【柳原学園】

□第七章
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「暗い部屋…過呼吸…ッテメェ、悠里にンなことまでしてやがったのかッ!!」


そのやり取りを見ていた三浦さんが、口の中で繰り返し。
その意味を理解すると同時に怒りに染まった。
ガッと三浦さんが親父の胸ぐらを掴んで立ち上がる。


「教育だの言いながら愛情はあると思ってたが、トラウマ植え付けんのはちげーだろ!!」
「…ッ」
「母親死んだばっかの子ども暗い部屋に閉じ込める!? それはもう虐待っつーんだよ!!」
「は、…せ…っ」
「三浦さん、首絞まってます、離して下さい」


九条先輩も立ち上がり、三浦さんを止める。
チッと大きな舌打ちをしてその手を離すと、親父はゴホゴホと咳をした。
その様子を、俺は。


「気付かなかった俺も悪い。こいつがそこまでしてるとは思わなかった」
「…いいえ。いいえ、違うんです」
「…悠里?」


俺のために怒ってくれているのは分かる。
九条先輩も、三浦さんも。
先輩として、叔父として、俺を大事にしてくれている。
でも。


「それは、後継者育成のための"教育"なんです。俺が弱かっただけで」
「悠里、違うだろ。これは」
「俺が甘えてた証拠です」
「違う。母親亡くした子ども閉じ込める方が頭おかしい」


否定に否定を重ねる。
そんな言葉のやり取りなんて。
自分で今まで何回もやってきてる。
でも、でも、それなら。


「──これがッ、"教育"じゃないなら!! なんなんですか…ッ!!」


こんな声が、出たのかと思う暇もなく。
ただただ、あの頃の情景と、教育ではないという言葉だけが反芻されて。
俺はぐしゃりと胸を掻く。


「っかぁ、さんが、死んで、ただでさえ、ただでさえ、ツラかったのに…ッ」
「ゆう…」
「教育じゃなく、あんなことをされていたのなら、それは…っそれはなんなんですか…っ!!」


止まれという声が、聞こえる。
自分の声が。
止めろと。
そんなことを言ってどうなると。
もう諦めたはずだろうと。
でも、そんな理性にもどうにもならないくらいの。
今まで溜めていた感情が。


「暗い部屋で、耐えて来たあの日々、は、三浦さんがっ、言う、ように、虐待ですか!?」
「悠里…!」
「俺はッ、俺は、母さんを亡くして、っ父さんにまで、見放されたと、自覚して…ッ」


顔を、覆って、叫ぶ。


「心を、保てるほど、っ大人には…なれません……ッ!!」


あの孤独は、あの寂しさは。
独りで膝を抱えて。
レイを守らなければと決意した日々は。
"教育"で、良いじゃないか。
親としての、教育で。
母さんからの愛情を失い。
父さんからの愛情までもなかったというのなら。
俺の心が、耐えられない。
思い込まなければ、今まで保ってきたものが全部、全部。


「──悠里」


ふと、名を呼ばれて。
誰かに身体を抱き締められた。
ポンポンと優しく背中を叩かれ、徐々に、徐々に思考が戻って来て。
抱き締められたその匂いが、思い出のものと一致していると。
そう、気付いた。


「と、う…さ…」
「悠里。…悠里」


悠里、と、さっきと同じように呼んでいるのに。
さっきまでとは全然違う、温度。
母さんが死ぬ前と同じ、…愛情が篭った、声。
ぎゅ、と、何故か親父は俺の肩に顔を埋める。


「なに、を…」
「…私は由美を見送って、息子たちになにが出来るか考えた」


突然、俺の肩に顔を埋めながら話し出す。
俺は黙って聞くことしかできない。


「悠里も麗斗も多くの者に愛される子達だ。私の愛などいらないほどに」
「……」
「ならば私は皆に出来ないことを。厳しさを与える役割を果たそうと思った」


厳しさを与える役割。
俺やレイは十分に愛されるだろうから、自分は厳しくあろうとした。
でも、だけど。


「…なぁ、祐一。確かに俺も八重さんも、皆悠里たちを愛してる。何でもしてやれるくらいには」
「…あぁ」
「だけどな。悠里たちを愛してやれる"父親"は、…お前しか、いねぇんだよ」


