ご趣味は何ですか?3

□八十六発目
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「嘘ついて大会に出場したこと…。俺のこと秘密にしといてくれ」


人差し指を口元で立て、内緒のジェスチャーをスイリューへ見せる
スイリューは呆気に取られたが、目の前の絶望を壊したのがこの男だと思うと思わず笑いが起こってしまう
こんな、飄々とした男に、あの怪物が
自分もなれるだろうか。こんなにも輝くようなヒーローに


「…弟子にしてくれないか」


フッとサイタマは笑う


「絶対に断る」


断言し、サイタマがスイリューへと背を向けた
暫しはその後ろ姿を見つめていたが身体の体制を変え、仰向けになる
大きな空に見下ろされるのは気持ちが良かった
先ほどまで光を求めていたはずなのに、今では水色の空でさえ眩しくて目を細めてしまう


「眩しいね、サイタマは」

「君は……」

「物理的にも眩しいけど」


自分の発言に笑っていたが、すぐさま後ろを見て人がいないことを確認した
スイリューの傍へしゃがみ込む


「名無しさんちゃん!? どうしたのこんな所に」

「いや、サイタマの大切なことって何だったのかなぁって。そういうことか」


名無しさんの登場にスイリューは驚く
いって、と呻くスイリューに名無しさんが駆け寄り顔を覗き込む
大丈夫だよ、と一声かけ頬を掻いた
自分のこのような姿を見せていることに対しての羞恥からだ
両足、片腕が折れているためもう一度体制を変えるのは無理が強いられるためこのままの姿勢でいることにした
名無しさんが尻を床に着け座り込む
そしてサイタマが向かっていった方面を見つめていた


「サイタマ君の知り合いだったのかい」

「そうですね。というか今日はそもそもサイタマの試合見に来ていました」

「そうかぁ……」


二人の関係についてスイリューは深く聞かないことにしておいた
せっかく輝いたヒーローとしての彼の光を下げることはしたくない
この子に……子供に手をもう出しているのだろうか? いいや! そんなこと彼はしないだろう!
最悪な想像をし、首を振るスイリューを名無しさんは不思議そうに見つめた


「サイタマってすごいヒーローなんですよ。本当に」

「そうだね。未知の力を感じたよ。彼といい勝負ができると言っていた自分が恥ずかしいくらい」


もう一度空を見る
狭い世界で自分が強いと思い込み、希望の存在を必要せずただただ自惚れていた
大きな空を見ると、そんな考えさえも間際らせてくれる
穏やかな風が、傷で熱を持った体を撫でつけ少しヒリヒリした


「愚かなことに、サイタマ君と気持ちさえ分かるって思ってしまったんだ。楽しいことを求めるその気持ちが。……今になって思うと、こんな俺なんかが彼のことを分かるだなんて、サイタマ君の立派な精神を汚してるにも等しいことだ」


弱い本音を誰かに吐露することで、傲慢であった心が小さくなっていくようだ
静かに聞いてくれる名無しさんにも感謝だ


「うん、分かります。サイタマって普段はあんなだけど……ヒーローとしてのサイタマは純粋で、高潔で、まさに希望の光って感じ」


名無しさんがヘラリと笑う
本人には絶対言えない本音だ


「私には、サイタマが眩しすぎて時々見えなくなる時があります。でも、だからこそ私達の関係があるのかなって」

「俺は君達の関係は分からないけど……眩しいってのは俺も同じだ。だから強く惹かれてしまった。彼のように輝きたいって思って弟子入りを申し込んだんだけど、あっさり断られちゃって」

「まぁサイタマには既に手のかかる弟子がいますから」

「そうなのかい?」


サイタマについての会話は途切れる事はなかった
スイリューは大怪我の痛みも忘れて名無しさんとの会話を楽しんでいた
会話が終わってしまったのは、布がはためくような音からだった
二人が見上げる。そこには全長五メートル程にもなるダチョウのような個体が飛んでいた
ふわりと、風圧だけを起こし二人の前へ着地する
ダチョウにしては足が短く、嘴も鋭い


