短編3

□素直ではない僕たちに
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深夜23時半過ぎ
氷の世界のようなシンとした部屋にシャワーの音が微かに聞こえる
心臓の高鳴りは先ほどよりは落ち着いたが、まだ止まなかった
この現実に夢を見ているのでは、と思うほど頭が軽くなりソファから動けないでいた
多方向から様々な考えが走り寄せる感覚に頭を掻く
思い切った行動を取ってしまった
恋人を家に、しかもクリスマスの日に泊めるなんて誘っているようなものではないか
下心が見て取れる
いや、いや、いや。本当に、もう遅いから帰らせるのも心配で、こんな時間だし、家に着くまでに終点が終わってしまうかもしれなかったし
だが、心配な気持ち百パーセントだったか?と問われると下を俯いてしまう
名無しさんは断らなかった
ということは、嫌ではないと思っていいのだろうか
思考を上書きし続けるのを止めたのは脱衣所の扉の開く音だった
でか過ぎるバスローブを着て名無しさんがでてきた。きちんと乾かしていないのか、髪が半分しか乾いていない
視線を合わせようとせず、黙って僕の隣に座る
他人が、愛おしい人が、普段の自分と同じ匂いがすることにおかしな気持ちになる


「お先、ありがとうございました」

「うん」

「……」

「……」

「……アマイさんは、入らないんですか?」










まずい状況になっている
降りかかるシャワーをそのままに、壁に両手をつき排水される様を見つめていた
初めての仕事にも、初めてのライブにも、初めての主演映画でもこんなには緊張はしなかったはずなのに
大衆の前で恥を掻くような恐怖心も湧いて出てくる
しかし、ここまで来てしまったのだ
もはや逃げるなどという愚かな行為はしたくはない
覚悟を決め、シャワーから上がる
鏡に映る自分は、いつもの自分ではない気がした
アイドルで、ヒーローとは思えない情けないアマイマスクだ
たった一人の人間に、ここまで狂わされるとは
頬を叩く
意を決して、脱衣所から出た


「……名無しさん?」

「……」

「名無しさん」

「……」


産まれて初めて、絶望で膝をついた
シャワーから上がると、名無しさんは先ほどまでソファに座っていたのが、身体全体を伸ばして寝息を立てている
確かに、僕はシャワーの時間が長かった
だがこんなことあっていいのだろうか
先ほどまで覚悟していたのは何だったのか
期待、不安、羞恥、緊張、愛欲、痛恨
泡が次々と膨らむように出てきた色んな感情が、一気にパツンッと弾けて消えた
名無しさんは、あそこでずっと僕を待っていてくれた
それだけで充分ではないか。その先を望むだなんて、傲慢すぎる
きっとすごく疲れていたのだろう
後三分で二十五日が終わろうとしていた
名無しさんを抱き上げ、ベッドへ運ぶ
せめて、このまま抱きしめたまま日を終えることは許してほしい
無防備な寝顔に、こちらも眠気が来て頭が重くなる
そういえば、大事なことを忘れていた
ベッドから出て机の上の小さな箱から指輪を取り出す
静かに戻り、名無しさんの左の薬指に指輪をはめた。サイズもピッタリだ


「メリークリスマス、名無しさん」


額に軽くキスを落とす
朝、名無しさんは指輪に気づき喜んでくれるだろうか
目が覚めるのは、自分と名無しさんどちらが最初だろうか
どちらにしても、一日の最初に会えるのが愛おしい人なことは幸せだ
時刻は二十四時。クリスマスが終わりを迎えた
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