【柳原学園】

□第七章
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「九条先輩。今日は本当に、ありがとうございました」


九条先輩の車の中、俺は何度目かになるお礼を、目の前の先輩に告げる。


「俺もちょっと踏み込み過ぎたかと思ったが、まぁ、結果オーライだよな」
「十分すぎます」


そりゃ良かった、と明朗に笑う九条先輩。
何度この笑みに、支えられてきたか。
流れる景色を横目に、九条先輩がそれにしてもと続ける。


「お前が帰る間際に言ったことも受け入れられて、良かったな」
「もっと上を目指せと言われる覚悟だったんですけどね」
「素の親父さんなら、そうは言わないだろ」


はい、と俺は頷きを返す。
俺が好きな人がいると打ち明けて、自由に生きて欲しいと言われてから。
叔父さんは静かに号泣していて、父さんもいろんな感情が窺える表情でその肩を叩いていた。
皆、皆、もう大丈夫だろう。
そして帰る間際に、俺は一つ、父さんに今考えていることを告げた。
すると父さんは、構わないと。
もう自由にして良いと、言ってくれた。


「九条先輩は幻滅しませんでしたか」
「しない。むしろ安心したし、楽しみになった」
「楽しみ?」
「もう一回生徒になって、お前を見守りたいくらいには」


にっ、と口の端を上げて笑う九条先輩に、俺は目を瞬かせて笑った。


「それは、楽しそうですね」
「だろ? 清水たちも巻き込むか」
「前副会長…清水先輩たちともまだ交流があるんですか?」
「おう。学部は違えど、大学は一緒だしな」


前生徒会長、前副会長、前風紀委員長の三人組は、凄かった。
裏でどういうことをしていたのか分からないくらい、柳原の環境が格段に良くなったからな。
親衛隊制度の見直しもその一つ。
九条先輩はゆっくりと、背もたれに凭れ掛かる。


「まぁでも、表情が良くなった」
「…でしょうね。自覚はあります」
「乗っかってたモン、全部取っ払ったからな。これからの松村が楽しみだ」


これからの、俺。
あぁ、何だろう、心が躍る。
すげぇ、ワクワクする。
学園の近くになった所で、九条先輩が車を停めさせた。


「近くに付けたら目立つから。ここから歩いて行こう」
「九条先輩は、ここで…」
「寂しいこと言うなよ。門まで見送らせろ」


降りるぞ、と先に車を降りてしまう。
俺もそれに続いて、歩き出す九条先輩の隣につく。
肌寒くなってきた風が、今は心地よい。


「…九条先輩」
「ん?」
「俺、本当に、貴方に憧れてました」


生徒会長になるために入学した柳原で、圧倒的な存在感を放っていた、生徒会長。
生徒会長に、後継者にならなければというプレッシャーはあったけど。
それを考えなければ、残るのは憧れ。


「俺が"俺様演技"をせずに、素のまま尊敬したいと思ったのは、後にも先にも九条先輩だけです」
「ははっ、すげぇ買われようだな?」
「今日だって、本当に俺の悩みを、どうにかしてくれた」


絶対に無理だと思っていた。
確かにいつかは、父さんと話していたと思う。
でもその時、俺は本音を言えていただろうか?
…きっと、言えずに、終わっていた。
九条先輩の助け船があったから、ああして言葉に感情を乗せることが出来た。
学園の門が近付く。
あともう少しという所で、俺と先輩は足を止めて、向き合った。


「九条先輩。最後にもう一つ、新しく出来た俺の悩みを聞いて下さい」
「なんだ?」
「俺には憧れている先輩がいます。何があっても、きっと自分で何とか出来てしまう人です」


そう告げると、九条先輩はへぇ、と面白そうに片眉を上げる。


「でももし、何か困ったことがあったら、どんな小さなことでも良い。俺はその人の力になりたいんです」
「でもソイツ、自分で何とか出来るんだろ?」
「その先輩にもどうにも出来ないことが起こらないとは、限らないでしょう?」
「まぁ、未来のことは分からないしな」


そう、分からない。
だから、その時は。


「俺を、その先輩の"力"の一つとして、考えて欲しいんです」
「選択肢の一つとして?」
「はい。もし力を請われれば、俺は」


息を吸って、九条先輩を真っ直ぐに見据える。


「俺は、その時の全てを持って、先輩を助けます」
「もしかしたら、お前の不利になることかもしれない」
「それでも。俺は力になりたい」


自分がどうでも良いわけじゃない。
だって、先輩に救ってもらった身だ。
自分を蔑ろにするのは、先輩の顔に泥を塗ることと同意。
でもそれ以外なら、俺は全力で力になる。


