短編
□PERFECT BLUE
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この学校とも、もうお別れだ。
3月。
私たちは今日、中学校3年間に終止符を打つ。
このセーラー服を着るのも今日で最後。
こうして軽音楽部の部室に来るのも今日が最後。
「懐かしいな…」
部室の壁を見渡すと、みんなで撮ったライブの写真。
あれはいつだっけ?新入生歓迎ライブ、学校祭、定期ライブ、卒業ライブ?
今年で最上級生だったのに、どのライブでも私は、背中に定規でも入れてるんじゃないかと思われるくらい緊張でガチガチだ。
中学校入学と同時に始めたベース。
最初はその重さにビックリしたり、練習しているうちに指が痛くなって皮が剥けそうになったり…。
色んなことがあって、私は今ここにいる。
写真の中のみんなは、演奏して、歌って、叫んで、笑って、泣いて、三者三様の表情でそこにいた。
「終わっちゃったんだな…」
誰もいない部室で私は1人、声を漏らす。
私は、狭い部室の奥にあるドラムセットの椅子に腰掛け、そっとシンバルを撫でてみた。
金色のシンバルに自分の顔が映る。
3年前の顔と比べたら、随分と自信に満ちた顔になった気がした。
それもきっと軽音楽部に入部して、辛いことや大変なことを乗り越え、そして楽しい時間を過ごしてきたおかげだ。
「これも…ジュン君のおかげだね…」
ふいにポツリと、1人の男子の名前がこぼれた。
私を、この部に入れてくれた幼馴染み。
楽器はやったこともないし、絶対に苦手だと思ってずっと音楽を避けてきた私に「どうせ暇だろ?」の一言と、あどけない笑顔で、どこまでも引っ張り回してくれた幼馴染み。
今思えば彼のおかげなんだ。
彼は楽器が得意で、運動もできて、勉強もできる、私とは何もかも正反対の存在で、もうずっと昔から私の憧れだった。
そして。
私の…。
「おー!ここにいたか」
その時、誰かが部室のドアを開け、朗らかな表情でこちらを見た。
私が彼のことを考えていると、決まって彼はやって来る。
不思議な人。
不思議な不思議な、私の幼馴染み。
「何してんだ?こんな埃まみれの所で」
「ジュン君こそ…どうして来たの?」
もう、3年間お世話になった部室を埃まみれの部屋だなんて、失礼な…。
「玄関も校庭も生徒と保護者でウジャウジャしてんだよ。さっさと帰っちまおうとも思ったけど、せっかくの卒業式だし、もうちょっと名残惜しもうと思ってな。それでとりあえずここに来たって訳」
昔からこうだ。
人との協調性がない訳ではなく、むしろある方だが、自分がしたいように行動するのはずっと変わっていない。
「で、お前は何やってんの?」
「私は…」
私も別にこれといって用があった訳ではない。
ただ3年間の最後にここを訪れようと思って。
あと。
“ここにいれば私の大好きな幼馴染が来てくれると思ったからだ。”
「別に…何も」
「ふーん」
どうしてだろう、いつも通りに目を合わせられない。
今日が特別な日だからだろうか。
「あ、そうそう」
すると、彼は思い出したように両手をポンと打った。
そして、彼の胸ポケットの辺りがブチッという音を立て、何かが外れる音がした。
「これ」
彼は私に手のひらを出すように促し、言われるままに私は右手を差し出す。
直径2センチくらいの何かが手のひらの上に置かれる感覚があった。
私は反射的にそれをそっと握りしめた。
「何…?これ」
何が置かれたかなどほとんど分かりきっているようなものなのに、私は訊いた。
「開けてみりゃ分かるよ」
私はゆっくり、桜の蕾が花開くように、右手を開いてゆく。
そこには。
「第2…ボタン」
彼の、3年間着た制服の、第2ボタンがあった。
「お前に渡そうと思ってな」
一瞬、いつも強気な彼の視線が泳いだ。
「第2ボタンってさ、一番大事な人に渡すんだろ?だったら、お前しかいないって思ってさ」
一気に顔が火照っていくのが分かる。
“一番大事な人”。
その言葉が何度も頭の中をリピートする。
「って!おい、どうした?」
「え…?」
彼は不思議そうな顔でこちらを見つめる。
その理由に私は気づいた。
泣いていたのだ。
「あれ…私…どうして?」
止めようと思っても涙は溢れ出すばかりだった。
理由など分かっていた。
これは、嬉し泣き。
「涙が出るほどつまらないプレゼントだったかな?」
「馬鹿…そんな訳ない」
彼はいつものあどけない笑顔で冗談めかして言う。
3年間、いや、もうずっと前から見続けている、彼の笑顔。
私はボタンをギュッと握りしめた。
「ジュンくん…私も、ジュンくんが一番大事な人だよ」
出てくるのはありふれた言葉。
色んな感情が渦巻いて、今の私はお礼の1つも言えそうになかった。
そんな私を見て、彼は言う。
「一番大事って、それ、どういう意味?」
優しい笑顔で、優しい声で。
「もっとはっきり、簡単な言葉で言ってくれない?」
彼は意地悪く、でも決して私を追い詰めるような言い方はせず、ただただ返事を待っているようだった。
タイミングはいくらでもあった。
生まれてから今日まで、ずっと近くにいたのだ。
放課後の帰り道だって、夏祭りのあとだって、それはいつでも良かった。
でも、ずっと避けてきたのかもしれない。
関係を“変えたい”と思う反面、関係が“変わってしまう”ことが怖かったからだ。
けど、私はもう逃げない。
旅立ちの日の今日、ちゃんと伝えたいと思う。
彼がくれた、宝物を握りしめて。
「私は…ジュンくんが好き」
やっと伝えられた。
私たち以外誰もいない部室に春風がそよぐ。
そういえば開けっ放しだったな、誰か朝に来ていたのかな?
「俺も」
どこからか飛んできた桜の花びらが1枚、ドラムセットの上に落ちてくる。
「お前が好きだ」
続いて花びらが2枚、3枚と風に運ばれて窓から入ってくる。
早く窓を閉めなきゃ、掃除が大変だ。
でも今はそんなことも気にならなくて、彼の返事にひたすら涙するばかりだった。
「だから、何で泣いてんだよ」
「うるさい…もう。うわあああん……!」
もうすぐ大人への第一歩を踏み出さなければならないというのに、私は子どものように泣いた。
でも、許して、今日くらい。
私を支え続けてくれた大事な人に、やっと思いを伝えられたのだから。
「冗談。ほんとにありがとな。大好きだぜ」
彼は、私をそっと抱きしめてくれた。
こんなとこ、同学年や後輩に見られたらどうしよう…。
でも今は…少しだけ、彼の腕の中で泣いていたい。
「ジュンくん…」
私は、きっとこれからも弱虫だ、
何の取り柄もない、ただの女の子。
それでも彼はこんな私を好きと言ってくれた。
「これからも、よろしくお願いします」
涙声で、それでも精一杯の笑顔で私は言う。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
彼もまた少し照れながら――。
この先に何があっても、しっかり前を向いて歩んで行きたいと思う。
再び風が吹き、先ほどの桜の花びらが舞い上がる。
舞い上がたったそれは、今度は窓の外、春の青空の中へと消えていった。
私たちはどこまでも舞い上がるその桜の花びらをただただ見つめていた。
1つの物語が終わる。
新しい季節が、迎えに来る。
end