【柳原学園】

□第七章
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(no side)



「はー…」


柳原学園寮の一室にて、一人溜息を吐く。
風紀副委員長、綾部和樹。
日頃の彼からは想像がつかないような、不安そうな表情。
時計を見てはテーブルに突っ伏して、また時計を見て突っ伏する。
さっきからこの繰り返しだった。
いや、さっきから、じゃない。
昨日、学級委員長の言葉を聞いてからだ。


「今日の午後に一人で校門に行ってみて…かー」


既に午後、御子柴はきっと一人でその言葉に従い校門へと向かっている。
文化祭、…あんなに取り乱している彼を見たのはいつぶりか。
もしかしたら初めてかもしれない。
ゴンッと綾部は額をテーブルに打ちつけた。


「…俺は何もしてあげられなかった」


こんなに幸せを願っている御子柴と悠里があんなに苦しんでいたのに。
花梨や坂口、生徒会、親衛隊、他にもいろんな人たちが動いていたのに。
自分だけ何もできなかった。


「誰が動こうと、結果的に二人が幸せになればそれで良いんだけど…」


自分があの時、力になれなかったのが悔しい。
御子柴は、好きなやつが苦しんでんのに何も出来ない自分が情けなくて殺したくなると言っていた。
それをそっくりそのまま返したい。
大切な人たちが怒って泣いて叫んでいたのに、俺は気の利いた言葉さえ。

ドォンッ!!!

突然、大きな音が部屋に響いて思わず立ち上がる。


「び、っくりしたー…。一体なんだよ、もー」


急いで音がした方に向かったが、何かが棚から落ちたわけではなさそうだ。


「なんだ、もしかして部屋の外…」


ガンッ!! と再度音がしたのは、玄関の扉だった。
えーなに、もしかして風紀で捕まえた奴とかがお礼参りに来たんじゃ…。
そんな気分じゃないのになー、なんてことを思いながら扉の覗き穴をそっと覗き込んで目を見開く。
そこには俯いて扉に拳を叩きつけていたであろう悪友の姿があった。


「ちょっ、竜二じゃん、待って今開け、…ぁいたぁっ!?」


扉を開けた瞬間。
とてつもない勢いで首元に腕を回され、綾部はバランスを崩しそのまま後ろ向きに倒れ込んだ。


「いってー…俺じゃなかったらヤバい勢いだよこれ」


そう言いながらも頭の後ろに添えられた、上に乗っかっている張本人の手の感触。
頭を打たないようにしてくれるのはありがたいが、なら最初から突撃するなよなー、と。
言いたいが、正直それどころじゃない。
あの悪友がこんなことをしてきたことなんてない。
過去も現在も未来も天変地異が起ころうとも、抱き付くなんてスキンシップの取り方をするような男じゃない。
天変地異に類似すること、つまり。


「…そっか…ユーリ会長に振られて、手っ取り早く相棒の俺に慰めを…」
「……」
「…分かった、俺は自分受けは遠慮願いたいので竜二を受け…受け…? いや、ちょっと一年…三年待ってくれる? 竜二を抱けるか自問自答する時間が…」
「うるせぇ」
「あいたー!!」


ごいーんっ、という音と同時に額に衝撃。
頭突きをかました御子柴は不愉快そうな表情でのそのそと綾部の上からどく。


「ちょっとは黙ってらんねぇのか」
「頭の後ろも前も重症だよー…空気和らげようとしただけじゃーん」
「和らげる方法としてはセンスが最悪だな」


ちぇー、と唇を尖らせながら綾部も身体を起こす。
そうしながら、気付かれないように御子柴の表情を眺めた。
…泣いているのかと思ったけど、そうじゃないみたい。
内心ホッとしながらリビングへと迎え入れる。
幸い同室者は外出中だ。


「何か飲むー? あ、水しかないや」
「それで良い」


りょー、と言いながら綾部は冷蔵庫から冷えた水を取り出しコップに注ぐ。
何があったのか詳細には分からないが、相当勢い込んで来たのだろう。
秋のこの涼しくなってきた気候なのに、じんわりと汗をかいているようだった。
ほい、とテーブルの上にコップを置くと御子柴はそれを一息で飲む。
それを頬杖を突いて綾部は眺めた。


「…それで? あんな情熱的に抱き締めて来るなんて何があったの」
「……なにが……、……」
「……」
「……」
「……えっ、何もなかったのにアレ? 竜二まさか本気で俺を…」
「違ぇ潰すぞ」
「俺のムスコは何回潰されれば…」


ひゅんっ、とワザとらしく膝を閉じる綾部に、御子柴は違う、ともう一度首を振る。
綾部が好きだ何だの話ではなく、言葉が出なくてもどかしい、というように。


「…何から話せば良いのか、わかんねぇ…」
「めっずらしー。いつも話整理して来るのに」
「とにかく和樹には言っておかねぇとと思って、特に何も考えずに来たんだよ」


その台詞に綾部は軽く目を見開く。
それが意味するのは何なのか。
御子柴が顎に手を当てて考え込んでいる様子を、綾部は黙って見守る。
普段はあえて空気を読まない言動をしているだけで、空気を読むこと自体は得意だ。
暫く時間が経って、御子柴がようやくゆっくりと口を開いた。


