中編
□温もりさえ、きっと嘘
1ページ/1ページ
私はヒソカのことをほとんど何も知らない。知ってるのは名前と電話番号だけで、そして電話はもう1ヶ月ほどかかってきてない。
やっぱりだめだったんだ。
付き合うのを簡単に承諾してしまったから。
こうなってしまわないように細心の注意を払ってきたつもりだった。興味の対象から外れてしまわないように、飽きられてしまわないように。
絶対に、弱いところなんか見せないようにしてきたのに。
出会ってから数ヵ月も経っていないヒソカの妖艶な笑みが頭をかすめて、じわりと熱くなる目をごしごしと擦る。
こんなことで泣いちゃだめ。もっと強くて落とし甲斐のある女にならないきゃいけない。ならない携帯なんて放り出して、綿密に計画を練って会いに行くんだ。そこでどれだけ魅力的かをアピールして、そして指先をかすめるくらいするりと逃げ出そう。
楽しそうに笑うヒソカに、もう一度会いに行こう。
馴染みのバーに足を踏み入れると、いつも私がかけているスツールに誰かがかけていた。薄暗がりの奥から二番目のそこは大体空いていて、私のお気に入りの場所だった。ヒソカに声をかけられたところ。同じスツールにかけて、ヒソカを待っていたかった。
仕方なくかけたのはヒソカの定位置のスツール。店の中が見渡せるその場所はヒソカらしい。
何も言わずに出されたギムレットを明かりにかざすと少しだけ胸が痛む。口につければやけに甘ったるく感じた。胸焼けがしそうなくらい。
「やあ、気づいてくれないなんて相変わらずつれないね」
とっさに、思いきり振り返りそうになったのをなんとか堪えた。もう一度、ゆっくりギムレットを一口飲み込むと今度は全く味がしなかった。
「ああ、でも…気づいていたのかな?僕は君にかまってもらいたくてあのスツールにかけてたんだけど」
君もそうなのかな?
隣のスツールにするりとかけてくるヒソカに息が止まりそうになる。まだ、私は興味の対象に入ってる。この移り気な男の、暇潰しのおもちゃの内のひとつに。
「…何か用?」
ヒソカの質問を無視してそう聞けば、やっとヒソカは楽しそうに笑った。そう、その顔が見たかったの。イタズラ好きの、子供みたいなその笑顔。
「ボク達って付き合ってるんだよね?だから、用がなくても君の隣にいてもいいだろ?」
「悪いけど、私は仕方なくヒソカと付き合ってるの。ヒソカがどう思ってるかは関係ないの」
さあ、早く帰らなきゃ。見たかったヒソカの顔は見れたし、こんなに弱ってるときに長い時間いたら、きっと私は私を出してしまう。そうしたら何もかもおわってしまう。
一気に飲み干したアルコールにくらくらしながらスツールを降りると、足元がふらついた。緊張しすぎてアルコールの回りがはやかったのかもしれない。スツールにつこうとした手は力強く大きな手に包まれていて、私は回っていない頭を軽く振って、なんとか今の状況を理解しようとした。でも、次に腰に回された腕に、私の頭は完全に混乱の中に落ちていった。
「大丈夫かい?君が酔うなんて、具合でも悪いのかな」
スツールにかけたまま、ヒソカは私を引き寄せた。足の間に体を挟まれて、手も腰も、強く触れられたままで。
少しふらついただけなのに、ヒソカは私を助けてくれた。それだけのことに、私は顔に熱が上がってくるのを嫌でも感じた。ヒソカの手も腕も、目の前に迫る顔も、くらくらしてしまう。
そして、やってしまった。恋しくて仕方ない、その熱をひめた瞳で、ヒソカを見つめてしまった。
一瞬だけ目を見開いたヒソカに、気づいた。自分が何をしているのか、これからどうなってしまうのか。
腕を振りほどいて店を出ても、鼓動はなりやまなかった。苦しいくらい高鳴っていて、そして一気に熱が引いていった。
何もかも、終わってしまった。