短編3

□玲瓏の世界を踏みしめて 後
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夢か、現実か、またはその間か
ぼんやりとする視界に、あの時の群青色に浸食されてゆく橙色の空が映った
数回瞬きをしながら首を起こす
寝っ転がっている自分の体に、見覚えのある灰茶色の布が見えた
ここは、またあの夢の世界なのか、と上半身を起こした
ハラリ、と灰茶色の布が落ちる


「!? ……?」

「だっ、大丈夫ですか……?」


横を振り向けば、あの時助けた少女がいた
ガロウはその少女を知っている
隣にいつもいた少女だ
彼女の名前を呼ぼうにも、驚きと混乱で声が出ない
ここは夢、なのか
ガロウは自分の頬を殴る


「えぇ!? やっぱり大丈夫じゃないです!?」


頬骨が痛いし、拳も痛かった。これは夢ではない
よくよく見れば灰茶色の布はかけられていただけで、自分の恰好は普段通りのボロボロの黒いタートルネックだ


「俺は、一体」

「え、えぇと。えと、貴方は怪人と相打ちになりまして、その……気を失っていたのでここへ運びました。」


敬語で、しかもオタオタしながら話す名無しさんに違和感で胸が痒い
いつもなら……気軽に、明るい調子で話していたのに
ここは現実。現実に、夢の世界の住人なはずの人物がいるだなんて
ガロウは暫し冷静でなれないでいた


「お前、名前は」

「えっ。……名無しさん、です」


本当に、名無しさんなのだとガロウはその事実をゆっくりと心へ染み渡らせてゆく
いや、いや、いや。冷静になるのだ。浮かれてはいけない
あれはあくまでも夢の世界。夢ではガロウと名無しさんは交友関係であったが現実は違うのだ
ここでは、二人は初対面なはずだ


「何で俺を助けた?」

「……貴方、ガローさん……ですよね?」

「!!」

「私、貴方を知っています」


名無しさんのほうへ振り向く
名無しさんは俯き気味に震えながら言った
どうして、彼女が自分のことを知っているのだろう。どうして、名前を知っているのだろう
"ガロー"
語尾を伸ばしてしまう彼女の癖は現実でも同じことだった
懐かしい響きに耳を傾ける
名前を呼ばれたことと、ひょっとして、もしかして、という期待がガロウの心拍数を上げた


「ヒーロー狩りのガロー。……学校で、その人を見かけたら速やかに協会へ通報してくださいって言われてて」

「……は?」

「顔写真も載せられていたので。それで貴方のこと知っていました」


ひょっとしたら、名無しさんも、夢の中で自分に出会っていたのでは
そんなことは一切なく、なみなみと注がれていた期待が一瞬で流された
全身の力が抜けてゆく
二人同時に夢の中で出会った人物に、現実でも出会うなど、漫画や映画だけである
名無しさんが、落ちたブレザーを拾いついた砂をはたき落としていた


「なら、ンで助けたんだっての。普通、協会に通報するだろ」

「まぁ確かに。あのまま放っておいて救急車で運ばれても、同じことになっていたと思います」

「じゃあ」

「……そうなると、貴方が困ると思いまして」


見たことのある、懐かしい笑顔に心臓が跳ねあがる
顔を見られないように、自分の足先の方へ頭を向きなおし目元を隠す。感情を悟られないようにだ
これは夢ではない。現実。現実なのだ
自分に必死に言い聞かせる
それでも、名無しさんに縋って、自分の望む言葉を欲してしまう


「放っておけばよかったのによ」

「えぇー、だってそうしたらガローさん協会へ捕まってしまうんでしょう?」

「そのほうが良かったンじゃねーのか」

「だって、ガローさんは命の恩人ですから」

「別に、テメーを助けたつもりじゃねーよ。あの怪人の言ってたことにムカついただけだ」

「でも結果としては助けてくれました。なので、少しでもお礼したくて」


目元を隠す手に力が入る
きっと今は、感情の制御ができていない
バレないように鼻を一回すすり、伸ばしっぱなしだった足を地につけた
目元を隠していた手を下げ、名無しさんと視線を合わせる
そして、横へ目配せをした
"座れよ"という意味だったが伝わっただろうか


「お、お邪魔します」


伝わっていたようだ
名無しさんが隣に座る。何だかこの空間が暖かい気がした
何を話せばいいのか、ガロウは考える
俺はお前に会ったことがある
お前に、親切にしてもらった
隣の席だった
菓子をもらったことがある
ジュースをもらったことがある
いいや、話しても奇人だと思われるだけだ。やめておこう
すると、腹がかすかに音が鳴った。ガロウの音だ
そういえば、自分は元々食料を目指して町へ出ていたことを思い出す


