BL小説2

□Gestirn hymne
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 いくら相手が穏やかで知られる聖王といえど、これ以上は危険だ。青年は大きく息を吐き、汗をぬぐった。
 何度相対しても、国王の御前というのは緊張する。                                              

 城を歩くジロッカの青年を、誰もが見る。青年の着る旅装束はぼろぼろでみすぼらしい。
 また両腕の肘から先の指に至るまで、また両足にもびっしりと刺青を入れている。刺青文化の隆盛なジロッカやポチテカでも、ここまで念入りなものは昨今珍しい。

 こうも目立つ風体に関わらず、誰も青年を止めない。どころか一瞥にとどめる。

 青年は王宮を出ず、中庭に入る。中央の噴水に足を入れ、その場に座り込む。腰まで水に浸かった状態で、声なき声で呼びかける。

『すべての地を潤すために生まれ、我らと共に歩み旅路の果てに死ぬものよ、夢見る父の眷属よ――我が御前に降り立ち給え“浅葱に澄む慈悲”』

『ええ、その声に応えましょう。私の輝ける使いよ』

 水面に浮かぶは、一羽の鳰(かいつぶり)だ。この鳥は陸地を歩くことが苦手であるから、呼びかけるならば水場が望ましいのだ。

 小さな水鳥は優しい女声で返答した。

「五回は繰り返したから、そろそろ刷り込みが効いてるはずなんだが」

『普段ならばもう効いているころですが、貴方を隠すことと両立しませんね』

「それは覚悟していたが、むしろいつもより見つからなくてぞっとするぜ。聖王は神が見えるんだろう?」

 普段なら話しかけられるぐらいはするのになあ、と天を仰ぐ。
 雲の少ない青空と、穏やかな風は、この国に恐ろしい魔王がいるとは思えないほど平和だ。

「もう手詰まりだろう。アナーヒターが望むならここに留まってもいいが、本懐を果たすならばヨシリピテに逃げるべきだと思うぜ」

 この世には只人(ただびと)には認識されない存在がある。古来よりそれは神、精霊、竜などと様々に呼ばれてきた。
 アナーヒターと呼ばれたるものはその一柱。河川や湖などの水に関するすべてを司る、生命の母ともいえる存在だ。また旅路を導く、星の女神でもある。

「ヨシリピテには海を司る連中も多いし、魔女もやっかいなやつだけど、俺ならうまくやるさ。巫師(ふし)はジロッカ人でなくともいいんだろ」

『当代の貴方には、苦労ばかりかけます』

 青年は生まれたときから、かの女神と共にあった。彼の一族は代々アナーヒターに仕えてきた。他の誰にもできない、天よりさだめられた使命。誇り高い役目だと思っている。

 風邪をひかないうちに水から上がりなさいと諭され、青年は笑いながら立ち上がる。ジロッカ人が濡れて風邪をひくわけがないだろうにと。

『君が“浅葱に澄む慈悲”の渡り巫師だね。なるほど位相をずらしているのか』

 ふいに背後からかかった声に、青年はとっさに振り向き、白杖を突き出す。ためらいのない攻撃を片手で軽くいなし、それは人好きのする笑顔を見せた。

『落ち着き給えよ、僕は君の味方だ』

「味方だと? 神がただの契約者と協定してなんとする」

 青年が吠える。笑顔を貼り付けたそれは、一見すれば爽やかな印象の好青年だ。ただし頭部に四本の角を生やすは、人でないことの証。

『古来より治水のために一所(ひとところ)に留まらぬ渡り巫師。一度話してみたかったのさ』


「……俺と接触し何とする」


『いやね、僕もどちらにつくべきか迷っているのさ。
この世界を破棄したも同然の魔王か、それでも抗おうとする教会宗主という男か』
 
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