BL小説2

□Gestirn hymne
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 それがどんな結果をもたらそうとも、見守るつもりだった。
 だがわずかな投石は歯車の軌道を逸らし、違えさせ、破砕させてしまった。

 擦り切れた身体と意識で、幾度体液を吐いても、観測は続けたかった。
 それももう、終わりなのだ。ああ、だがそれでいい。彼ならば託すに値する。
 轟々と燃え盛る火炎のなか、終焉の魔王は眼を閉じた。かつて愛し、ゆえに焼き尽くした世界を想って。

「運命の星とやらがお前を縛るならば、それすら灰に還せばよい」

 だから泣くな、とそう言いたかったが、果たして伝わったろうか。







 見慣れた客間、馴染んだ椅子の座面の感触、いつもどおりの香りの紅茶。
 だが目前の男は、いくら記憶を巡らせても初めて見る顔だった。

「お目もじでき光栄です。聖王陛下」

 自身をそのように呼ぶのは、教会関係者か、それに近い者。あるいは皮肉だ。

 大陸南方の諸国、諸民族を支配する強国アルヴァの王。
 ルートヴィヒ・ゾンスト=ジリオムダールは、持っていた書類を卓に置いた。同時に眼鏡を外し、あらためて目前の男を観察する。

「私はイチェット貿易の役員が来ると聞いていたのだが」

 相手はどう見ても商人ではなかった。旅慣れた者が着込む軽装に、護符のくくられた白杖はよく使い込まれ、ところどころ欠けている。

 よく晴れた夏の空色ような髪と眼の青年。褐色の肌は日に焼けている。
 その特徴は、アルヴァ最南の海の民、ジロッカ族のものだ。
 漁業や塩の採取などを主な生業とし、生まれた土地からは離れたがらない。

 塩は人類の発展に不可欠。ジロッカは塩の採取と売買で、アルヴァ王国有数の交易商会、イチェット貿易を発足させた。

 ルートヴィヒ王はイチェット貿易の筆頭株主だ。節目に役員が挨拶に訪ねることはあるが、緊急時以外に王の時間を割くようなことは無い。

「私は警告に来ました」

 男は世辞もなくそう切り出した。

「すぐにでも、北でおぞましい戦乱が巻き起こるでしょう。それは災害に近い――できることならば、兵を退かせ、国防に徹すべきです」

「イチェットが我が軍に口を出すとは。そこまで許した覚えはない」

「そのようなつもりは毛頭ございません。――ああ、だから俺には無理だ」

 突如、耐えきれなくなったように男は乱暴に頭を掻きむしる。かしこまった場所や言葉遣いは苦手なようだ。ますます、会社の役員とは思えない。

「俺はあくまで代理だ。リウォインの二人の魔女が争い、多くの人が巻き込まれる。これはすでに決まりきったこと、どうあがいても止められない」

 代理とは、とルートヴィヒが聞いても、そこだけは口を割らない。
 イチェット貿易の人間がかように、北方のことや魔女のことを言い出すのは初めてのことであった。

「神を見出し、ついに魔王を封じた貴方にならば、魔女同士の争いを止めることができるはずだ」

 警告の意図が掴めない。大陸北方のリウォイン王国とは、何世代にも渡っていがみ合う仲だ。その国に属する魔女らが衝突しようとも、優先すべきは自国の民だ。

「私に忠告し何とする。ジロッカの呪術師と見受けるが、その方らの地に影響は少ないだろう」

 まだ会話を続けてくれる、聖王とあだなされるとあって温厚な人物だ。
 普通は捕縛され、首と胴体が切り離される。あるいは警戒に値しないと目されているのか。

「教会が本格的に動き出したんだ。魔王が神々を裏切ったからだ。魔王はこの世界を棄てることを決めたんだろう」

「そういった類の訴えであらば、本人を召喚するが」

「だっ誰が、あのような恐ろしいものに……!
とにかく王よ、魔女らを争わせても無意味だ。それさえ教会の――宗主の罠だ」

 俺は忠告したぞ、と吐き捨て、青年は立ち上がる。その際に、卓の端を小刀で傷つけた。
 もうめちゃくちゃだ。貿易会社の情報漏えいを防ぐために人払いをしていたから、彼の行動を咎める者はいない。

 ルートヴィヒは若い時分によく別荘を燃やされまくったものだから、家具がちょっぴり損傷したぐらいでは許せてしまう程度に感覚が麻痺していた。

 ジロッカ人が去ったあと、やれやれと傷を確認する。客間用の卓であるから、交換しなくてはならない。

(刃物の持ち込みまでしているとは、衛兵はなにを――)

 ルートヴィヒの思考は止まった。卓には今つけられたものだけでない、五つほどの傷痕が。同じ大きさ、刃物も同種であった。
 
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