その他いろいろ
□雨宿り
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俺は今、とてつもなく困った状況に陥っている。
ここは三ツ橋大の敷地内…のはずなのだが、完全に迷ってしまったようだ。
ついさっきまでは学生達が行き来していたのに、始業ベルが鳴ったのだろうか?気付いた時には俺一人になっていた。
おまけに雨まで降り出して、仕方なく大きな欅の木の下で雨宿りをしている。
雨、止まないかなぁ…
鉛色の空を見上げて溜息をついていると、少し離れた建物から傘をさした人が出てくるのが見えた。
誰だろう?スーツ姿だから教授かな?でも、それにしては若そうだし…
その人は小走りで俺の方に向かってくると、無愛想にビニール傘を差し出した。
「これ、よかったら使ってください。」
「ありがとうございます。急に降ってきたので困っていたんです。助かります。」
さっきは気付かなかったけど、近くで見ると端正な顔立ちをしていて、雰囲気が俺の友人になんとなく似ている。
俺が傘を受け取ると、急いで立ち去ろうとしたので慌てて引きとめた。
「ちょっと待って下さい!」
急に引きとめられて、彼はちょっと驚いた様子で振り返った。
「何か?」
「すみません。正門に行くにはどっちに行けばいいですか?それからこの傘、どこにお返しすれば…」
彼は一瞬眉間に皺を寄せて険しい表情になったが、すぐに仕方なさそうに表情を緩めた。
「傘は大学の置き傘なので事務室に返してください。正門は、ここからだとちょっとわかりずらいので近くまで送ります。」
「あー、でもご迷惑じゃないですか?」
「職員として保護者の方を放っておくわけにはいきませんから。」
そう言うと、彼は俺を促すように歩きだした。
「ほんと、すみません。弟と正門で待ち合わせしたんですけど、早く着き過ぎちゃって。それで、大学の中を散歩していたら迷ってしまったんです。」
「待ち合わせって…前の授業が終わってから30分以上経ってますけど…」
「え〜!!そんなに経ってましたか?」
慌てて時計を確認すると待ち合わせの時刻を40分くらい過ぎている。携帯を取り出して着信を確認したが、弟からの着信はない。
「あれ?こんなに遅れてるのに何で連絡がないんだろう?」
「あ…すみません。」
謝られてしまった…何で?
とにかく、正門に急がないと。
この人、職員って言ってたけど大学の教授…には見えないし、事務か教務の職員だろうか?
スタスタと前を歩く後姿には何となく見覚えがあった。なんだか懐かしいような…
色素の薄い澄んだ目と、雨で少し湿った柔らかそうな髪…
そうだ。彼はあの時の…
小学校五年の春休み。俺は短期水泳教室に通っていた。
四月からは六年生。卒業までにどうしても25m泳げるようになりたくて水泳の練習を頑張っていた。
4日目の最終日。なんとか目標の25mを泳ぎきって、早く両親に報告したくてワクワクしながら帰ろうとした時、事件は起こった。
更衣室の一角に置いておいた眼鏡が見あたらない。目を洗ってすぐに掛けられるように、水道の側に置いておいたのが無くなっている。
水道の周りや使っていたロッカーの中を探してみたけれど見つからなくて泣きそうになっていたとき、後ろから声をかけられた。
「何か探し物?」
声の主は俺と同い年くらいの男の子だった。多分、同じ時間に違うコースで泳いでいたのだろう、髪がまだしっとりと湿っていて、茶色く澄んだ目は少し赤みを帯びている。
「眼鏡がなくなっちゃって、探してるんだけど見つからないんだ。」
「めがねー!そんな大事なもん、なくすなよ!」
「この辺に置いたはずなんだけど…」
「しょうがねーなー…俺も一緒に探してやるからそんな泣きそうな顔すんな!」
そう言って、その子は一緒に眼鏡を探してくれた。
周りにいた子や同じクラスの子にも声をかけて聞いてくれていたけど眼鏡は見つからなくて、探しているうちに更衣室に残っているのは俺たち二人だけになってしまった。
「ありがとう。もういいよ…」
諦めモードでお礼を言うと、その子はちょっと眉間に皺を寄せた。
「簡単に諦めてんじゃねーよ!」
「でも、これだけ探してもみつからなかったし。あまり帰りが遅くなると親も心配すると思うし…」
「でも、眼鏡がないと困るんだろ?」
「うん…遠くのものがよく見えないんだ…」
確かに、眼鏡がないと困ったことになりそうだ。親に良い報告ができると思っていたのに、眼鏡を無くしたなんて言わないといけないと考えたらまた泣きそうになってしまった。
「あ…もしかしたらコーチのところに届いてるかも!行ってみようぜ!」
その子は俺の手を引いてスタッフルームに連れて行ってくれた。
結局、眼鏡は忘れものとしてスタッフルームに届いていて、無事に俺の元に返ってきた。
「最初からコーチに聞けばよかったな。」
「ほんとだね。」
二人で顔を見合わせて笑いあっていると、今出てきたばかりのスタッフルームからコーチが顔をだした。
「もう昼すぎてるけど、お前ら時間大丈夫か?」
「あ、すぐ帰るので大丈夫です。」
俺がそう応えると同時に、隣で絶叫が響いた。
「やべー!午後から塾あるんだった!急がねーと!!」
「塾あったんだ。付き合わせちゃってごめん…」
最後まで言い終わらないうちに
「じゃーな!」
と軽く手を振って、その子は走って行ってしまった。
名前も聞いてないし、お礼もちゃんと言えなかった。今日で水泳教室終わりなのに…