挿話 Sanctus

□悪魔の手紙
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 待ち合わせは、首都からフランス南東地方への玄関口となるパリ・リヨン駅。
「シェリー!」
 駅のホールで声をかけられ、見つけたその姿に驚いて一瞬息をのんだ。

 小走りで近づいて来たココが、立ち竦むシェリーの顔を覗き込む。
「……シェリー?」
 その少し心配そうな瞳を見て、気を取り直して呼びかけに応える。
「ココ、久しぶりね」
「シェリーも。元気そうね」
 親しみのこもった笑顔に、ようやくシェリーも表情を繕うことができた。内心の動揺を隠しつつ、あえて一歩後ろに退き、初めて目にするココの装いを確かめる。
「どうかしら?」
 視線に気づいたココは恥じらいながらシェリーを窺う。

「素敵な格好ね、ココ」
 シェリーは冷静に、客観的に見た感想を素直に伝えるように努めた。
 今日のココは、今までになく可憐。
 スカートをふんわりと膨らませた淡い色のワンピースドレスに、丈の短い濃い赤紫のボレロ。
 シンプルで低めのパンプスは足首を止めるストラップ付。
 首もとには細い紐のチョーカーに、木片を削った薄い木の葉のペンダントが揺れる。
 くっきりと描いた目元に、鮮やかな口紅のポイントメイク。
 いつもの素朴な装いとは違って、女性らしく華やかで可愛らしい。まさに、蛹が蝶になったといったところだ。

 ただ、見慣れないその格好には見覚えがありすぎて、シェリーはどうにも落ち着かない。
 もちろん服も靴も同じものではない。似ているのはシルエットと色使いと、艶やかさ。

 あの、悪魔によって変貌させられた、もう一人の彼女のような。

 でもココはそんなことは知らなくて。
「これね、私が作ったの」
 嬉しそうな表情を見れば、そんな混乱した心情などおくびにも出せない。
「貴女が……まさか、手縫いなの?」
「そうよ」
 ココはそっとスカートを摘まみ上げて、その場で一回りして、おどけるみたいに笑った。
「シェリーに褒められるなんて、少しは自慢してもいいかしらね」
 手縫いだというその服は、普段からシェリーが身に着けている職人仕立ての服と比べても、その縫製の細やかさに遜色はない。
 ココが貧しい生活の中で、いろいろと必要な物を手作りしていたのは知っていたけれど、その素晴らしい手腕と発想に、シェリーはあらためて感動を覚える。
 自分で着る服を縫い、アクセサリーを作る。ただ贅沢に着飾るのとは訳が違う、本来のお洒落の楽しみ方。
 何より、装いを華やかに変えても、ココの心根は変わらないことに安堵する。
 優しくて、辛抱強くて、誰よりも努力家であるココを、シェリーは心から尊敬しているのだから。



 大きな荷物はシェリーを駅まで送ってきた車に預けて、二人は手荷物だけで列車に乗りこんだ。
 二人掛けの座席に収まると、程なく列車が出発して都会の喧騒が遠くなる。

 ベルモンド家のある町シャロン・シュル・ソーヌは、パリから特急列車で2時間、さらに在来線に乗り換えて1時間。町を流れるソーヌ川を利用した水運で栄え、今も周辺の村からワインや農産物が集まる商人の町だ。
 そこからココの住んでいた村までは車で20分くらい。なだらかな丘陵地の小さな集落。葡萄畑と牧草地で囲まれたブルゴーニュ地方のありふれた村だ。

 走る列車の窓の向こうを滑る、流れるような景色に慣れた頃、ふと、お喋りが途切れて、話の接ぎ穂を探していると、ココは見計らったように問いかけた。
「ねえ、シェリー。貴女、本当はこの里帰りをやめさせようと思わなかった?」
 いつもより研ぎ澄まされた口調に、その時は気づかなかった。

「あら、どうして?」
「この里帰りは良いことかしら」
「ええ、楽しみね。久しぶりの水入らずですもの」
「私一人で帰ろうとしたら止めたわよね」
「え? いいえ、そんな事ないわ。何故?」
「私が村を燃やしたから」

 絶句するシェリーから視線を外さずにココは呟く。

「やっぱり」
 そう言われても鎌をかけられたと思えないのは、ココの表情に揺るぎがないから。

「ねえ、シェリー。もう私は知っているの。だから、嘘はつかないで」
 それこそ嘘ではないと語りかけてくるのは、言葉より雄弁な澄んだ瞳。

「……ココ、貴女、思い出したの?」
 怖れていたことが一つある。

「いいえ、何も覚えてないわ」
 魔界の王を決める戦いで傷ついた物が元に戻されたとき、失われた記憶も修復されたのではないかと。

「では、何故?」
 そして悪意の記憶に苦しむのではないかと。

「調べたの」
 この事態は、むしろそれより過酷なのかもしれない。

 記憶は消せても、記録は消せない。

 フランスの片田舎で一つの村が焼け落ちた事実は新聞に載って残っている。突然の爆発と炎が家々を襲い、人死にこそなかったものの村は壊滅状態で、一人の娘が行方不明になった事件。
 不可解な爆発は人為と疑われるが、犯人は不明のまま。行方不明者の捜索は早々に打ち切られた。ただし、その直後に村は速やかに再建され、あっという間に事件は風化。
 今は村の何処にもその痕跡を見つけることは出来ない。
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