短編2

□拝啓 貴方様へ
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その日はごく普通の日であった
変わり映えのない天気。行きかう人
怪人はでるけれど、ヒーロー協会というものができてからは随分と平和な日常が人々に与えられた
いつものように人々は、会社へ行ったり、学校に行ったり、家で家事をしていたりしている
名無しさんもその一人である
毎朝六時に起き、ご飯を食べ、歯を磨き、制服に着替える。七時半に家を出る。
高校生になったら、生活が一変してしまうのかと思ったが割りとそうでもなかったことに落胆したのは最初だけだ
友達と喋るのは楽しいしバイトで稼いだお金でショッピングするのも楽しいのでまぁいいか、と思っていた


いつもは七時半に家を出るが今日はもう少し遅く家を出る
というのも、名無しさんの自転車は昨日パンクしてしまったのだ
今は修理に出しているため、今日の登校はバスだ
たまにはバスもいっか、と能天気なことしか考えていない
イヤホンを耳につけ、家を出た

「いってきまーす」

「いってらっしゃーい」

そんな母の声を聞こえてから、音楽プレーヤーの電源をつける
それから歩いて十分程でバス亭に着く
バスがくるのはあと数分だ
名無しさんは何にでも時間に少し余裕を持たせるのだ。早く行って損することはない。たまに友達に遅刻されて待ちぼうけするときはあるが
一曲目が終わり、二曲目の一番が終わったところでバスが来た
ICカードをタッチさせ、扉のまん前の席がバスを乗る時の名無しさんの席である
理由は特にないが、いつもその席に座っていた
音楽を聴きながら外を眺めていると時間の感覚がすっかり失われる
バスの停車でなんとなく、ここはどこで何時何分なのかを掴んでいた
自転車ではなく、バスからみる風景はいつもと違うおかげで暇になることはなかった


「(今日授業何あったけ・・・)」


そんなことをぼんやりと考えていた
他にも友達に話したいこと、今日のお弁当、観たいテレビ。
そして何度目かの停車をした頃に異変が起こった
バスが留まり、ドアが開いて入ってくる人がICカードをタッチしたりしている
当然名無しさんは窓の向こうを見たままであった


これは、おそらく名無しさんが余所見をしていたとかそういうことではない。ただ単に席が悪かったのだ。それだけだ


「ん・・・?」


不自然さに気づいたのは最後の人が入ってきてからだ
最後にバスに乗ってきた人は、田舎には目立つ黒いシルクハットに白い手袋をしていた
ちょうど十九世紀の外国ならば自然なのだろうが、あいにく今の時代にはそぐわない
だが今の時代、どんなことでもオシャレとなっているので格好に関しては最初に驚いただけだ
名無しさんがギクリとしたのは、その紳士風な人が自分の真横につり革を握って立つのだ
他にも席は空いているはずなのに
立つにしてもさすがに近すぎではないだろうか?
大きな影が名無しさんを隠す
気分紛れに携帯を開こうと思いバッグへ手を伸ばした瞬間


「――!!!」


何が起こったのか、周囲は理解できていなかった
突然のことに言葉がでない


「ハッハッハ。皆さんいい反応です。そのまま静かにしていてください」


声からして、その人は男であった
白い手袋をした手は、片方は名無しさんの首下、もう片方は外が明るいにも関わらず銀色に光るナイフであった
そのナイフは名無しさんの額に当たっている
当たっているだけなので血はでていない
すぐ後ろにはピエロのように不気味に笑う男、という名無しさんの状況にやっと周囲が理解し始めた頃、女の甲高く耳が痛くなるような絶叫がバス内に響き渡った


「うるさいですよ。貴方。今すぐこの場を汚くしたくないでしょう?」


ナイフが名無しさんの額を撫でる
名無しさんはその冷たさにゾッとした。それに加え呼吸も短くなってくる
周りの世界が滲んで見えてきた
先ほどまでごく普通の生活で、ごく普通の風景だったのにこの場はどうだろう
恐怖がバスの中を占領していた
人々は顔を青ざめ、名無しさんをみている。運転手は今にも気絶してしまいそうなくらい気が狂っている
名無しさんはなんとか指先をピクピクと動かせるようであった。それは自分の意思で動かしているのではなく。痙攣しているようにも見えた
誰もが言葉を発せられない中、一人席から重い金属が落ちる音と共に立ち上がった


「・・・何が目的だ?」


凛とした勇ましい声に名無しさんはそちらを見た
ナイフのように鋭くはなく銀色に光る甲冑に、彫りの深い目。腰には刀を携えている
A級ヒーローのイアイアンだ
刀は握っていないが、身構えている
まさかこんなバスにA級ヒーローが乗っていただなんて
人々には希望が顔に表れていた
名無しさんはまったくイアイアンが乗っていただなんて少しも気づかなかった
それは名無しさんが周りを見ていなかっただけで、他の人は気づいていただけだ
ヒーローがいる。それだけで名無しさんは安心しきって少しだけ力が抜ける
男は、A級ヒーローをみても臆しておらず調子は変わらない


