創作小説 砂のしろ
□2章・上
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中庭の時計を見て、時刻を確認した。
4時52分。時雨が職員室に入ってからもう20分が経つ。
わたしは職員室の前の壁に寄りかかり、単語帳を開いていた。週明けの月曜日には英語の小テストがある。しっかり点を稼いでおきたい。
たまに前を通る先生に会釈しながら英単語に目を通していく。
すると扉の開く音がして、目の前に誰かが現れた。
また先生かな?と思いながら顔を上げると、そこには待っていた姿があった。
「ごめん、アカリ…随分遅くなっちゃって……」
時雨は、金色の長い睫毛を申し訳なさそうに伏せて言った。
潤んだ藤色の瞳に、透き通るような白い肌。いつ見てもため息が出るほど綺麗だ。
わたしは単語帳を鞄にしまってから言った。
「いいよお!お疲れさま。どうだったの?」
「う、うん……やっぱり…説明しろって言われちゃった……」
そりゃそうだ。予想通りの答えにわたしは少し笑ってしまった。
「だよねえ!そりゃ進路希望に『家を継ぐ』なんて書いてあったら誰でも気になるよ!」
「笑い事じゃないよ……」
ごめんごめん。時雨は本気で困っているんだから、茶化しちゃいけないね。わたしは軽く頭を下げて謝った。
「いっそのこと全部話しちゃえば?入学だって親が何とかしちゃったんでしょ?」
わたしは提案してみた。しかし時雨の反応は芳しくない。
「それが…前まではうちの息のかかった人間が校長やってたらしいけど、今はそうじゃないみたいで……」
簡単に言う時雨に、わたしは少し鳥肌がたった。息のかかった、って。本当にすごい家なんだなと思う。
「なんかややこしいみたい…自分でなんとかしろって言われた……」
「へぇー…大変なんだねえ」
「……みんなに比べたら、全然そんなことないよ…」
時雨はなんだか落ち込んでいるようだ。もしかしたら、自分が特殊な立場であることに引け目を感じているのかもしれない。
「わたしでよかったら、話聞くよ?」
わたしが言うと、時雨はきょとんとしていた。どうやら意味が理解できていないらしい。
「え……?そんな、話とか、ええと…」
「まぁまぁ!愚痴でもなんでもいいよ。力になれるかは分からないけど。悩みがあれば聞くよ?」
やっと時雨は理解したようだ。ちょっと申し訳なさそうに、小さな声で言った。
「……ありがとう」
時雨は感情表現が苦手なようで、にっこりと笑うことはあまりない。それでも少し頬を赤らめて、口角が微妙に上がっている。少なくとも嫌がってはいない。
わたしはこの一年でだいぶ時雨と仲良くなれたと考えている。
わずかな顔の動きから感情が読み取れる程度に、時雨を理解できるようになった。
時雨は言いづらそうにつっかえながら、わたしに言った。
「いっ、今でも……」
「ん?今でも良いよ。帰り遅くなっちゃうけど大丈夫?」
「うん…!ありがとうアカリ…」
そこまで言って時雨は気づいた。
「あ…帰り…僕が心配しなきゃいけないのに……」
わたしは笑いながら答えた。
「わたしは全然大丈夫だから!友だちと夜ご飯食べてから帰ることもよくあるし。不審者が出ても返り討ちにしてやるよ!」
最後の一言はほんの冗談のつもりだったが、時雨は妙に納得していた。いや、そこはつっこむところなんだけどなぁ…
しかし実際に不審者が出ても、よほどの事がない限りわたしは撃退できる自信がある。護身術は小さい頃に母に教わった上に、我流の技まで開発していた。
それはともあれ。
わたしは西側の階段を指さした。部室棟がある方だ。
「あっちの、秘密の会議場所!あそこに行こうよ。」
「あ…自動販売機の裏の……?」
「そう。のど渇いたしね!このわたしを20分も待たせたんだし、ジュースの一本ぐらいはおごってくれるよね?」
意地悪に聞いみると、予想通り時雨は慌てた。
「え…ごめん……お金持ってきてなくて……」
「えっ?!まぁ、おごってもらおうとは思ってなかったけどさ…。」
しかしいくら時雨が浮世離れしてるとはいえ、無一文で家を出ているとは思わなかった。中学生じゃあるまいし…。
「何があるか分からないんだし、少しぐらい持ってきてもいいんじゃないかな」
「そ、そうだね…」
時雨は箱入り息子だなぁとつくづく思う。
「まぁいいや。行こっか!」
「う…うん!」
わたしは時雨の横に並んで歩き始めた。