その言葉に、俺を抱き締める力が強まる。
そうだ。
皆に、愛されている自覚は、ある。
三浦さんにだって、九条先輩にだって。
学園の皆にも、レイにも、街の皆にも。
だけど。
父親は、一人しかいない。
三浦さんが、今度は怒りや苛立ちのない、ただの溜息を吐いた。


「お前は昔から一人で突っ走る所あるけどよ、これに関しては行き過ぎだぜ」
「…分かっている。いや、今分かった」


親父はそっと、俺の身体を離した。
そして顔を見合わせる。
こんなに近くで親父の顔を見るのはいつぶりか。
あの頃より少し年を取っているけれど。
あの頃と同じような、優しい目元。


「悠里がそんな風に思っていたことに、気付けなかった。…悪かった」
「……っ」
「…由美に、怒られてしまうなぁ」


私の息子になんてことしてるの! しっかりしなさい! と。
そんな声が、聞こえてきそうで。
ぐ、と喉を震わせる。
それと、と親父は九条先輩と三浦さんにも顔を向けた。


「先程、教育と称して悠里を暗い部屋に閉じ込めていた、と言っていたが」
「お前マジでそれはやりすぎだと思うぜ、俺は」
「…私は、そんなことをした記憶が、ない」
「はぁ?」


三浦さんが声を上げる。
俺と九条先輩も、予想外の言葉に目を瞬かせた。
三浦さんがギンッ、と親父を睨み付ける。


「テメェ、この期に及んで言い逃れする気か?」
「違う」
「なら何だ? 悠里が嘘吐いてるってのか?」
「悠里がそんなことするわけないだろう」


少しムッとして、親父は言い返す。
そんなことするわけないだろう、なんて。
…まるで、俺のことを信じて疑わないような台詞。
親父は再び俺に向き直る。


「暗所恐怖症だと言っていたな」
「修学旅行でも、過呼吸になりかけたそうですよ」
「ふむ…」


親父は何かを考え込むように顎に手を当てる。


「悠里、どういう状況で閉じ込められていたんだ」
「え、っと…俺が勉強で間違ったりしたら、終わった後に…」
「誰から?」
「え?」


何かに、思い至ったのか。
親父は、間髪入れずに訊いて来た。


「誰から、そんなことをされた?」
「誰から、って……」


だから、親父に。
──本当に?

『松村社長のご命令ですので。ここで暫く、反省していろとのことです』

嫌だと、出してと言っても、決して部屋から出してくれなかった。
暗くて大きい部屋の中。
膝を抱き寄せて、身体を縮こまらせて座る。
優しかった母と父はもう居ないという現実。
弟を守らなければという使命感。
誰にも甘えられない孤独感。
…誰が、部屋から出してくれなかった?


「…メイド」
「メイド?」
「メイドが、社長の命令だから、ここで反省しろ、って…」
「どんなメイドだった」


どんなメイド…。
幼かったし、その記憶が暗くて、覚えてないけど。
ただ、一つだけ。
俺は口元を指差した。


「確か、口元にホクロのある、メイドだった」


そう、告げた瞬間。


「…ッあ、の、女……ッ!!」


親父の顔が、怒りに染まった。
ギリィ…ッ、と歯を食いしばる音が聞こえる。
そして怒りを抑えようとしているのが分かる声で、千秋、と名を呼ぶ。


「数年前に辞めさせたメイドの中に、冴島という女がいる。炙り出せ」
「穏やかじゃねぇな、どういう意味だ」
「その冴島が、独断で悠里を閉じ込めた張本人だ」


その言葉に、俺は目を見開く。
独断で?
どうして、一介のメイドが、俺を。
その疑問を同じく抱いた三浦さんが尋ねる。


「なんで悠里を」
「…その女、過去に由美に虐め…いや、傷害まがいのこともしでかしている」
「由美に? なんでまた」


すると親父は言いにくそうに、視線を逸らした。
その表情で何かを察したのか、九条先輩が口を開く。


「もしかして、…痴情の縺れ、ですか?」
「…私に、好意を抱いていたようで、妻である由美に当たっていたようだ」
「はぁ〜?」


親父は当時のことを思い出しているのか、頭を抱える。


「それに気付いて厳重注意をして、収まったと思っていた」
「でも、収まっていなかった」
「…由美が死んだ後、まさか、悠里にまで、手を、……ッ」


言葉を途切れさせて。
誰にでも明らかなくらい。
怒りと、後悔を、滲ませていた。


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