に生きることは、きっと魔界の民を幸せに導いてくれると思う。
 ついては、人間界についての研究者である教授殿に助力を請いたい。この魔界で人間界についての知識を持つ者は少ないのだ。どうかその貴重な知恵を貸してくれることを重ねて願う。
 末筆ながら、時節柄くれぐれもご自愛くださるよう心よりお祈り申しあげる。
敬具 
――魔界の王ガッシュ・ベル』

 清麿が手渡した書簡を読み終えて、教授はガッシュの要請を快諾した。

 魔界で唯一の人間界の研究者、と紹介された教授は、背丈は清麿の半分ほど、長い顎鬚を持つ二足歩行の亀のような姿をした魔物だった。かなりの老齢でもあり、手足は枯れ木のように細くて皺だらけだ。だが、清麿に向ける瞳は、齢に合わないほど若々しく曇りなく輝いていて、抑えきれない好奇心を覗かせている。

 千年前の、王を決めるための戦いで約半数の魔物が人間界に取り残された。それを理由に魔界は荒れ、各地で起きた争いはバオウの力を以ても容易には収まらなかった。
 そのため、ガッシュの父である先の王は、帰還した魔物より証言を集め、人間界での戦いについて詳細な記録をまとめて公表した。そして正当に勝ち残ったと明らかに示すことで、魔界の民の信を得た。先の王が魔界を安定させるきっかけとなった記録は、その後、長く忘れられていた。
 王立図書館で死蔵されていたこの記録に、ただひとり興味を示して研究を始めたのが教授だった。
 教授が関心を寄せたのは、戦いが行われる人間界と、戦いで魔物が術を使うのに必須の役割を持つ人間という存在だ。長い時間をかけて、千年前の記録を読み解いた成果は、これから人間界へ向かう、次の100名の魔物達へと伝えられた。そして王を決めるための戦いが始まり、再び報告書が書かれたのだ。

 ガッシュ達の戦いの記録は、全ての魔界の民に公開されて、王立図書館に収められている。
 人間界で何が起きても、それを魔界から知る手立てはない。教授がまとめる報告書も、魔界に帰ってきた子供達から聞き取った話を元とした伝聞に過ぎないのだが、事実を的確につかんで過不足なく、しかも簡潔でわかりやすい表現で書かれていた。
 
 報告書が信用できるものなら、その著者もまた信頼に値するだろう。顔を会わせる前から親しみを感じていたのと、何よりガッシュの計画のために相談することもあって、清麿は度々、王立学術院にある教授の部屋を訪れるようになった。

 王立学術院は、転移の術で王宮と繋がっている。記憶した魔力を持つ者しか通さないという転移の術は、重要な施設を隔絶する。そのため、ガッシュの私邸も王宮の一角、転移の部屋としか結ばれていない。
 だが作用の仕組みは定かでないが、赤い本を手にしていれば、清麿もガッシュやゼオンと同じように転移の部屋を使うことができた。赤い本が清麿の存在を術に認識させているらしい。
 王宮も王立学術院も、王都の街へ出かけるのとは違って護衛の必要はほとんどなく、教授の部屋を訪れるのは清麿一人だ。

 杖の音がコツコツと響き、書棚の前に立つ清麿にしわがれた声がかかった。
「お探しのものはございましたかな」
「はい」
 清麿が取り組んでいる町づくりのための相談事は、教授からの助言で解決することが半分と、この部屋の資料から答えを探すことが半分だ。そして探していたものを見つけた清麿は、ほっと安堵のため息をつく。
「何だか、ここには全部の答えがある気がしますね」

 ここにあるのは、王を決めるための戦いで何があったのか、人間界から帰ってきた魔物の子から聞き取り、語り口もそのままに書かれた覚え書きだ。王立図書館の報告書も、教授がこの覚え書きから戦いの推移を抜き出し、記録としてまとめたものだ。魔物の子は、人間界での出来事を思い出すごとに教授に話し、教授はその都度、それぞれの記憶をそっくり留めるよう忠実に書き残した。

 言ってみれば、思い出を記しただけの覚え書きには、人間界での日常がとりとめもなく綴られている。選ばれた魔物の子にとっても、戦いは人間界での出来事のほんの一部でしかない。もっとも多くの紙幅を割いて書かれているのは、それぞれの人間のパートナーのこと。秘められた自分の力を引き出すことができる唯一の相手。魔物にとって、本の読み手となる人間は特別の存在だ。

 魔物と人間の関係は、とても一括りにはできないものだ。なかには最悪な出会いをしたもの、独善的な関係に陥ってしまったものもある。だが、それが拘りや思い込み、また一方的な誤解でも、そのために関係が拗れて壊れたとしても、その魔物が本の読み手に特別な感情を持ち合わせていたことは、否定できない。

