純情エゴイスト〜のわヒロ編2〜
□怪我の功名
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『お疲れ様です。今、仕事終わったんですけど、良かったら一緒に帰りませんか?』
『今、電車の中。もうすぐ駅に着くから、いつもの場所で待ってる。』
そんなメールをしてから、かれこれ2時間が過ぎようとしている。
地下鉄の階段沿いの壁に寄りかかったまま、ポケットから携帯を取り出した。
野分からは何の連絡も来ていないけど…多分、急患が入ってメールする暇もないのだろう。
こんなことは日常茶飯事でもう慣れているはずなのに、何時間も待ち合わせの場所を立ち去れずにいるのは、心の何処かで野分が現われるかもしれないと期待しているから。
あと30分だけ待とう…あと10分だけ…あと1分…
野分がひょっこり姿を現すんじゃないかと淡い期待を抱きながら、時間だけが過ぎていく。
野分からは30分待っても来ない時は帰ってくださいと何度も言われているのに、俺は一体何をしているんだろう…
時刻は9時を回っている。そろそろ帰るか…
会えなくて寂しいとか、連絡くらい寄こせとか、そんなことを言うつもりは全くないけれど、待ち合わせ場所から一人で帰るときの寂しさにはいつまで経っても慣れそうにない。
コンビニで弁当を買って、トボトボと歩いていると、マンションの前に見たことのある車が止まっていた。
あれは確か津森の…野分を送って来てくれたのかもしれない。
少し歩調を早めて車の方に向かって行くと、扉が勢いよく開いて津森が出てきた。
「上條さん!!」
いつものふざけた様子はまるでなく、津森は険しい表情をしている。
「津森さん?どうしたんですか?」
「何処に行っていたんですか!!野分が事故に遭って…」
事故って…
「野分が!?アイツ、今どこにいるんですか?」
一瞬頭の中が真っ白になったけれど、すぐに津森の傍に駆け寄った。
「野分は?無事なんですか?」
「大丈夫、命に別条はありません。野分の所まで車で送りますから早く準備してください。」
命に別条は無いと聞いて少しだけほっとしたけれど、野分の顔を見るまでは安心できなくて、急いで車に乗ろうとしたら津森に止められてしまった。
「上條さん、野分の保険証の場所わかりますか?俺も手伝いますから必要な物を準備して行きましょう。不安なのはわかりますが、しっかりしてください!」
医者らしいきっぱりとした口調で言われて、なんとか持ち直した。パニクってちゃダメだ。冷静にならねーと。
津森と一緒に部屋に戻って、入院に必要な物を手早くバッグに詰めてから改めて津森の車に乗せてもらった。
「家の電話は繋がらないし、大学にもいないし、家にもいないからここで待たせてもらいました。1時間待っても来ないからそろそろ病院に戻ろうと思っていたんですよ。」
「すみません。野分と一緒に帰る約束をしていて、ずっと待ち合わせ場所に…」
「一緒に帰るって…野分が病院出たの6時半ですよ!?何時間待ってたんですか。」
津森は驚いて目を見開いている。
野分が来るかもしれないと期待しながらズルズル待っていたなんて言えるわけもなく、黙ったままチラリと津森の方を見ると、津森は呆れたように眉を下げてみせた。
「上條さんらしいですね。だけど、野分の身に何かあったのかも…って発想は無かったんですか?」
津森に言われてハッとした。そんなこと、考えてもみなかった。
野分に会いたいという期待と、来ないかもしれないという不安や寂しさ、それから早く仕事が終わればいいのにという願い…ダメになったときのことを考えて期待しないように自分を抑えるのに精いっぱいで、野分の安否なんてちっとも考えていなかった。
もし、野分の言いつけを守って30分で帰っていたら、もっと早く野分のもとに駆けつけることが出来たかもしれないのに。
ごめん…野分、ごめん…
フロントガラスを通して前の車のブレーキランプが滲んで見える。
俺は野分の恋人失格だ。それ以前に人間としてダメなのかもしれない。
自己嫌悪に駆られていると、津森の手がふわりと髪に触れた。
「そんなに想い詰めないでください。上條さんの性格、わかってるのに変なこと言っちゃってすみませんでした。上條さんはそのままでいいです。野分はそんな上條さんが好きなんですから。」
「津森さん…」
「もうすぐ病院に着きますから、野分に会う前に笑顔になってくださいね。そんな顔してたら、また俺が意地悪言ったって野分に恨まれちゃいますよ。」
そんなことを言いながら津森は軽く笑って見せたけれど、目は全然笑っていなくて…
俺を安心させようとして言った台詞が、『大した怪我じゃない』とか『軽傷だから』ではなく『命に別条はない』という言葉だったことを改めて思い出した。
今は自分を責めて泣いている時じゃない。しっかりしないと。