「おやおや、まさかヒーローが乗っているとは気づきませんでした!もっと面白くなりそうですね」


肩をすくめて笑っている
落ち着いた様子で、しかしナイフを持つ手は緩めず話し続けた


「申し遅れました。私の名はカームと言います。」

「自己紹介はいい。目的は何だ。どうしたら人質を離す」

「質問が多いですね。まぁ答えますよ。そうですねぇ・・・私はね、ヒーローが嫌いなんですよ。えぇ、本当に嫌いです」


調子よく話していたが、ヒーローの話題となるとカームと名乗る男の声は低くなった
お調子で話していたのにその変わりぶりに周囲は何か怖いものを感じる
だがすぐ元の調子に戻った


「目的は、ヒーローというものをぶち壊すことです」

「貴様一人でヒーローを潰せると思うのか?」

「えぇ。えぇ、潰せますよ。少なくとも、ヒーローが無能ということを世に知らしめることは」


口の中が見えるほど開け、笑った


「そうですね!せっかくヒーローが同乗していただいていることですし面白いゲームに彼も参加していただきましょう!」


革靴を地にリズム良く叩き、楽しそうだ
ナイフの刃が名無しさんの額を横一直線に、傷つかない程度になぞった
ヒッという押し込んだ悲鳴を小さくあげた
イアイアンは眉間の皺を深くする
彼の目はまっすぐに名無しさんをみていた
「大丈夫だ」と目で訴えかけるように
名無しさんも縋り付くようにイアイアンへ視線を外さない


「運転手さん。このままヒーロー協会へと向かってください」

「はっはい!!」

「何をしたい。協会へ向かったところでどうせ貴様は取り押さえられるぞ」

「わかっていませんね。言ったでしょう、ゲームだと。



さぁ始まりました!ヒーロー、イアイアンによる命の選択ゲーム!!」


「何?」

「説明しましょう!今から貴方には選んでもらいます。この女の子の命か、この乗客員か」

「言っていることが理解できないな」

「簡単です。このバスはこのままでは協会に突っ込ませ、おそらく全員死ぬでしょう。しかし、この女の子を犠牲にしてくれれば私はこの女の子と共に自害します。さぁどうします?この女の子の命を選ぶなら今すぐ離してあげますが」

「・・・」


周囲はイアイアンの様子を伺っている
彼に焦った様子はなかった
しかし内心では焦って、必死で考えていた
やっかいなのは、この男が自分は死んでもいいと思っているところであった
これがもし怪人であったなら彼の得意な居合い斬りで事は済んだだろう
だが本人も死にたいと思っているなら違う
斬った瞬間に、道ずれのように名無しさんのことも殺すだろう
乗客の命か、女の子の命か
どっちを選んだとしてもヒーローとして死ぬ
たった一人の女の子も助けられない
大勢の乗客を助けられない
イアイアンは必死で思考を巡らせていた
なんとか、ここにいる全員を助ける方法を
どちらかの命を選ぶなんて選択は、一切なかった


「さぁさぁどうしますヒーローイアイアンさん!協会がみえてきてしまいましたよ!!このままでは全滅ですハハハハハハ!!!」


カームはすっかり興奮しているようだ
名無しさんの首を絡ましている腕に力が入っている
苦しそうに名無しさんが喘いだ


「!やめろ!!」

「おっとすみません。ゲームの最中でキャラが死んでしまうなんてつまらないですものね」


涙がぽたぽたと落ちて行く
名無しさんは我慢できなくなった。恐怖から、焦りから
本当に自分は助かるのか?
時間が経過していくにつれ名無しさんの不安な気持ちはどんどん広がって行く
嫌だ、死にたくない、でも、周りの人が死ぬのも嫌
不安の気持ちから、名無しさんの何かがぷつりと切れる


「・・・っ!!」


手をギュッと握り、脇をしめる
そのまま肘を後ろへ思いっきり押した
つまるところエルボーである
ちょうどカームと名無しさんの身長差だと、名無しさんの肘はみずおちへと入る


「グッ・・・!?」

「!!」


相手がよろめく
その隙にイアイアンはカームに詰め寄り、名無しさんは前へ走った
得意の居合い斬りにより、男は倒れた
鼻をくすぐる鉄の匂いと拍手の音


「(血の匂い?)」


倒れた男からは血など一滴もでていない
相手が怪人なら容赦ない刃が怪人の身体を斬るが、人間ならば峰打ちにしている。血など出るはずがない
イアイアンが振り返ると、名無しさんが右手を左手で押さえている
その手には血が溢れ、地に滴り落ちている


「大丈夫か!?」

「あ・・・大丈夫・・・です」


大丈夫、といっている割には名無しさんの表情は歪み、痛そうだ
血は止まる様子はない
イアイアンが名無しさんに駆け寄る
そして白いハンカチを取り出した
白いハンカチは名無しさんの右手に乗せられみるみる赤く染まっていく


「失礼するぞ」


イアイアンがしゃがむ
そして右手と口で器用にハンカチを結んだ
金属の音を立てて立ち上がる


「・・・すまない。怪我させてしまって」

「い、いえ!それよりハンカチが」

「応急措置だ。このあとすぐに病院へ行くんだ。見るところ、結構深い」

「そういうことではなく・・・。ハンカチ、ごめんなさい」

「そんなこと気にしなくていい。俺が守れなかったのが原因だ」


この日のことは一日ニュースになった
その後名無しさんは病院へ行き、五針ほど縫う怪我であった
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