創作小説 砂のしろ

□2章・下
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思い出していたのは、小学生の頃のとある昼過ぎのことだった。


目を開けると変な景色が飛び込んできた。珍しくもない広葉樹なのだが、根が上に伸び、葉が下に広がっている。なんだこれはと思い、動こうとすると体が痛んだ。

「大丈夫…?」

逆さまの顔がやってきて心配そうに言う。なるほど、やっと理解した。逆さまなのは自分か。
俺はゆっくり体を起こした。擦り傷は少ない。体のあちこちを打ったみたいだが問題はない。同級生より一回り小さい自分の体を眺めながら状況を分析する。

やっと起き上がることができた。頭上には真夏の青空が広がり、足元には公園の固い大地がある。首の横を生ぬるい風が通った。
すると後ろから笑い声が聞こえてきた。

「は……ははは…!ふふ…」

「アカリ…!」

目の前の少年が怯えながら注意した。
振り返ると、キャップを目深にかぶり得意気に笑う影があった。

「はは……弱いね昌平。あー…なんか数えるのも面倒になってきたなぁ。そう思わない?とりあえずボクが強いってことは明らかだよねぇ。諦める?」

「アカリ……」

「え、なに?まだやる気?無理だよお、その様子じゃあ。それともまだ懲りてないのかな?すごいね。その精神だけは誉めるに値するよ!」

声はとことん俺を馬鹿にしてくる。キャップのせいで目は見えないが、どうせ笑っているのだろう。

最初に会った時は、俺はこいつのことを男だと思っていた。しかしこれは当たり前の流れだと思う。
まず、髪が短い。俺の横に立っている陽太と同じぐらいだ。それに「アキト」という偽名を名乗り、「ボク」という一人称を使ってきた。
隣の小学校に通う俺たちには特定することもできない。

これだけ条件が揃えば誰でも間違えるだろう。というか、数日で気づいていたと言う陽太の方がすごい。俺は普通だ。
「実は女でした」とカミングアウトされた後も俺は半信半疑だ。いや、単に信じたくないだけかもしれない。

「諦めねぇよ…」

俺は呟くように言った。ここでやめたらオレが一方的にやられただけで終わってしまうじゃないか。
たかが女に一人に?それは俺のプライドが許さない。

アカリは嬉しそうに笑った。

「そうこなくっちゃあ」

俺がアカリの方に走って行こうと地面を蹴った。しかしすぐに手首を引かれた。折角つけた勢いが死ぬ。今度は後ろに転びそうだったが、何とかバランスを取った。

後ろを見ると、陽太が泣きそうな顔で俺の手首を掴んでいた。

「ねぇ!二人とも、もうやめようよ!死んじゃうよ!」

あまりにも突飛な発想だったため、俺もアカリも言葉が出なかった。一瞬の間の後、俺は否定した。

「いや、そんな簡単に死なねぇよ」

「そうだよ?昌平ぐらい何回殴ってもピンピンしてるよ。ボクの手も死なないよ?」

アカリは簡単に言った。相変わらずあのキャップ少年には慈悲の欠片もない。いや、キャップ少女か。少しは心配してくれったっていいんじゃないか。
しかしそれだと、俺がやられたことを認めることになる。したがって黙る。

「あーもう、泣かないでよ。」

アカリがそう言って陽太の元に駆け寄った。俺はアカリの、陽太の扱い方が納得できない。
俺が知る限り、アカリは陽太を殴ったことが一度も無い。何だ、この違いは。俺よりも丁重に扱ってないか、それより俺の扱いが酷すぎないか。