『スタジアムが静かになったから様子を見に来たが……何という事だ』


ダチョウのような鳥が喋る
首がゴウケツの方を向いていたのでゴウケツの頭を見つめているのだろう
瞳が真っ黒で焦点が分からなかった
怪人だ! すぐさまスイリューは思う


『貴様らがやったのか』


長い喉から発せられる声は心地悪いものであった
スイリューの体が痛みを思い出す。折れた足が、片腕が、身体全身が震え始めた
痛みから? いいや、これは恐怖からだとスイリューは自覚している
この怪人は強い。おそらくゴウケツと同じかそれより少し弱いくらいか
様々な怪人と立ち会ったからこそ分かる、怪人の強さのレベル
スイリューには完全に焦りが出ていた。歯が震え思考が上手く回らない
ただ、根底にあるのはどうやって名無しさんを逃がそうか。そう考えている
この状態では勝つのは勿論の事、戦いにだってならないだろう
ならどうやって名無しさんを逃がす?
自分自身が逃げることなど、考えてはいなかった
サイタマの光に触れてしまった。だから、自分も彼のように――


「名無しさんちゃん。……俺が奴の気を引くから、名無しさんちゃんは逃げて」


スイリューは死を覚悟した
それでも構わないと、誰かのために死ぬことがむしろ誇らしいとも思う
自分が必死になって、それで一人の命が助かるだなんて。そんなの、すごくヒーローらしいではないか
自堕落で傲慢な人生を送っていた自分が、最期にヒーローらしいことができる事へ感謝したいくらいだった


「……」

「名無しさんちゃん?」

「……」

「名無しさんちゃん!」


名無しさんは、ダチョウのような怪人を見上げていた
怪人も名無しさんを見ている
スイリューは名無しさんの名前を呼び続ける
名無しさんが強いことは確かにこの目で見たが、この怪人を対するなんてことは無理だ
サイタマは既にどこかへ行ってしまった
なら……自分が、どうにかするしかない


『何だ小娘。どうして儂を見る。恐怖で動けぬのか?』

「……」

「名無しさんちゃん! 早く逃げ」


怪人の嘴が、見えぬ速さで名無しさんへ貫いてゆく瞬間をスイリューは反射的に目を瞑ってしまった
ドズンという大きな音と冷たい液体が自分へ降りかかる
涙が止まらなかった。自分のせいで命が失われるという重い責任が圧し掛かり呼吸さえできなくなる
自分が無力なまま死んでいくのがどうしようもなく、悔しくて、怖くて、堪らない


「……ダチョウって食べられるのかなって考えてたけど、食べられなそうだな」

「えっ」


想像していない声に、スイリューは目を開け顔を上げる
そこには、首がない怪人と無傷な名無しさんが立っていた
ポカン、と口を開けてしまう
ここにいたのは確かにスイリューと名無しさんとあの怪人だけ。他に誰もいなかったはずだ
誰があの怪人を? しかも一瞬で?
まさかこの名無しさんが?


「プッ……アッハハ。本当、俺情けないな……世界も広いし……女の子に助けられちゃうなんて。自信なくなっちゃうよ」

「そんなことないですよ」


名無しさんが振り向き微笑む


「命を捨ててまで私を守ろうとしてくれたその覚悟、確かにヒーローですよ」


呆気に取られて名無しさんを見つめ続ける
まだ心臓がバクバクしていた
先ほどの恐怖の余韻? いや、圧倒的強さへの興奮だ
まるで、小さい頃ヒーローを眼前に見た時のような――


「っと、私はそろそろ帰らないと。お大事に、スイリューさん」

「あ、待って」


言葉は、ヒーロー協会救急隊員達の足音でかき消されてしまう
いつの間にか名無しさんがどこかへ行ってしまった
彼らが自分に声をかけているのもスイリューは聞こえていない
しっかりと目に焼き付けた、サイタマと名無しさんの姿を思い返し改めてヒーローとしての覚悟を決めていた
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