挿話 Sanctus

□Raifojio
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『友達』


 コルルが頼まれた片付けを済ませ、皆より遅れて教室を出ると、少し離れた廊下の先に辺りを払うように歩くゼオンがいた。

 ガッシュは王様の見習いをしながら学校に通っているけれど、ゼオンは違う。もう大人と同じに宰相府に務めているから、ここにいるのは何か用事のついでだろう。
 無駄のない速やかな歩みをコルルは小走りで追いかけた。行き先は知っているけど見失うのが惜しくて、角を曲がる前に声をかける。
「待って、ゼオン!」
 驚くようすもなく歩みを止めて、静かに振り返る所作がとても綺麗で嬉しくなる。
「私も、ガッシュのところへ行くの。一緒にいい?」

「……構わない」
 ゼオンは一言のみを返してコルルを待つ。
 いつも笑顔を向けてくるコルルは、どこかガッシュと似通っている。違っているのは、静かな歩みの緩やかさと小さく軽い靴音。肩の上で揺れて弾む丸まった髪、近づいてくる穏やかな微笑みも。
 そちらへ顔を向けつつも、程近くなっても視線は合わせない。適当な間合いを定めてゼオンはまた歩き出す。
 その距離は、ただの知り合いよりは近いけれど、友達としてはいささか遠い。たまたま同じ方向に歩いているだけという扱いだ。
 ゼオンは、誰も寄せ付けない孤高の存在だと思われている。例外は、魔界の王でもある弟のガッシュだけ、と。

 そんなゼオンが、それでも誰かと同行するとき、歩みを進める速さを相手に合わせているのをコルルは知っている。それを他に気づいているのはガッシュだけらしい、とも。
 兄上の優しいのは伝わりにくい、とガッシュは嘆くのだけど、こっそり見つけた素敵なものは、できれば大切にしまっておきたい。だから、それを誰かに話す気持ちになんてなれない。
 前を歩くゼオンは隙がないのに悠然として、白い外套のはためきは羽ばたきのよう。
 初めて会ったときから、変わらない。ひとりじめにできるのは、きっと今だけ。



「あ、兄上! ちょっと待ってくれなのだ! 隠れ鬼ももうすぐ終わるからの」
「コルル、一緒に探そう? 僕の背中、乗っていいから」
「ありがとう、シュナイダー。でも今日は見てるね」
「わかった!」
「じゃあ、皆で手分けして、すぐに見つけるわね。待ってて!」
 ガッシュ達は校舎を囲む木立の間で、隠れ鬼をして遊んでいた。ガッシュと、ティオ、シュナイダー、パティ、ピョンコ、そしてモモンは、最後まで上手に隠れたキャンチョメを探しに散っていく。

 コルルの魔力はかなり少なく、身体も弱い。だからガッシュ達と遊ぶのも、初めから終わりまでというのも難しい。それは元からというより、人間界にいたのがあまりに短かったせいだ。
 魔界から人間界に行けるのは、千年に一度、選ばれた100名の子供だけ。その子供達は、王を決める戦いの中で成長する。魔力も身体も戦うことで強くなり、親から受け継いだ術だけではない、新しい術をいくつも会得する。
 けれど誰とも戦わずに魔界へ帰ることを選んだコルルは、その魔力と術の成長をすべて放棄したようなものだった。
 でも後悔はしていない。元々、あの力そのものが好きではなかったから。
 第一の術は鋭い爪、第二の術は硬い拳。魔界にいたときから、その力は誰かを傷つけるだけとわかっていた。
 魔界に帰ってからも、ずっと呪文は使っていない。魔力は皆とあまり変わらず扱えるけど、術を使うのはかなり拙くて、ぎこちない。弱いことから見下されることもあるけれど、もう誰も傷つけたくないから。

