中編

□甘い刹那を、もう一度
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手首に巻き付けられたパスポートは、ヒソカが遊園地に連れていってくれたことが現実だと、静かにさとすように教えてくれる。これほど心を奪われているのに、最後にはあっさり何の未練も気持ちもなく捨てられるんだと、ひっそりと思う。それはきっと、ヒソカのせいじゃなくて、私のせい。私が、本当の私をさらけ出していないから。ヒソカが興味を寄せる私は、私じゃない。

それでも、今日が消えることはないから。あの甘い刹那は、たしかに私の記憶に、心に、体に、刻まれている。

パスポートはただの紙なのに、それは私にとっては、宝石を散りばめられた豪華なブレスレットよりもずっと、価値がある。きっとばかみたいに、私はこのパスポートを取っておくんだろう。大事に、大切に。

ハサミで綺麗に切ってテーブルの上に置いてしまうと、たったそれだけのことなのに、私の中で今日一日が終わった気がした。そうして新しい一日を始めようと立ち上がろうとして、パスポートの裏側に何か書かれているのが目に入った。

瞬間、息が止まった。呼吸をするのを、私は忘れてしまった。急激に冷えていく手で口を覆って、何度かに分けて、息を吐き出した。カサ、と乾いた音を鳴らしてパスポートを取ると、震えていた。小刻みに震える指先で、きちんと広げたそこに。

《つま先立ちの君も魅力的だけど、僕は等身大の君に会いたいな》

何もかも持たずに駆け出した私は、そのままの、等身大の私だった。
 

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