☆彡春のエゴイスト
□梅香るころ
5ページ/6ページ
俺は今、一週間の出張という名目で福岡に来ている。
K大は思っていたよりも資料が充実していて、俺の研究分野の文献はM大よりも多いくらいだ。
学生も東京と違ってチャラチャラしたヤツはあまり見かけないから比較的教えやすそうだ。
田中教授は俺の顔を見ると懐かしそうな温かい眼差しで迎えてくれた。
教授の講義を見学されてもらい、改めて教授の素晴らしさに感銘を受けた。学生時代にがむしゃらに文学の研究をしていたころのワクワク感が蘇る。
几帳面でしっかり者の田中教授は資料集めも論文も計画的に進めるから、宮城教授のように俺の手を煩わせることもない。
文学の研究に取り組むのにはうってつけの環境だ。
ただ…ホテルに戻って一人になった時の寂しさは今までに感じたことのないものだった。
野分が留学していた頃も寂しくてたまらなかったけれど、たった一週間離れただけでこんなに寂しくなるものなのか…
家には野分の物が所々にあるから、一人でいても野分を感じることができるのだが、ここには野分を感じられる物は何もない。寂しいのは多分その所為だろう。じきに慣れる。
お互いの夢に近づくためには俺がここに来るのがベストだと思う。
だけど…一人になると涙が止まらなくなるのは何故だろう。
出張の最終日、正式な返事を保留にしたまま田中教授に別れの挨拶をした。
飛行機の時間まで時間があるから、観光でもしようと大宰府まで行ってみることにした。
大宰府には学問の神様と言われる菅原道真公が祀られていいるから、学業成就のお守りでも買って帰ろう。
広い境内を突っ切って、本殿でお参りを済ませてから宝物殿に向かおうとして、ふと足を止めた。
梅の匂い…
そう言えば、ここは飛梅伝説の地だったな。匂いのする方を向くと、八重咲きの真っ白な花を満開に咲かせた梅の木が立っている。
風で花弁が待ってとても綺麗だ。
『東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな』
道真公が大宰府に左遷される際に読んだとされる歌が頭をよぎる。
俺がいなくても、野分はきっと夢に向かって歩いて行ける。以前は出せなかった手紙も今度はちゃんと出してくれるよな?
お互いに好きなことに熱中していれば、離れていても…大丈夫…
頬に涙が伝わるのを感じて慌てて拭った。
梅の花の香りに包まれて暫し佇む。野分にも見せてやりたかったな…
「ヒロさん。」
背後から野分の声が聞こえた気がして一瞬固まった。こんなところにアイツがいるわけないのに。
もう一度花を見上げるとまた声が聞こえた。
「ヒロさん。」
野分?振り返るとそこには野分が立っていて、俺に向かっていつもと変わらない優しい頬笑みを投げかけている。
「野分、どうして?」
「ヒロさんを迎えにきました。」
わけが…わからない。コイツ、言葉が足りなさすぎ。
だけど…身体が勝手に動いて、気がつくと野分の胸に顔を埋めていた。
暫く野分の温もりを感じたあと、ここが外だということに気が付いて慌てて離れた。
野分はクスッと笑ってから、改めて梅の木に目を向けた。
「綺麗な梅ですね。」
「ああ、お前と一緒に見られて良かった。」