どうしてこんなことになったのだろう。
ネオンが眩しく、常世の街と言われる吉原。私は一人立ちすくんでいた。
付き合っている彼氏が最近つれない、その理由を突き止めようと彼のあとをつけたら、吉原に辿り着いたのだが、なんせ人が多く、見失ってしまったのだ。
「毎晩吉原に来てれば、そりゃ私なんてどうでもよくなる、よね…」
浮気とは違うが、相手にされなくなったこと、更に明らかに場違いな所に来てしまった居心地の悪さに、私は泣きたくなった。
「…、帰ろ、」
来た道を戻ろうとしたが、道が入り組んでおり、どこをどう曲がってきたのか、さっぱり分からなくなっていた。
「最悪…だ、」
とにかく歩かないと始まらない。
私は適当に歩いてみることにした。
そのうち出られるだろうと簡単に考えて、
だけどいくら歩いてもこの街を出られる気配がない。余計に迷っているような気さえする。
人に、聞きたくとも、酔ったオッサンが女の人とイチャイチャしている光景ばかりが目に入って、とても近付けない。というか近付きたくない。
「どうしよう…なんか疲れた、」
人の多さと、この街に酔ってしまった私は、少し暗い路地に入って休もう、と思った。
路地に入り、眩しさから逃れられるくらいまで歩いたところでしゃがみ込んだ。
もう、歩きたくない。でも帰りたい。
もう何度目か分からない溜息をついたときだった。
「おねーさん、どうしたの?お客さん?」
「え?」
声のする方に目を向けると、ほんのり明かりのともった落ち着いた雰囲気の建物の入口に赤い着物を着たお兄さんが立っていた。
こんなとこにお店あったんだ、全然見てなかった…
「いや、あの…ちょっと疲れて…」
「お客さんじゃねーのか。客以外がこの路地入ってくるなんてまずねェんだけどな、…てか顔色悪くね?ま、せっかくだし、休んでけば?」
「客じゃなくてすみません…すぐどきますから…」
私は立ち上がった。が、足に力が入らなくてよろめいた。
「まともに歩けそうにないじゃん。いいから寄ってけって、今日暇だしよ」
お兄さんが私を支えて店の中に入れようとする。
「え、あの、ちょっ!」
力が入らないので、抵抗することも出来ず、私は店の中へと入ってしまった。
「お客さん入りましたー」
「いらっしゃいませ!あ、銀さん呼び込みしたんですか?」
眼鏡の男の子がお兄さんと私を交互に見て驚いたように言った。
「そんなモンすっかよ、店の前にしゃがんでたから声掛けただけですゥー」
「しゃがんでた?具合でも悪いんですか?」
「みてーだな、ちょっと部屋通すからよ」
「あ、はいわかりました!どうぞごゆっくり!」
「え、いや、」
「ハイ、こっちねー」
戸惑いながら、通された部屋はシンプルな和室で、お香なのか分からないが、甘い香りがした。
「そこ座っといて、今飲むモン用意してやるから」
「…ど、どうも…。あ、あの…」
「ん?」
「ここは、どうゆうお店なんですか?」
「遊郭、だけど?」
「あ、そうですか。ってゆ、遊郭ゥゥゥ?!」
「そ、遊郭。女の為の、な。ホラ、とりあえず飲みなさいよ」
「…、なんですか、コレ」
湯呑みを渡されたからてっきりお茶かと思えば、何やらピンクの液体が入っている。
「イチゴ牛乳ですけど?」
「え…」
飲んでみたら本当にイチゴ牛乳だった。
甘い、けど今はこの甘さが嬉しい。
「女の人の為の遊郭…そんなのあるなんて知りませんでした、てか…私遊郭来ちゃったったってことですか…お金、あんまり持ってないんですけど…それに私そんなつもりないですし…」
「心配いらねェって、今日はサービスしとくからさ。それにイチャコラするつもりねーし、おねーさんがしたいっつーなら、」
「結構です!」
「冗談だって、ま、気分良くなるまでゆっくりしていきなよ」
そう言って、お兄さんはゴロンと寝そべり、ジャンプを読みはじめた。
え、何この状況…!