陽太は小さく「泣いてない」と否定したが今にも泣きそうだ。こいつの泣くタイミングはいまいち分からない。

「陽太、もしかして昨日何か見てた?テレビとかさ」

「テレビ…」

アカリが尋ねると、陽太は涙が溢れかかった目を擦りながら言った。

「昨日の夜、映画がやってたんだ……」

俺とアカリは気になって、陽太の話を黙って聞いていた。
陽太は何かに怯えるような顔で語った。

「町に突然謎の乗り物が空から落っこってくるんだけどね、中には宇宙人が乗ってて、地球にやって来たの。」

それがどう繋がるんだ。俺は聞きたい心をぐっと抑えて聞いていた。アカリも陽太が何が言いたいのか分からず困っている。
陽太は続けた。

「それで…公園で人間を観察し始めるんだけど、そこで人の喧嘩が始まるの…1対1の。宇宙人はいつまでたっても喧嘩をやめない二人をね…一瞬で殺しちゃって……うっ……」

陽太は泣きながら言った。
最後でやっと話が分かった。つまりこいつは俺たちの今の状況と、昨日見た映画を重ね合わせてているのだ。それにしても何だそのB級映画は。
横を見ると、アカリも呆れている。あまりにも馬鹿馬鹿しかったためになんて声をかけていいのか悩んでいる。

陽太はめそめそと泣いていた。本当によく泣く奴だ。

アカリが軽い口調で陽太に言った。

「大丈夫だから。映画っていうのはフィクション何だよ?作り話!つまりは嘘なんだよ、嘘。ここには宇宙人もいないし、UFOも落ちてないから!」

「で、でも」

「でも、何!ボクの言うことが信じられない?」

「う…う……」

陽太は黙った。まったくアカリのこの自信はどこから来るのか。
俺も言った。

「心配するこたあねぇだろ。そんな簡単に死んでたまるか。」

「……う、うん…」

やっと陽太は泣き止んだ。何だかんだ、俺とアカリの戦いはいつも陽太に止められている気がする。偶然なのかわざとなのかは分からないが、これが計算なら非常に恐ろしい。まぁ、ただの馬鹿なんだろう。

結局その日はそのまま家に帰った覚えがある。陽太のお陰で、あれ以上怪我を増やさないで済んだというのは少々気にくわない。だが実際にそうだったと言わざるを得ないだろう。


一段落したところで、場面が変わった。

小学生時代の幻影が消え、今度は中学時代の話を思い出す。何だか走馬灯でも見てる気分だ。

そこは病室だった。
俺とアカリと陽太は、そこで約束をしていた。そういえば、そんな約束をしたなんて思う。過去を振り返りながら、その約束の愚劣さを嘲笑う。

誰がそんな不可能な約束をしようと思い立ったのか。アカリか。陽太か。俺か。

ただそうしなければならなかった。それは必要なものでもあった。馬鹿な約束だと笑いながら、そうでもしないと生きていけないと心の底で分かっていた。


ああ、そうか。俺は自分の置かれた状況をやっと理解した。つまり俺は逃避しているのだ。過去の出来事をなぞることで、現状を忘れようとしているのだ。

陽太は死んだ。

それだけのことが俺には理解しがたく、まだ受け入れられていないのだ。

「昌平」

頭の中で陽太の俺を呼ぶ声が再生された。こんなにもはっきりと再生できる。やはり俺は受け入れていないらしい。どうしても、信じられない。

「ねぇ、昌平もちゃんと探してよ。」

「は?」

気づくと、俺は1つの薬瓶を手に取っていた。危うく落としそうになったものの、掴み直して前の棚に置く。

清潔な白いカーテンが風を受けて膨らんだ。部屋にはたくさんの器具が置いてあり、薬品の刺激臭が漂う。

ここは?

「絆創膏ぐらい、そんな奥にはないと思うんだけど……」

目の前の棚のガラスに背後の風景が写った。

高校の保健室の中、陽太がいた。動いている。喋る。生きている。

これは幻なんだろうか。夢か。前までのが夢なのか、今が夢なのか。分からない。何が起きたのか、さっぱりだった。

「昌平、聞いてる?」

陽太がこっちを向いた。たれ目気味の黒っぽい目。睨んでもあまり迫力の無さそうな、あどけなさの残る顔。いつも通りだった。

「ああ、どこだろうな」

俺は適当に返事をした。どちらが夢であるかはいずれ分かることだ。


とりあえず今はどっちでも良かった。
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