短編
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「くっそーすっかり遅くなっちまった」
遠方に婿入りした友人が、子どもを見せに帰ってきたのだ。その宴会に顔出しに行ったギドは、つい楽しくなって長居してしまった。
大の大人が無断外泊しようが、気に留める者などいないが、ギドの新しい妻はなんだかんだ寝ずに待ってくれる。
「ていうか無断外泊したらころされそ」
近所迷惑にならぬよう、なるべく足音を立てず、だが速やかに歩を進める。
つと、強い風が吹いた。荒ぶ夜風は、男の持つ灯火を消してしまった。
「あ、やべやべ」
夜目にはあまり自信はない。どこぞ火を借してくれる家はなかろうか、明かりのある場所を探し、首を巡らせた瞬間。
『これは旨そうな戦士だな』
きつい血の臭いと、背筋が寒くなるほどの殺気に、ギドは脇目もふらず走った。
脚の長いギドの本気の走りに、だが声は耳元で追随する。
『何人殺したろうな、この血の香りは』
『糞蛇の加護はない。食い放題だ』
『どうせ食うならまずは踊ってやろう』
『わたしを刻んだ者への、報いと褒美と知れ』
ギドはほとんど直感で避けた。何者か、宵闇に紛れてさっぱり分からないが、鋭い蹴りが浅緑の髪を切った。
「っう、おおおッ!」
対抗するしかない。ギドも振り向きざまに回し蹴りを繰り出すが、空振った。
『わたしが勝ったら右腕をもらおう』
『馬鹿な、ここは左脚だ』
『右肺にしようと決めたろうが』
声は何故か一人で言い争っている。くだらない一人芝居のわりに、攻撃は正確だ。
(くそっ、見えないことを差し引いても強い!)
相手はポチテカ武術を使っているが、まさかギド以上の使い手がいるとは。下手に逆立ちするよりも、まずは片足蹴りで牽制すべきだ。
ギドの脚と、相手の脚がかち合う。まるで石のように固く、ギドの足はじくじくと痛む。だが加減すれば死ぬ。
『楽しいなあ、戦士よ。つい先日まで愚かな鳥籠に囲われていたのだ、もっと楽しませてくれ』
「間に合って、ますんでえええ!」
一歩飛び退いた後に跳躍し、膝蹴りとともに体重をかけて押し倒そうとする。だが相手も踏ん張る。
ギドは唯一持っていた武器と言えるもの――夕星から贈られた短刀を抜き、相手に突き立てた。
気づけば、何事も無かったかのように、静まり返っていた。風も穏やかだ。
「な……」
「何やってんだ」
背後から、夕星が灯火を持って歩いてくる。迎えの姿に安堵したギドは、断りもなく妻に抱きついた。
「おい火!危ねえだろ馬鹿!」
「だってぇー……ってああああ!?折れてる!」
手に持った短刀の刃が、半ばから折れていた。ギドは謝りながら、打ち直せるか相談した。
「ごめんなさい、ほんっとごめんなさい」
「……いや、もう駄目だな。よこせ、供養する」
夕星は短刀を取り上げ、刀身を柄から抜く。
「穢れたものは使えねえ。護り刀ってのはそういうもんだ。
テメエ、何と遭遇した?」
「えー……あー……?」
「ちっ、だからしょうもねえ契約なんざしちまうんだ。馬鹿」
とにかく帰ろうと促すも、ギドはばつが悪そうに俯く。短刀を折ってしまったことを悔いているらしい。
「あー、夕星さんから貰ったものなのにさー」
「ぐだぐだとうるせえ、女かテメエは。こんなもの、いくらでも打ってやる」
「夕星さんが優しすぎる……怖い」
「ぶちのめすぞクソ馬鹿野郎!」
すっかり腰が抜けたギドを引っ張って帰ってきた夕星に、ラートは呆れて額に手をあてた。
夜に迎えにいってもらってあげく手を引いてもらうとは、ポチテカ最強の戦士とはなんだったのか。
「ギドお前……いくつなんだ」
「さんじゅうにちゃい……」
「なあ夕星さん、本当にこれでいいのか?今から考え直したいい気がしてきたぞ」
アルヴァ最強の武将が結婚するには相応しくないというか、ドルネーク家の恥さらしな気がしてきた。
ラートの心配をうるせえとだけ切り返し、夕星は自室に戻った。