第二舎房

□世界で一番‥‥
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ベッドの上から気だるい身体を起こし、まだ薄暗い部屋の中を、虚ろな瞳で見渡す猿門。
いつもはオールバックで纏めている前髪を下ろしているからか、顔を動かす度にフワっ‥、と、柔らかく動くオレンジがかった髪の毛は、猿門を幼く見えさせる。
一通り部屋の中を見渡し、目当ての人物がもうこの部屋にいないことを確認した後に、ベッドサイドのキャビネットの上に置いてある携帯に手を伸ばす。
そして、適当な相手にメールを送ると、携帯を持ったまま再びベッドの上へと身体を横たえる。
起きた時には気付かなかったが、鼻の奥を刺激するようなツンっとした香りが、シーツに残っていることに気が付く猿門。
その瞬間に、綺麗だと言っても過言ではないその顔に不快感を露にして、床に散らばった服の中からYシャツを引っ張り出すと、全裸の身体にそれだけを羽織り、ベッドからシーツを引き剥がす。
よくよく見れば、汗のシミやら昨晩の情事の跡やらが克明に残っているこんなシーツの上で、自分はよく朝まで眠れていたと、感心するほどの汚さ。
幸いなことに、マットレスまでは汚れていなかったため、取り替えるのはシーツだけで良さそうだ。
それを確認したあと、汚れたシーツをダイニングの黒いごみ袋の中に放り込み、まだ気だるさが残っているのか、おぼつかない足取りで風呂場へと向かう猿門。
だがそんな猿門の行動を知ってか知らずか、玄関のインターホンが、来客が来たことを知らせる。
「‥‥っ‥‥。」
今の時刻は朝の4時を少し過ぎた頃。
今日は久し振りの休暇だから、この後少し仮眠を取った後に、メールをした相手と夜まで抱き合おうと思っていた猿門にとっては、大迷惑なその来客。
だが居留守を使うわけにもいかず、もしかしたら、一昨日通販で注文した新作のセックス用品が届いたのかもしれない。
そう思ってYシャツを一枚だけ羽織った姿で玄関のドアを開ける猿門。
だが次の瞬間、猿門の目に飛び込んできたその人物に、急いで半開きになっていたドアを閉めようとするが、時すでに遅し。
力の限りドアを閉めようとする猿門を嘲笑うかのように、片腕だけの力で、全力の抵抗を難なく破り、無理矢理部屋の中に入ってきたその男。
視線だけで人を殺せるのではないかと思うほどの殺気が漏れだしている視線を猿門に向け、ドアを開けた反対の手で持っていた段ボール箱を、床に座り込み、顔視線を下に落としている猿門に向かって投げつける。
ガシャンッ!!と、派手な音をたてて目の前に落とされた段ボール箱に怯えつつも、中身が壊れていないかすぐに手を伸ばして確認しようとした猿門の腕を強引に引っ張りあげ、その細い腰に腕を回すと、痕が残るのではないかと思うほどの力で抱き締められる。
「おい猿テメェ‥‥。
まだこんなこと続けてんのか?あぁ?」
ドスの聞いた声でそう言われ、肩を震わせる猿門。
だが――。
「‥‥テメェには、関係ねぇだろぉが‥‥。
オレを捨てたお前には‥‥。
そうだろ、ハジメ‥‥?」
睨み付けるように目に力を入れたが、まだ小刻みに震える身体やうっすらと涙の膜が張った瞳、そして何より、目の前の男に怯え、満足に声すら出せない今の自分では、逆にこの男、双六 ハジメの神経を逆立てるだけだと分かっている。
分かっているが、何で今頃になって、よりによって他の男に抱かれた後に一番会いたくない男に会わなければいけないのか。
『テメェなに恋人気取りしてんだ?』
『ハジ‥‥、メッ‥‥?』
『‥‥男のテメェなら、間違ってもガキなんかできねぇし、身体の具合も良かった。
ただそれだけだ。』
『――っ!!』
初めて心から好きになった相手に、そんな言葉を浴びせられ、傷付いて他の男と寝ることで目の前の男のことを忘れようとしていた自分の前に――。
「‥‥帰れよ‥‥。
今すぐここから出て行けっ!!
オレの前から消えろよっ‥‥っ!?」
ワナワナと怒りに震える猿門の口から出てくる言葉を遮るように、その唇に自分のものを重ね合わせるハジメ。
「ッン――!!
ンンッ、ン――!!」
嫌だ嫌だとキスの合間にも首を振り、掴まれていない左手でハジメの背中を力一杯叩く猿門の頭を押さえつけ、窒息寸前まで唇を離そうとしなかったハジメ。
そのかいあってか、先程まで首を振り続け、背中を叩いていた手から力が抜けて、今はハジメの腕の中でグッタリとしている猿門を優しく抱き上げ、ダイニングのソファの上にソッと寝かせるハジメ。
そして――。
「‥‥傷付けて‥‥、悪かった‥‥。」
そう言って、キスの時に飲ませた睡眠薬が効いているのかグッスリと眠っている猿門の前髪を優しく払い、その額にキスをひとつ落とすと、昨晩の情事の後処理をしていない猿門の身体を清めるためにと、できる限りのことしようとするハジメだが――。
行かないでと言うように腰に巻き着いてきた猿門の腕と、その頬を濡らす涙を見て、応えるように優しく、猿門の身体を抱き締める。
(まだテメェのこと‥‥、愛してんだよ‥‥、猿門‥‥。)
言葉にできない言葉を心の中で伝え、腰に巻きついた腕をソッと外すハジメ。
その瞳に一瞬写った、どこか悲しげな色を見たものは、誰もいなかった――。




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