「とにかく、…全部上手く行った」
「全部って…考え込んだわりにえらくアバウトな…」
「うるせぇ。…松村自身の問題と、…俺と松村のことだ」
「ってことは……竜二とユーリ会長、付き合うことになったの!?」
「いや、付き合いはしねぇ」
「どういうこと!? もうアタシ全然分からないわ!! 最初から説明して!!」


訳が分からなさすぎてテーブルを叩きながら女性口調で訴えると、悪友は若干引きながら思い出すように言う。


「松村が抱えていた問題について、九条前会長を中心として解決した」
「さ、流石九条パイセン…どこまで化け物なの…?」
「それに伴ってアイツも色々吹っ切れたみたいで、全部話を聞いて…」


そこで御子柴は言葉を切った。
続きをどう言ったものか、と思案しているような…少しの照れがあるような。
言い澱む内容を察して、綾部は先に口にする。


「その中で告白し合ったってカンジ?」
「…まぁ、そうだな」
「そっかー。まぁまだいろいろ訊きたいことあるけど、とりあえず」


綾部はニッとはにかんで笑った。


「良かったな、竜二」
「…あぁ」


良かった、と御子柴は少し微笑んで返す。
ようやく、肩の力が抜けたようだ。
綾部はそれを見て一瞬、目線を下げて、そっかと小さく呟く。
しかしそれに気付かせないかのように、でもと続けた。


「それで付き合わないってどゆこと?」
「アイツはまだやることがあるから、全部ケリを付けたいんだと」
「へぇー…えっ、じゃあそのケリが付くまで恋人じゃないってこと?」


そういうことだな、と言いながら御子柴は水のおかわりを求める。
綾部は自分で注いで、と御子柴に水を渡しながら顔を引き攣らせた。


「なんちゅー生殺し状態…」
「…アイツ、吹っ切れたからか感情表現がストレートで…」
「ひ、ひぇ〜、ユーリ会長、恐ろしい子…っ!!」


自分の身体を抱き締める綾部に、御子柴は片眉を上げながら溜息を吐く。
これからの自分の苦労を思っているようだ。
御子柴は水を飲んで、コップをコンッとテーブルに置いて立ち上がった。


「とりあえずそういうことだ。今後俺は俺様生徒会長と犬猿の仲の風紀委員長として、アイツをフォローしていく」
「犬猿の仲続行…竜二、苦労するね…」
「同情するならお前もフォローに回れ」
「仰せのままにぃー」


へなっと適当に敬礼しながら、玄関に向かう御子柴について行く。
靴を履いて、御子柴は玄関のノブに手を掛けた。


「一件落着したし竜二も、ある程度は良いけど、気ぃ抜き過ぎないよう…」
「和樹」


一応忠告しておこうとした綾部は、ふと、再度振り返った御子柴に片腕で抱き寄せられた。
目を白黒させる綾部に、御子柴は口を開く。


「お前のおかげで、何とか俺を保っていられた。…ありがとな」
「な……」
「松村も俺も、お前には感謝してる。信頼してる。…お前が」


お前が、俺の相棒で良かった、と。
そう呟くように耳元で口にして、御子柴はそっと身体を離し、じゃあなと玄関から出て行った。
バタンと閉まった扉を呆然と見届けた綾部は、暫くしてハッとしたようにリビングに向かう。


「とりあえずコップ片付けとかないと…」


そう言いながらテーブルの上にあるコップに手を掛けた瞬間。
すとん、と綾部は床に座り込んだ。
突然の自身の状況がよく分からず、綾部は自分の両手に目を落とす。
ふるふると、震えていた。
あぁ。


「…ははっ」


感謝、信頼、相棒で良かった。
そんなの。


「こっちの台詞だよ、ばか…、…っ」


家族の歪みに翻弄されて、荒れて、黒揚羽として街で名を轟かせていた俺に。
一人は、逃げる道を示してくれた。
一人は、進む道を示してくれた。
逃げる道を示した彼は、唯一無二の相棒となった。
進む道を示した彼は、唯一無二の想い人となった。
二人に恩を返したかった。
二人の幸せを願っていた。
そんな二人が、感謝して、信頼していると。


「……こんな俺でも、二人の支えになってあげられた」


あぁ、幸せだ。
良かった。
でも。
ただ一点、幸福感と同等に荒れ狂う感情に、綾部は目を閉じて胸を抑え微笑む。
二人の幸せを願っていたのは間違いない。
それでも。


「…救われたからってだけじゃなくて、俺はちゃんと、…好きだったんだね」


ユーリ会長。
…目を逸らし続けていた、嫉妬心。
相手が御子柴でなければ嫉妬心のままに、彼の恋人をどうしていたことか。
黒揚羽の再臨とか、街で騒がれていた可能性すらある。
今こうして微笑むことが出来ているのは、相手が自分の相棒だからだ。


「……まぁ、ユーリ会長を傷付けることがあれば、もう遠慮なんてしねーけど」


そんな未来が訪れることなく、幸せに。
綾部は自身の目を片手で覆い、微笑みを浮かべていた唇を一瞬、きつく引き結んだ。
覆った手から流れ落ちるひと雫。
その雫が床にぽたりと落ちる頃にはいつもの彼の表情で。

悠里にかつて、身体測定の時に聞かせた、ゆっちゃん、りっちゃん、かっちゃんの物語は。
誰に知られることもなく、そっと幕を閉じた。


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