「これが千年ごとに繰り返されてきたって、凄いですね」
 覚え書きを読むと、直後はどうしても書かれた思いに多少なりとも引きずられる。
「別の世界が交わるなど、本来なら有り得ることではありませぬ。この有り様は、むしろ特別とも申せますな」
 口振りは素っ気なくとも、教授は腰の位置から清麿を見上げて優しく目を細める。
「事実、帰還の後に人間界と手紙の遣り取りがあったのは、此度のみ。何故の違いかは判じかねますが、石に封じられた者の覚え書きを比しても、千年前と此度とでは読み手との関わりにどうにも隔たりがありますな」
「レイラやパムーン、新しい本の読み手を大事にした魔物もいましたけど」
「元から絆を結べる者であれば、左様。されど斯様な者は稀でしょうな」
 だからこそ、あのレイラとアルベールとの結び付きは奇跡のようなものだ。それでも魔界から本の読み手への手紙が現れたりはしなかったのは、彼らの戦いが千年前に終わっていたせいなのか。

「更に一つ千年前と異なるのは王佐殿の存在と」
「俺が? ただの人間ですよ」
「否、王佐と呼ばれる存在こそが。ときに高嶺様、魔界において王佐なる言葉がないとはご存知でしたかな」
「ええ」
「であれば人間界においては、よく見聞きされる言葉でしたかな」
「いえ。……そういえば、聞きかじったにしても変ですね」
 始め、清麿がガッシュから王佐にと請われた時は当然、魔界での役目を指してると思っていた。その言葉が人間界に由来するなら出典は「王佐之才」。だが、中国古典のそんな言葉をガッシュはいつ知ったのか。
「……ガッシュが思い付いて、それが」
「なれば正に王佐とは王の願い。存在のこれこそは、世の理をすら」
 ぴたりと教授の視線は清麿に向く。眼差しは真に迫り、瞬きも忘れたように顔を凝視して離さない。
「それ、そんなに大したことですか」
「何を申されるか。王佐殿は、世を分かつ理をすら超え招かれし者。これが特別でないとは」
 教授は大きくため息をついて頭を振った。
 確かに、清麿の来訪は魔界にとって前代未聞の出来事だったが、これからは違う。かつての仲間達のような、清麿よりずっと大人で優れた人達が、この魔界を何人も訪れるようになるはずだ。
「みんなガッシュのしたことです。俺を魔界に呼び寄せたのも」
「されど王佐殿は世をつなぐ術式を。其れもまた誰も成し得なかったこと」
 なお言い募る教授に戸惑いながら、清麿は曖昧に微笑んだ。
「扉を開くのは、ガッシュです」



 この部屋のおびただしい覚え書きの内ただ一つ、人間界の思い出を記したのではないものを教授は預かっている。それを知るのは、語った者と、記した者の互いのみ。
 
 そこに書かれたのは願いだった。

 それまでも彼は、熱心にここへ通っていた。どうしても人間界の出来事を一つも忘れたくないのだと言って、思い出した事がある度に、何度もこの部屋へ足を運んでいた。
 教授に向かって話したことが、直ちに文字に記されて、いつでも読み返せるような記録になるのを見て安心したように笑うと、その写しを大事に手に持って、弾む足取りで帰っていった。

 それがふと久しく現れたと見れば、ひどく落ち込んだ様子であった。
「誰にも言えないことを、聞いてもらってよいだろうか」
 いつも屈託のない明るい笑顔でいる彼が、その時だけは意気消沈として悲しげに見えた。

 教授の背丈はもう超していた。それでもまだ彼の身体に大人用の椅子は僅かに余り、つま先が床を掠めて揺れていた。
「大切なのだ」
 小さく呟いた彼は、それから目を瞑ったまま顔を上げて、胸の内をそっと打ち明けた。

『清麿のことを想うと、いつも胸が満たされるのだ。
 誰とも違う、清麿だけに感じる気持ちがあるのだ。友達と似ている、家族とは違う、……兄弟ではない。もっとずっと一緒にいたい、この人だけだ、と。
 どうしても会いたくて、仕方がない。あるいは想い人ではと考えもするほど、慕わしいのだ。
 その気持ちを何と言ったらよいかわからないが、私を支えてくれる大切なものだ。だから、私はそれを「王佐」と呼んでいるのだ。』

 彼が、心を支える願いとしたもの。それが「王佐」だった。唯一の存在として生涯を共にと願うもの。
 だが叶わない。世の摂理には沿わない望みだ。そうわかったら、誰にも言えなくなってしまったのだと。

 この彼の、ただ一つの願いを知る者は少なかろうと、教授は察している。そしておそらくは当の王佐も、未だこの願いは知らずにいるのだろう。



 幾多の口から語られて、相見えるより以前から、その人となりは知っていた。強く優しく、王を支えるに相応しい心の持ち主だ。
 人の心が魔物の心と変わりがないのは知られている。だからこそ興味深く、探求するだけのことがある。

 千年前とそれ以前、そして此度。ひたすらに記録を読み解けば多くのことは知れ、発せられる問いは頭の内で答えを出した。外に出ずとも訪れてくれる者はおり、話し交わすのも言伝があれば事足りる。

 されど、一人の人間の来訪がこれほどの変化を魔界にもたらすなど。この上、人間界との行き来が叶うならば、どれほどのことが起こるのか。この探究には残りわずかな生涯のすべてをかけて惜しくはない。

「まこと、待ち遠しい」
 親なしの子がつくる町を見に行こう、と教授は老いた身を起こす。これもまた彼の王と王佐により変わりゆく世の様であろうと。
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