月読む電気石

□邂逅
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静寂が耳に痛い、とはよく言ったものだ。
濡れた舞踏室は、最期の円舞曲を終えたと静寂を奏でるばかり。
足元では煙草のフィルターが焦げていた。

狂気を誘う静けさが打ち破られるとき、太宰は不覚にもその存在に気付く事が出来なかった。

窓枠の中で優美に佇んでいた硝子が降り注ぐ。
そこに佇んでいたのは、藍色に濡れた黒の男。


「…ポートマフィア、か」


太宰を一瞥し吐き捨てた言葉には一種の敵意が溶けていた。
喪失感に項垂れる身体を叱咤して精一杯の威嚇をしても、それは通用していないようで。
男は太宰に背を向けてジイドの亡骸を探っていた。


「な、にを…」


太宰の目には、それが死肉に牙を立てるハイエナのように映った。

織田作の尊厳を守らなくては

太宰の頭を占めたそれは瞬きすら億劫だった体を立ち上がらせるまでに至った。
しかし。


「出るぞ」


余りに想定外の出来事に、一瞬思考が逆流する感覚が背筋を撫でた。
何故この男に腕を引かれているのだろう?
何故織田作を置き去りにしているのだろう?
何故男は先を急ぐのだろう?
屹度、今すぐ手を振り払って織田作の元へ戻るべきなのだ。
しかし混乱を極めた頭は使い物にならず、どういう訳か先日食べた咖哩の味を再生し始める。
紛い物の舌の痛みに耐えていると、とうとう屋敷の外まで連れ出されてしまった。


「…間に合ったか」

「っ、なにを…ッ!」


轟音、爆風、熱気。
それらに言葉を遮られ、恐る恐る屋敷を振り返った。

火に包まれる屋敷が僅かに、確実に崩壊を始めていた。
部下の死体も、織田作の亡骸も、炎が舐め、飲み込んでいく。


「あ…ぁぁ…」


思わず手を伸ばした太宰は男に抱き留められ、コートの中に押し込まれて視界を遮られた。


「陽生さん」

「ミミックの首領は既に事切れていた。
…ポートマフィアに先を越されたな」


自嘲の笑いが響いて伝わる。
相手をする黒い特殊部隊ー異能特務課の人間は信じられないと訝しげに男を睨んだ。


「睨んだ所で事実は変わらない。
証拠が欲しいなら、これでどうだ」


コートの隙間から見えたのは、手のひらの上に浮かぶ外つ国(とつくに)の時計。
いくらか傾く度に頂点に戻ってしまう秒針はやけに不気味だった。


「アンドレ・ジイドの異能だ。
俺が“これ”を手にしている時点で察して欲しいんだが」


面倒だと髪をかき混ぜため息を吐く男は、翌朝までに首謀者の首を差し出す旨を伝え、特務課の人間を追い払った。

もう一度深くため息を吐くと、コートの中で動けない太宰に声をかけた。


「大丈夫か?」

「…君…それは、」

「?
…ああ、アンドレ・ジイド、ミミックの首領の異能だ」


手のひらの時計を一瞥すると、握りつぶすように手を閉じた。
まるで彼の中に吸収されたかのような現象に、頭がクラクラした。


「っ、じゃあ…織田作の異能は?
どうして彼の異能は持っていかないんだ!?」

「は?」

「織田作が、彼奴に劣るとでも!?」

「落ち着け。
…あの男を欠けることなく逝かせてやったのは俺なりの良心なんだが」


ハイエナのような男に織田作を荒らさせないと立ち上がった事をすっかり忘れていた太宰は、冷水でもかけられた気分だった。
らしくない。こんなに取り乱すなんて、本当にらしくない。


「…ごめん」

「…あの男を弔いたいのなら、今夜もう一度此処に来い」

「…え…」

「今夜、月が丁度真上に昇る頃だ。
来るも来ないも、好きにしろ。
…来るのなら、奴と関わりの深い装飾品でも持って来ると良い」


くるりと背を向けた男は、未だ言葉の半分も飲み込めていない太宰を置いてどこかへと去ってしまった。

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