でもまあ、お兄さんが言うことを信じて、ここは休ませてもらおう、かな。
イチゴ牛乳を飲みながら、お兄さんを見る。
さっきは暗くてよく見えなかったけど、この人、銀髪だ、それにくせっ毛なのかふわふわしている。
それでもって赤い着物を羽織ってるだけ、という感じが色気を感じさせる。
間違いなく、遊郭…なのか、
「そんなに見つめられてっと落ち着いて読めねーんだけど?何、ホレちゃった?」
「ぶっ!!」
勢いよくイチゴ牛乳を吹き出してしまった。
「ホレてないから!」
その時、部屋の外から声がして、私の意識はそっちに向いた。
「今日は一晩中一緒にいられるわよね?」
「わりィな、他にも客がいんだよ」
「えー!そんなぁ、そんなの断ってよ」
「その代わりいつもよりサービスしてやるからよ」
他のお客さんの声だ!
本当に男と女が逆のお店なんだ…
会話の内容をよくよく聞いていると、恥ずかしいことばっかりで、多分今私の顔は真っ赤だ。
「くっそー高杉のやつー!また指名かよーどんな手使ってんだコノヤロー」
顔は分からないが、高杉さんというのはモテる、らしい。
「どした?顔、赤くね?…はっはーん」
お兄さんはニヤリと笑って私の目の前に腰を下ろした。
「想像しちゃった?」
「…ち、違っ!」
「ね、なんであんなとこでしゃがんでたわけ?」
距離が近くて心臓が今にも口から飛び出そう。
「…、か、彼氏…付けてきて、」
「何、彼氏遊郭通いしてんの?あちゃー、」
「…で、迷って、なんか気持ち悪くなって…路地に入ったら」
「店の前だったのね」
「そ、う…」
隣の部屋からドサリ、と音がした。
微かだけど、女の人の声が聞こえる、気がする。
「始まったなァ」
「え、」
何が、とは聞けなかった。ここは遊郭、なのだから。
隣の部屋の雰囲気なのか何なのか分からないが、その空気がこの部屋にも流れこんできたように痺れたような変な気分になる、
それはお兄さんも同じなのか、私の頬触れた。
「こんなかわいーのに、放っとく彼氏の気が知れねーなァ」
「え…、」
そのまま顔が近付いて来る、どうしよう、私こんなつもりじゃ、
でも動けないでいる私はなんなんだろう。
もう顔がぼやけて見えなくなるくらい近付いたところで、襖の向こうから声がした。
「銀さん、指名ですよ!」
「おー、他の部屋に通しといてくれ」
「分かりました!」
すっと離れて、甘い香りが和らいだ。
この香りはこの人からのものだったんだ…、
「ったくいーとこだったのによォ、空気読めねェな新八のヤロー、キスはお預けだな、」
「最新からする気ないから!」
「そう?中々エロい顔してたけど?ま、今日は金とらねーからこの部屋好きに使ってていいからよ。続きしたくなったら、また別の日に、」
「結構です!」
「素直じゃねーの。じゃ、俺行くな」
部屋を出て、襖を閉める前に、彼は振り返って言った。
「坂田銀時」
「え?」
「銀ちゃん、でいーぜ。待ってっから」
そして襖は静かに閉められた。
「銀、ちゃん…、」
暫くぼうっとしていたが、この甘い香りでどうにかなってしまうのではないかと思い、私はここから出ることにした。
眼鏡の男の子に帰り道を教えてもらい、吉原を出ると、もう朝だった。
「夢、だったのかな、」
家への帰り道、風が吹いて着物がはためいた。
甘い香りがした。あの、彼の。
確かに、私は彼と出会い、あそこにいたのだ。
「銀、ちゃん、か…」