短編

□3
27ページ/40ページ

 
 魔王の力で全ての外傷が癒えたとはいえ、夕星の目は開くことはない。
 だが呼吸は浅いものの戻り、ギドはようやく安堵できた。

 背中の傷も塞がっていたため抜糸していると、つと思い出したようにエマヌエルが話しかけてきた。

「そういえば、ギド様はそのお言葉を戻すために、剛崎様とアルヴァへ行くつもりであったと、聞きましたが……」

 葦弥騨の文化をよく心得ているのか、エマヌエルは夕星の方を一切見ずに難解な医学書を読んでいる。魔女を人間にするために、人体構造をひたすら調べているのだ。

 隣の禍令は夕星の裸体をガン見しては、天狗に噛まれている。

〈そうだ。剛崎さんから、魔王に願えばなんとかしてくれると聞いた〉

 魔女らがエマヌエルを尊び、神の化身は彼の周囲で鳴く。そして実際に死の淵から夕星を引き戻した。
 たしかに、言葉を戻す程度、わけもなさそうだ。

「契約を解除することは……難しくはないはずです。ただ……言葉を戻すのは……その」

〈無理か〉

「いえ……どうでしょうか……。ギド様の言葉を紡ぐ部分は、もうトラウィスカルパンテクウトリ様が喰ろうてしまって無いのです。
新しく繋ぎ直すのは……上手くいくかどうか」

 契約とはそういうことだ。神は人間の一部を食べる代わりに、絶大な力を貸してくれる。
 払った金を返せなど無理な話だ、ギドは溜息をついた。

「魔王よ、わたくしもご協力します。アザゼルには人体の知識がありますゆえ、多少は力添えができるかと」

「えっと、僕もできる事があるならやるよ。あんまり頭良くないけど」

 まずは試しにと、神そのものを魔王の命令で喚び出す。

『青き血の逆鱗を穿つために生まれ、風に喰われて死ぬる者。待つ母の眷属よ――いでませ“灰白に滅した後”』

 特に何の問題もなく、トラウィスカルパンテクウトリは顕現した。ギドはいつもは気にならなかったが、改めて見るとその容姿は特異だ。アザゼルや天狗と違い、無機物的だ。

「トラウィスカルパンテクウトリ様……お聞き届けください。ギド様との契約解除を願います」

 殲滅の神は紅い眼をちかちかと点滅させた。その意志を魔王の肩に乗った猩々紅冠鳥が訳す。

『契約満了条件は契約者か我の死。あるいは我らの敵を討ち滅ぼすこと。――金星の裁きよ、魔王の命令は裁定者の命令に等しい。従え』

〈そんな事を言っていたな。敵って誰だ?俺にできるなら、やってやりたいが〉

 ギドの申し出に、エマヌエルが待ったをかける。それはさせられないと言う。

「ギド様は、そういったお方ではありません。この方は家族や同胞を守るお方……どうか、御慈悲を」

 エマヌエルが深く頭を下げる。天狗が警戒して唸るが、契約解除はあっさり承認された。鸛はギドの頭を名残惜しそうにくちばしで撫で、虚空に消えた。

 悪い事をしてしまった。約束を反故してしまったのだ。だがギドが後悔する間もなく、禍令とエマヌエルが浅緑の頭を掴む。

「大丈夫だとは思いますが……時間が経つほど、戻すのが難しくなります。失礼します」

 ギドの耳元でぴりっとした感覚が奔る。瞬間、凄まじい激痛がギドの頭を襲った。内部から破裂するような、かき回されるような最悪な感覚だ。
 驚きに絶叫すると、すぐに痛みは止まった。鼻からしとどに血が垂れている。ギドは目眩を拭いつ、鼻を押さえる。

「申し訳、ありません……!やはりどうしても……こうなって、しまうの、ですね」

「おかしいですね、脳に感覚なんて無いはずです。拒否反応でしょうか」

〈いいよ、これぐらいなら我慢できる。言葉が戻るなら安い〉

「ですが……うう、やはり直接見たほうが……?」

「ふふ、いいですねえ、楽しいですよお、頭の骨をぎゅいいいんががががってするの」

「ねー僕エグいの嫌だから帰っていい?」

「ちょま、まっ、いいいやああああ!!」
 
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