タロット ガッシュ

□13 死
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死を司る骸骨。

不吉な印象の13番目のカード。
「死」と呼ばれるカードではあるけど、実際の死を表すわけではありません。とはいえ、連想されるのは「清麿の死」。

あれには、いわゆる主人公の死にかけエピソードとは違う重さがあります。
決死の覚悟とか、命懸けの作戦とか、そういうのとは性質が違います。
清麿は、自らの死を前提にしてる。ガッシュに振り返るなと言うのも、新しいパートナーと王になれというのもそのせいで。
その追い詰められた状況が、抱え込んだ無念が、辛い。

そして皆が駆けつけたとき、清麿の心臓は止まっていて呼吸もなかった。
回復の術も効かない。
ずっと瀕死だと思っていたこの場面なんだけど、読み返すと違う。
ガッシュが心臓を叩いて動かすまで、清麿は死んでいた。

……本の読み手は死んだら駄目だと思う。

新たなパートナーの出現は、あくまでも清麿の推測でしかない。彼が天才であるが故に、ただの仮説が真実であるように思ってしまうけど、たぶん、間違い。
何故なら、パートナーはかけがえのない存在で、もし死んだら魔物と人間がともに戦う、この神の試練の前提が崩れてしまうから。王を決める戦いができないから。

だからといって蘇生の奇跡は起きない。

あれだけの満身創痍で死なないでいるには、それを納得させる何かしらの力や理由が描かれるのがお約束なんですが。何もない。

結果として、清麿は死ななかった。
……ガッシュの嘆きと懇願が、清麿を死んだままにはさせなかった。

すべてを捨てる覚悟で「おわかれだ」と言う清麿にも無念や未練があるのは、走馬灯で描かれている。
死ななかった清麿が、瀕死から回復した後、ガッシュの元へ全力で駆けつけた理由。

何もかも無くす覚悟で、何一つ諦めない意志。矛盾する「生」への渇望。
この場面で描かれていたのは、そういうもの。

「死」のタロットは、清麿にあてはまらない。


クリア・ノート

すべての終わり。

タロットの凶札の一つである「死」にはラスボスが相応しいかなと。
とはいえ、占いでこのカードが出てもあまり恐れることはなかったりします。

「死」のカードが示すのは「終わり」。
あらゆる物事の終わり=死、ということです。命あるものは必ず死に至る。諸行無常。

タロットに限らず「死」は骸骨の姿に擬人化されて、「死神」として描かれます。
シン・クリア・セウノウスの真の顔がそれっぽいですね。でも、魔物のクリアの方が死神らしいと思います。

クリアは消滅の力を持って生まれた「滅亡の子」。彼は王の特権を使ってすべての魔物を消そうとする。
魔物の進化が、魔物を滅ぼす力や意志を生む。そういう意志、使命が生まれた時から存在していたという彼にとって、その宿命は自明の理なんでしょうね。

「僕という存在は、魔物が進むべき道の一つ。『滅び』という道なんだ」

笑うでもなく、哀れむでもない、いなくなるのが当たり前っていうクリアの表情は、超然として清々しいくらい。ミールは悪魔って言うけど、死神もきっとそういう感じだと思う。

あらゆる命を刈り取る「死」は、その時が来れば、ただその鎌を振るう。
クリアの力は、すべてに等しく理不尽な結果をもたらしてしまう。滅びの結末は寂しい。

だけどタロットの「死」はそれで終わりじゃない。
あらゆる物事、縁もいつかは終わるけれど、それは寿命。終わりは過去との決別で、その先には新しい始まりがある。

魂だけのクリアが、記憶をなくして姿形を変え、ワイトという魔物になったように。

終わりは始まり。
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