短編2

□強ければいいじゃない
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※失恋注意


「もーまた怪我してる」


怒った顔でいつも絆創膏をくれた


「スイリューすごいね!」


目を輝かした顔でいつも褒めてくれた


「スイリューといると楽しいよ」


笑った顔で隣にいてくれた
けれどそんなことは小さい頃の話で、時が経てば紙にでも書かない限り人の記憶からは消えていく。言った本人は覚えていないだろう
案外、口に出した言葉というのは言われた側が覚えているものだ
きっと名無しさんは俺がそんな言葉で一々嬉しがっていたことなど知らないだろうし、そんな言葉をかけたことでさえ覚えていない
でも言葉は消えないものであるから君は変わらず


「スイリューまたすごくなったね」


そう言ってくれた
小さい頃は名無しさんに褒められたかったし、名無しさんの中で一番の男でいたかった。名無しさんの誇りである存在でいたかった
しかし時が経つということは人との巡りも増えるわけで、世界が広がるというわけで
俺の傍でいつも笑っていた幼馴染はいつのまにかいなくなっていた
今いるのは、幸せを謳歌する誰かの女であった


「この前ね、彼ったら靴を逆に履いてたの」


俺が知らない顔で、俺が知らない場所で名無しさんは楽しんでいる
特に腹立たしいだとか、怒りの感情はない。だって小さい頃より良い顔で名無しさんが笑うから
ただ、何も感情が浮かばなくなっただけだ
頭の中がからっぽになり言葉の一言一言を理解をする前に名無しさんが次の話をするものだから、話は聞いていないに等しい
いや、俺は悪くないか。名無しさんが構わず口を走らせるのがいけない
けれど他の大切な男ができてもこうして俺と会ってくれているという事実だけは嬉しいということはわかった
その男といてもいい時間だけど俺といる。その事実に喜ばずにはいられなかった


「あ、名無しさん。やっぱりいた」


男の声に俺も名無しさんも振り向いた


「あれどうしているの!?」

「もーきちんと携帯見てよ」


男が促して名無しさんは携帯を見た。すると驚いた顔を一瞬と目を垂らして嬉しそうな顔
決まって目を垂らすときは喜んでいる時だ


「ごめんね気づかなくて」

「いいんだよ。ここにいると思ってたし」


俺は振り向いたのは少しだけで、二人の会話が始まった時点で正面に向きなおした
飲みかけのアイスカフェオレのストローをクルクル回す。回る氷は狭い世界を反射していた
ハタから見たら蚊帳の外。自分だってそう思う
でも慣れてしまったのはいつ頃からか
周りの視線も対して気にならなくなった


「ごめんねスイリュー。せっかく来てくれたのに」

「いいんだよ。楽しんできてねー。俺もこれからどっか行こうと思ったし」


手を振って、笑顔で名無しさんを送る
自分はまだ残っている飲み物を飲み終わってから店を出る予定だ
名無しさんも同じように笑顔で俺に手を振った
きっと名無しさんは知らないだろう
隣にいる男がどんな顔をして俺を見ていることか。見て、とそんな優しいものでは片付けられないか。睨んで、のほうが正しい
その細められた目には確かに怒りの感情が込められている
それはそうか。自分の彼女がいくら幼馴染とはいえ他の異性と仲良くしていたらいい気持ちはしない
自分だってきっとそうなるだろう
しかしこうして名無しさんと会うのをやめないのは、まだ名無しさんへの気持ちを諦めきれていないのと一種の嫌がらせだ
俺は名無しさんとこんなにも仲が良いよ、と見せびらかしたいんだ
性格が悪いのは自分で理解しているからこそやってのけることだと思う


「んー、今日はどんな娘をナンパしよかな」


寂しさを他のもので埋めているわけではない
ただ単に、代わりにしているだけだ
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