「おい、何か食い物持ってねぇか」

「食べ物……ですか」

「命を助けたんだ。それぐらいもらってもいいだろ」

「えぇと、こんなものでよろしければ」


差し出されたのは、筒状の箱に入った菓子であった
"じゃがこ プリン醤油味" 。見たことのあるフォントで、見たことのある名前であった
これも現実にあったとは。思わず笑みが零れた
一体どんな味がするのか
蓋を開け、一飲み干すように一気に頬張った
バリバリと硬い触感と、カスタート味の中にどこか磯の風味が口内に充満する。甘いような、しょっぱいような
なるほど、これは。


「クッッヒョマジビィジャベェバ!!」

「えっ!? え!? 何!?」


飲み込めない。身体全体がこの固形物を体内へ入れることを拒絶している
それでも何とか力を振り絞り、全身全霊をかける思いで喉の筋肉を動かした
後味だけを口内に残し、固形物は見事胃へ到達する


「お前……こんなの食ってんのか……? 正気か……?」

「えぇ!? わ、私は結構好きなんですが……の、飲み物いりますか!?」

「それはいい!!」

「うえぇぇぇごめんなさい!」


チラリと名無しさんの鞄から見えた、知っている缶。それは今はもういい
はぁ、とため息を吐いて空を見上げた
夢の中ではあんなに興味があった食べ物が現実でこうも不味いとは。想像以上に不味い
しかし、それでも思うのだ。これが名無しさんが好きな味だったのだと
異常な味覚の持ち主とも知れたので、食べたことにはさほど後悔はしていない
夕日が消えかかってゆく


「あのよ」

「はい?」


言葉を躊躇する
現実で、あのくだらない質問をするつもりなのか
夢の中の名無しさんは所詮ガロウが作り出した、都合の良い相手でしかなかった
夢の世界と現実の名無しさんは違う
平凡に、平和に過ごしている本当の名無しさんなのだ
それでも、聞きたかった。本当の名無しさんが自分の思想についてどう思うのか
そう、例え反対されたっていい。肯定は、ないだろう
ハッキリと自分のしていることは最低だと、最悪だと言ってくれればいい
そうすれば、名無しさんと自分は別の世界に住む人間だと区別できるし、名無しさんに縋ったりしようとしない。暖かい言葉もいらない
蔑んでくれれば、名無しさんのことを忘れられる


「俺がしてること、お前はどう思う」


視線だけ名無しさんにやる
あぁ、あの時と同じ表情だ


「うーん……まぁ、悪いことだとは思います」


ガロウは口角を上げた
それでいい。もっと俺を否定してくれ


「人を傷つけることはいけないことだとだし、ガローさんの目的も分からないです」


これでもう心残りはなくなった
立ち上がろうと、膝に力を込める


「……でも、ガローさん自身はそんなに悪い人だとは思えないんです」


予想外の言葉にガロウの動きが止まった


「だって、私の命を助けてくれました。それだけじゃないです。じゃがこプリン醤油味を全部食べてくれました! プリン醤油味を全部食べ切れた人に悪い人はいません!!」


目を丸くした。そしてついに笑いが我慢できなくなり、大声で笑ってしまう
突然笑い出したガロウに名無しさんは驚き狼狽した
笑う衝撃で怪我が痛み、少し蹲る
ジワリ、と包帯に血が滲んだ
悪い人ではない? 何を馬鹿な


「そりゃ命を助けてやればそう見えちまうのかねぇ。可哀想だな、オメーも」



学校にすら、指名手配されているガロウを「悪い人ではない」だなんて
自虐的な笑みが止まらない
本当に、人質を助けるつもりはなかった
もしあの時、怪人を無視していたら
もしあの時、街へ出ていなかったら
もしあの時、食料を求めていなかったら
いいやそれだけではない
もし、人質が名無しさんでなかったら
もし、名無しさんがガロウを放っておいたら
たくさんの"もし"の可能から、今がある
少しでも何かが違っていたらこうして名無しさんが隣にいることはなかっただろう


「俺なんて、いなくなったほうが世のタメになっただろうな」

「そう、だったとしても」


名無しさんが立ち上がる
数歩先へ歩き、振り向いた
ガロウが息を呑む


「私は、ガローさんに生きてて欲しいですよ」


風が吹く
暖かい光を風が運んだような気がした
活溌にに笑う名無しさんがとても眩しくて、綺麗で、自分と同じ地を踏んでいるとは思えない
足に力が入る
それでも、今だけは名無しさんと同じ世界にいるのだと実感するように


「それじゃ、私は帰りますね。お気をつけて」


名無しさんが遠のいてゆく
世界が離れていくのを見つめていた
充分すぎるほど、言葉をもらった。満足だ
……いいや、まだしていないことがある


「おい!」


後ろから叫ぶと、名無しさんが振り返った
急に照れ臭くなってきたが、呼び止めたのだから言うしかない
一回、深呼吸をする


「ありがとな、名無しさん」


やっと、彼女の名前を呼べた
名無しさんはもう一度笑い歩いて行った
もう名無しさんの姿は見えなくなったし、空も群青色に染まっている
玉が透き通るほど美しい世界に、触れることができただけで満足であった
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