「でもその先輩、俺を力の一つとして選択肢に入れてくれなさそうなんです」
「後輩に力にならせるのは、気が引けるかもしれないしなぁ」
「気が引けるとか、遠慮とか、俺はそういう次元で悩んでない」


そう言って、俺は九条先輩の手を握った。
俺より大きい、先輩の手。
この手で、どれだけのものを守って来たか。


「俺は貴方が大事です。恩もあるけれど、それ以上に、敬愛しています」
「……」
「どうか、自覚して下さい。貴方が苦しめば、俺が苦しい」


届いてほしい。


「俺をそんな苦しみから解放してほしいんです。その、先輩に」
「…ははっ、はははは!!」


突然、割れたように笑いだした九条先輩は、しばらく笑って、滲んだ涙を拭った。


「後輩にここまで言われちゃ、突っぱねるのも野暮だよなぁ」
「じゃあ」
「分かった、お前のその新しい悩みも全部、解決してやるよ」


その言葉に、心の底から安堵する。


「良かった…」
「ま、そんな時が来ねぇことを祈るけどな」
「それは、勿論。九条先輩が困るようなことなんて、想像を絶するようなことでしょうし」


この人が困るところが想像つかない。


「松村」
「はい」


ふと、頬に優しく触れられた。
するりと、そのまま撫でられる。


「…九条、先輩?」
「実はちょっと前から困ってたことがあったんだ」
「え!? な、なに…」
「お前、さっき敬愛してるって言ってたよな」


言った。
紛れもなく本心で。
恥ずかしいとかの次元超えてる。
俺は自信を持って、頷いた。
そうだよな、と九条先輩は呟く。


「前から、敬愛してたか?」
「? はい」
「生徒会引き継ぎの時も?」
「はい」
「尊敬だった?」
「はい」
「本当に?」


その怒涛の質問に。
俺は何故か、答えられなかった。
何故九条先輩は、そんなことを訊くんだろう。
尊敬してた。憧れだった。
何を、聞きたいんだろう。
…それ以外の、何を。


「そ…んぐっ」
「残念、タイムリミットだ」


突然、後ろから口を押えられて言葉を詰まらせる。
だ、誰だ!? 何事!?
焦る俺を余所に、九条先輩は全部分かっていたかのように肩を竦めた。
俺はそっと後ろを見て、目を見開く。


「…クソッ、坂口の奴、午後に校門行けって、こういうことかよ」
「はは、あいつの情報屋っぷりは相変わらず凄いな」
「坂口もアンタにだけは言われたくねぇだろ」


み、御子柴…!!
ここに来たのは亮の差し金だってのは察したけど、口を塞がれてるのは別問題だよな?
少し力を入れると、その手から解放された。


「み、御子柴、お前、イキナリ口塞ぐって何考えてんだ?!」
「…良くねぇ雰囲気を察したんだよ」
「意味分かんねぇんだけど?」
「はいはい、喧嘩は止めなさい。御子柴も。俺はもう帰るから」


あっさりと帰ろうとする九条先輩に、俺は慌ててもう一度お礼を言う。


「く、九条先輩、本当に、ありがとうございました!!」
「どういたしまして。あと、御子柴」
「…なんだよ」


九条先輩は、にっと笑った。


「俺に、美味い飯でも奢りたいなって思ったらいつでも連絡してきて良いからな」
「はぁ? ンなこと思う訳ねぇだろ」
「ははっ。じゃあ、またな」


手を軽く挙げて、九条先輩は車へと戻って行った。
それを見送って、長く息を吐く。
…じわじわと、実感する。
荷が下りた、肩の軽さを。


「…アイツと、どこに何しに行ってたんだよ」
「!! そうだった!!」


いつもの俺なら、何でテメェに言わなきゃならねぇんだ? とか言ってた。
でももう、そんなこと言わなくても良いんだ。


「御子柴、話したいことがある」
「…話したいこと?」
「お前だから、聞いてほしい話だ」


俺の言葉に、小さく目を見開いて。
御子柴は、行くぞと歩き出す。
その背中を俺は離されないように追い掛けた。
なぁ御子柴、話したいことが沢山あるんだ。


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