短編
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道なりに馬車を進めていると、ポチテカの集団があった。
街や村の近くでもない辺鄙な場所で、大勢の男達が難しい顔をしている。
「よお、ダリネイト家の面々じゃん。どうしたんだ」
「おおギドか。いやなあ、前の大雨で山道から落ちた馬車が、湖沼に沈んじまってなあ」
「えっ、大丈夫だったのかそれ」
父親を滑落事故で亡くしているギドとしては、他人事ではなかったが、幸いにも死人は出なかったという。
「ただ大物の商品がな……うちは骨董品ばかりだから、汚れだの破損だのは修復できるが、水に沈んだらどうしようもない」
アルヴァでも特に体格に恵まれたポチテカ族は、みな筋骨たくましいぶん、体が重くて水に浮くことができない。
しかも湖沼は大雨で水かさが増しており、泳がなければ底まで届かない。
「泳ぎの得意なジロッカ族に来てもらうにも、あいつら自分たちの街から離れたがらないから」
「そうだな、あとはキエンガの商人でも探すか?
でもどこにいるか――あ、夕星さんて泳げたりする?」
葦弥騨人は小柄な分、多少泳げるとは聞いたことがあった。
もちろん海辺や川近くに住むものほどではないであろうが。
黙っていた夕星は、不満げに答えた。
「泳げないこともねえ。せいぜい橋が崩落したストルメア大河を泳いで横断したぐらいだ」
「横断っていうけど川幅かなり広いじゃん、狭い箇所は急流だし。めっちゃ泳げてるぜ」
「雨のない時期に決まってんだろ。ただ山豹も泳いでいたから、泳ぎながら戦うはめになったな……」
「夕星さん実はけっこう面白いでしょ」
湖沼に潜って、落ちた馬車に縄を繋いでくれるよう頼むと、水が濁っているわけでもなし、夕星は了承した。
簡単に髪をまとめ靴を脱ぎ、服は着たまま縄を手に水に入る。
温暖な気候であることが幸いし、水はほどよく冷たい。火傷のある身ではむしろ心地よいだろう。
「無理すんなよ、なにかあったらすぐ上がってこい」
「はっ、泳げもしないくせによく言う」
悪態をつき、夕星は潜水をはじめた。
山崩れから日数が経過しているために、思ったよりも水は澄んでいる。目を開けても辛くはない。
水底の馬車は逆さになっている。馬は滑落途中で助かり、やむを得ず荷を切り離したという。
おそらく商品が辺りに散乱しているのだろうが、あいにく夕星には判断できない。
馬車の破損していない部分に縄をくくりつける。五本の太い縄を結ぶには、何回か息継ぎをする必要があった。
結びの強度を確かめ、水面に上がる。手を振って合図すると、屈強な男たちが掛け声を上げながら一斉に縄を引く。
「おら気張れよお前ら!あの馬車にゃ、ヘベル二十年代の装飾壺が入ってるんだ!」
夕星は縄が切れていないかを見ながら水から上がった。ポチテカ族の膂力は確かで、徐々にではあるが馬車が引き上げられていく。
「よぉーしあと少し!最後まで力緩めるな!」
「ちっ、まだるっこしい……」
夕星は岸辺にまで来た馬車の縁を掴み、無理矢理に引き寄せる。
傾いて横倒しになった馬車を持ち上げ、陸地まで歩く。
「うわっすげえ……!」
「ちょっと、高い商品があるからゆっくり――」
「あ?」
多量の水が馬車内部から漏れ落ちる音で、他人の警告など聞こえなかった夕星は、肩に持ち上げていた馬車を乱暴に地面に落とした。
様々な破砕音が響き、中には陶磁器が割れるような、いっそ可憐な音も聞こえる。
「おおう……」
「滑落した時点で粉々だって、そうたいして変わらんよ」
割れても修復できるが、水に落ちたまま諦めたら、そこであらゆる価値が失われてしまうのだ。特に学術的に重要な骨董品は、壊れても常に価値はつきまとう。
「お疲れ様、あっちで火を焚いているよ」
指示された方に行くと、先にギドが火に茶瓶を入れて湯を沸かしている。
「いやーすごかったな。怪我とかしてない?」
ギドは乾いた布を渡し、甲斐甲斐しく脚を拭いてやる。
風邪を引かないようにと服を脱がそうとすると、とたんに喚いた。
「ざっけんなテメエコラ!」
「誰も見てないって、みんな商品に夢中だ。ほら貫頭衣かしてあげるから」
「うっせーこのやろっ、くひゅんっ」
(くしゃみ可愛い〜)「だから言ったじゃん」
白湯の入った茶碗を渡し、濡れた頭を拭いて髪をまとめてやる。
新しい服を用意してやると、肌を晒すことは実に耐え難いことのようで、夕星は手早く着替える。
「終わったら上着返してな」
「……ん、もうちょっと」
何が気に入ったのか、ギドの貫頭衣を羽織ったまま返そうとしない。
急にデレられたものだから、びっくりしたギドはからかうこともできず、うん、としか言えなかった。