航海日誌

□お手をさしだせ、モンスター
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じゃらりと、重たい鉄の擦れる音が妙に大きく聞こえた。
元は分厚い壁に囲まれた堅固な部屋だったのだろう、だから牢代わりに使われていた。
しかし今は先ほどの戦闘に巻き込まれて見るも無残な状態になっている。

外壁は半壊して光が差し込み瓦礫が散乱していた。
鉄の扉も屋敷の歪みに耐えきれずにひしゃげてしまっており、それは入室の際にこじ開けたため廊下に転がっている。

その部屋の亀裂の入った壁際に、彼女はいた。
華奢な身体には不釣り合いな太い鎖を巻きつけられ動きを封じられている。
白銀の髪を床に垂らし、己を戒める鎖に力なく身を預けてはいるが、その双眸は畏怖も焦燥もなく入室者を捉えていた。
いっそ寒気がするほどの白さを持った表皮には至る所に傷跡があり、善良な思考能力を持つ者が見れば痛々しさとともに彼女を助けなくてはと庇護欲に駆られることだろう。
惜しむらくは、その入室者が凶悪と名高い海賊であった点か。

海賊――ユースタス・“キャプテン”キッドは懸賞金が億を優に超える残虐な海賊である。
民間人への被害など厭わず、海軍も容赦なく始末する悪行もその首に懸けられた懸賞金の高さに一役買っているほど。

この屋敷が半壊しているのも、彼が敵の海賊と交戦して出た被害だ。
敵はすでに倒し終え、船員たちは敵船へ戦利品を奪いに行っている。
屋敷の主人は大層な貴族であったらしいが、どうやら先の戦闘にて巻き込まれ命を落とした様で、それならば残った金も宝もおれたちがいただいてやろうとキラーとともに踏み入った。
そうして手分けして屋敷を見回って、この部屋へ入ったのは随分と頑丈な造りをした扉の向こうにはそれほど重要なものがあるんだろうと思ったためだ。


入室者に気付いてゆるりと顔を上げた灰白色の双眸に、ぞくりと血が沸き立つ感覚に襲われる。
戦闘時とはまた違うその覚えのない感覚に戸惑う隙すら与えられず、キッドはその白に目を奪われた。

欲しいと、思った。
傷を負いながら、血に濡れながら、なおも染まらない無垢とも言えるその白を奪い去って穢してしまいたいと。

荒々しく部屋へ踏み入るキッドを彼女は恐れもなくただ見つめた。
彼女を絡め取る鎖が縫いとめられた壁を容赦なく蹴り付ければ、呆気なく崩れ去る戒め。
それを乱暴に捨て去って、床に転がる鎖とキッドとを交互に見やる彼女の腕を優しさも気遣いもなく引き上げたが、彼女は立ち上がることもなく引き摺られただけだった。
立つ気がねえのか、と睨むように見下ろしたキッドだが、長い髪とドレスにも似た裾の長いスカートに隠れていた足の内側にそれぞれついた傷跡が目に入る。
背の高い彼を見上げるその白い首筋にも似た傷があった。

あぁ、こいつは人形だったかと、キッドは悟る。
声を発する必要も、自ら動く必要もない。
自律を許されることなく飾られ愛でられるだけの人形だ。

忌々しげに舌を打って、キッドは彼女を抱き上げた。
腕に乗せるようにして抱えたためキッドよりも少し上にきた表情のない顔を見上げる。


「てめぇは今からおれのモンだ」


ゆるりと瞬きをする彼女は、言葉の意味をどう捉えているのか。


「おれは海賊だからな、欲しいもんは奪うだけだ。てめぇに拒否権はねぇ。
わかったな?」


耳を潰されているわけでもないだろうに、思案しているのか暫しの静止。
聴いてんのかてめぇ、と促すと、こくり、と小さく顎を引いた。
それを同意と受け取ったキッドはもうここに用はないと踵を返す。
抱えられ不安定な身体を支えるため肩に置かれた小さな白い手に微かに力を込められた。

その手が縋っているようにも思えたのが、都合のいい解釈なのかはわからない。
わからないが、理解する意味もない。
この女が望もうが望むまいが、手に入れたのは自分なのだ。

部屋から出ることがなかったのか破壊の跡が気になるのか、緩慢な動作で辺りを見回している彼女を見、そういえばと思いつく。


「あァ、そういや言ってなかったな。おれはユースタス・キッドだ。
声が出ねぇんじゃ覚える必要もあまりなさそうだがなァ」


視線をキッドへ戻した彼女は暫く彼を見つめて、少しだけ口を開いた。
その小さな口が微かに動いて、キッド、そう形作ったのだと気付いたときには噛み付くように口付けていた。
声を出せなくした奴を恨めしく思ったが、しかしもうこれは自分だけのものなのだ。
腹の底に燻る熱を制御する必要などどこにもない。
白銀の髪を引き寄せて、にじみ出た血を舐め取れば、痛みに鈍くはないのだろう、肩を跳ねさせる。
触れていた唇を離すと、唾液と血の混ざった糸が2人を繋ぎ、ぷつりと途切れた。


「覚えたか、いいこだ」


髪を掴んだままだった手でがしがしと頭を撫でてやる。
その乱雑さに細められた目が、どこか歓喜や安堵を含んでいるように見えたのも、やはり自分の都合のいい解釈なのだろう。




第1話 終
 

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