 コルルとゼオンは横倒しになった丸木に揃って腰をかけ、駆け回るガッシュをそれぞれに目で追いかける。
「この間のことだが、」
 前を向いたまま、ゼオンがふと口を開いた。
「ガッシュから、私邸に友達を呼びたい、と頼まれた」
「うん。断られたってガッシュから聞いた」
 それもかなり前のことだった気がするけど、とコルルの頭に疑問が掠める。
「気が変わった。俺の知る者に限り、私邸への訪問を許可する」
「いいの?」
 決定を後から覆すのも、その許可も、滅多にないことばかりのはずでコルルは思わず傍らのゼオンの横顔を窺った。
 遠くに見え隠れするガッシュを眇めて、ゼオンはかすかに苛立ちを声に滲ませた。
「……友達の範囲が広すぎるんだ、愚か者が」



「ねえ、どうして貴女みたいなのが、ガッシュ様の友達なの?」
 立ち塞がる相手の表情から、目障りで仕方ないから早く消えて、と声もなく叩き付けられる。そこから続く言葉は、相手が誰でもいつも同じで、いちいち聞かなくてもわかってしまう。
「身の程を弁えてよね」
「どう考えても相応しくないんだし」
「可哀想に見せかけて優しくされるなんて」
「ほんと狡くて浅ましい」
「私達は、騙されないから。思い通りになんてさせないもの」
「ろくな力もない癖にね」
 黙って、ただ受け止めて聞き流すほかに何もできない。だけど最近はだんだん辛くなる。胸と額の奥がぐるぐると苦しくなって、固く手を握りしめる。
 誰だろう。誰かの、苛々と棘のような魔力が溜まっていく。何か、切り裂くような気配が。

 校舎の片隅のくだらない諍い。

 それでもガッシュの名が絡むなら捨て置く理由はないと、ゼオンは床を蹴りつけた。
 わだかまる魔力が気に障ったから、と。
 驚いて一斉に此方を向いた顔が、一様に引きつったものに変わる。経緯など知る必要もなく、怯えた視線を睨みつければ、有象無象が散っていく。
 棘の気配は霧消して、からりとした虚ろには取り残されたようなコルルがいた。
 鳩尾を両手で押さえて立ち尽くして、落ち着くためにか息を吸い、それから少し長めに息をはいた後、おもむろにゼオンを振り返って弱く笑う。
「ガッシュは、本当に優しいだけ、なのにね」

 涙が落ちるような声だと思った。


 常と変わらぬ平静さで、ゼオンは背を向け立ち去ろうとする。
「……行くぞ」
「うん。ごめんね。あの、ガッシュには」
「言うな、か」
「お願い」
「……わかった」



 それから一週間もしないうちに、私邸への訪問許可証が届けられた。

 魔界の王ガッシュと王兄ゼオンの連名で、文面はガッシュが頑張って書いたらしい。使い慣れないかしこまった表現を、間違えないよう慎重に筆を運ぶ様子が浮かんで可笑しかった。
 やっと願いが許されたのだと、兄上と自分と皆とで一緒に遊べるのだと、嬉しさがあふれんばかりに伝わってくるのが微笑ましかった。

 コルルに許可証を運んできたのは銀色の言伝の小鳥。ずいぶんと久しぶりに見たその繊細な姿が持ち主のゼオンと重なった。
 受け取りのしるしに「ありがとう。楽しみにしてるね」と一筆箋に書いて、細く折りたたんで小鳥の足に結ぶ。
 どうせなら、しなやかなリボンに術で言葉を載せられたら可愛いのに。そういう術があったらな、と思いついてコルルは微笑む。

 銀色の小鳥を見ていると、戴冠式のことを思い出す。金色の夢、シン・ライフォジオを願ったこと。
 このところ、少しずつ背が伸びるように、魔力も少しだけ増えてきている。皆よりずっと少ないけど。
 それでも力を使わないのは、誰も傷つけたくないからだけど、本当は誰かを守れるようになりたかった。

 閉まった窓を静かに開けると、言伝の小鳥は待ちかねたように、コルルの肩から飛び立っていった。
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