中編

□気づいてお願い気づかないで
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《暇なら、明日クライアントに贈るタイピン選ぶの付き合って》
《いいよ、楽しみだ》



指定した時間をきちんと5分過ぎてから、私は待ち合わせ場所に到着した。本当はルーズなことなんかしたくないし、実際は一時間前に着いていたけど、仕方ない。それが最善だと思われるなら、私は何がなんでもそうする。
期待した私が馬鹿なのかもしれないけど、ヒソカはもちろんまだ来てなかった。そこそこ大きい円形の噴水には、私以外にも待ち合わせをしている人たちが何人もいる。
噴水のふちに腰かけて腕時計を見ると、ちょうど十分過ぎたところだった。ここに来るまで何度も頭をよぎった、ヒソカは来ないかもしれないという考えがまた頭の大部分を占めていく。そうして気分も落ち込んでいったとき、足元に黒い影がかかった。

「○○」
「…来たんだ」

口から出た言葉は、そのまま本心だった。ひどいなぁ、と楽しそうな声が落ちてくる。
スタイリッシュな格好も似合うヒソカを見上げれば、昼には似合わない艶っぽい笑みと、周りからの視線が痛かった。

「選択ミスだったみたい」
「何がだい?」

ヒソカの疑問には答えず歩き出すと、腕や肩が触れあうほどの距離で、ヒソカは私の隣にきた。まとわりつく視線は、全部女のもの。ねっとりしていて、そして妬みやひがみが渦巻いている。

「それで、僕たちはどこに向かってるのかな?」
「あと少し行ったところにクライアント希望の老舗があるの」

返ってきたのは気のない相づちで、そんな些細なことにすら気分が滅入る。私が本当はこんなに下らない女だと知ったら、ヒソカはどうするんだろう。一体どう思うんだろう。

「そういえば、僕は今日デートのつもりで来たんだよ」
「は?……っ!」

急激に引き寄せられた手は、ヒソカの手に寸分の隙間もなく貼りつけられて、はがそうとする前にそれが明らかに不可能だと瞬時に悟らされた。向かっていた方向からずれて進んでいくヒソカに、勝手にぐいぐい引っ張られていく。

「ちょっと…!約束が違うじゃない!」
「約束なんてしたかい?特別急ぎの用でもないんだろ、いいじゃないか」

速すぎる歩調に無理矢理合わせられて、腹立たしいし手だって痛いのに、嬉しくて涙腺が緩みそうになってしまう。本当は、気づいてほしい。気づいて、本当の私を見てほしい。
そんなことは、叶わないけれど。
 

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