【柳原学園】

□第六章
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「何で生徒会室なんですか?」
「そりゃ、何だかんだで一番思い入れ深い所だからな」


俺は九条先輩と共に生徒会室へと向かいながら、そんな話をする。
確かにまだ数ヶ月しか生徒会長をしていない俺でも、もう思い入れが深くなってる。
二年間も生徒会長をした先輩なら尚更か。
文化祭に関係ない所だったから言いにくかったけど、せっかくだし一緒に行ってくれ。
そんな願いを言われれば、同じ生徒会長として連れて行かないわけにはいかない。
C棟へ続く渡り廊下を歩いていると、前方から声が聞こえた。


「ここから関係者以外立ち入り禁止でーす」
「俺は、…って、お前こんな所でなにしてんだ」


夏希。
そう言うと出入り口の脇で椅子に座っていた夏希はようやく顔を上げて、俺たちの姿を見て目を瞬かせた。


「なんだ、松村と…うっわ、懐かしいな。元気だったか、九条」
「はい。夏希大先生様も元気そうで」
「俺のノリに乗ってくれるのお前だけだわ」


ありがとう、ありがとう、と腕で目元を押さえながら謎の握手を交わしている。


「夏希先生は今年も生徒会担当なんですか」
「そうなんだよ。慣れた奴にやらせとけっていう学園の魂胆見え見えだよな」
「夏希先生が優秀だからでしょう」


夏希が優秀?
思わず、え、と声を漏らすと、九条先輩は悪戯っ子のように口元を上げた。


「小さなミスはあるかもしれねぇけど、大きなミス、したことないだろ?」
「…そう言えば」
「それに大した経験もない学生の俺たちが生徒会、学園を回せるのも、教員のフォローがあってのことだ」


サインの書き忘れ、書類の置き忘れ、そんな直ぐにどうにでも挽回できる小さなミスはあれど。
取り返しのつかないミスは、今までなかった。
視線を戻すと、夏希は苦笑を浮かべている。


「お前は昔からそういう奴だったよなぁ。隠してる爪を暴くと言うか」
「人の能力を的確に評価してるってことですよ」
「俺は出来ない教師で良いんだって。つか、お前が思うよりずっと出来ない教師だから」
「分かりました、そういうことにしておきます」


そういうことにしておきます、じゃなくて、と夏希はげんなりしている。
こういう感じで去年もやり取りしてたんだろうか、この二人。
それで、と夏希はごほんと一つ咳ばらいをした。


「こんな所に何の用だ? C棟には出し物ねーぞ」
「生徒会室に行きたくて。久々に」
「あぁ、思い出巡りな。ま、そんなら入れば?」
「通して良いのかよ、見張りだろ」


すると夏希ははー、と息を吐いた。


「良いんだよ別に、見張りなんて飾りだし。あからさまに怪しい奴通さなきゃそれで」
「テキトーすぎだろ」
「ずっと肩肘張っててもな。あぁ、お前らが生徒会室にいる間は誰も通さねーようにしといてやるよ」


じっくり思い出に浸って来い。
そう言って手をしっしと払う。
そんな、犬猫じゃないんだから…。
でも先輩は気にした風でもなく、お礼を言ってC棟に入る。


「相変わらずな人だな、夏希先生は」
「適当なだけでしょう」
「あの人、生徒会担当だけじゃなくて、松村のクラス担任も任されてるんだろ?」


本来の担任と副担任がお家騒動に巻き込まれて柳原学園を後にして。
その後釜に白羽の矢が立ったのが、夏希だった。
俺が頷くと、先輩が片目を瞑る。


「本当に能力がない人間に生徒会とクラス担任を任せる程、学園は甘くねぇよ」


…なるほど。
九条先輩が言うと説得力が違う。
俺は夏希の言葉の数々を思い出しながら口を開いた。


「…大人として、教師として、あろうとする姿には、助かってる…所もあります」


頼れよ、と一貫して大人であろうとする夏希に。
安心感を覚えている自分もいることは、確かだ。
先輩は俺の言葉に何故か笑みを深くして、そのまま誰にも会わず生徒会室へとたどり着く。
適当な態度だったけど、もしかして本当は誰も入れないようにしてたのかもしれない。
俺と九条先輩だから、入れてくれたのかも。


「失礼しまーす」


九条先輩は気軽に挨拶をしながら、生徒会室の扉を開けた。
俺は当然の事、九条先輩にとっても見慣れた部屋、だけど。


「あー、やっぱ俺らの時とはもう雰囲気違うのな」
「…そんな変な改装はしてませんが」


そう言うと、九条先輩は部屋の中を見渡しながら歩き回る。


「見た目じゃなくて、空気の話。…ここはもう、お前らの生徒会室なんだな」
「……」


俺たちの、生徒会室。
ここはもう九条先輩にとって、"思い出"の場所なんだ。
なんとなく、言葉を投げかけるのに躊躇われて。
俺は黙って、九条先輩を見つめた。
暫くして、ふと、先輩は立ち止まる。


「松村」


もう生徒会室、見なくて良いのかな、なんて考えていると、名前を呼ばれる。
その静かな声に、俺は思わず背筋を伸ばした。


「…はい」
「実は俺、悩みがあるんだ」


悩み? あの、九条先輩に?
まさかの言葉に、俺は素で驚く。
何でも全部、自分でサッと解決しそうな人なのに。
俺は言葉の続きを黙って待つ。


「お前に相談に乗ってほしい」
「…俺に? 俺が、九条先輩の力になれるとは…」
「お前しか、力になれないことだ」


俺しか力になれない…?
そんなことある気がしないけど、それがもし本当なら。


「俺が力になれるのなら」
「ん、ありがとな」


九条先輩にはずっと支えてもらってきた。
力になれるのなら、こんなに嬉しいことはない。
実は、と九条先輩は語り出す。


「数週間前、俺の元に電話が掛かって来た。お互い直接の知り合いじゃなかったが、間接的に知ってはいた」


知り合いの知り合い、という所だ。
先輩は続ける。


「そいつが言うには、自分の大事な人が何か悩んでいるようだと」
「大事な人…?」
「自分が力になりたいけれど、自分も、誰も、相談に乗れる人間がいないと」


先輩は顎に手を当てる。


「俺も正直暇じゃないし、もう卒業した身だ。部外者だ。渦中の人間たちにどうにかしてほしかったし、するべきだと思った」
「…それは、そうですね。と言うか知り合いって、学園の生徒ですか」
「あぁ。実際に相手にそう言ったが、食い下がってな」


どうか、お願いします。
貴方じゃないと、彼は誰にも相談出来ない。
貴方しか、もういない。
どうか。


「必死な声だった」
「……」
「俺も鬼じゃねぇし、電話の相手にも、そしてその相談に乗ってほしい相手にも、思い入れはある」


人一倍な、と先輩は俺の前へと歩んできた。


「それなら文化祭二日目。ソイツをひと目見て、俺じゃなくても何とか出来る範囲そうだと判断したら直ぐ帰る」
「……」
「そうじゃないなら…ソイツと文化祭を一緒に回りながらでも話を聞く。そういう条件で、俺は今日、ここに来た」


俺と先輩は、じっと目線を交わす。


「実際にソイツの顔を見て、これは確かに、他の奴らに何とか出来る範囲じゃなさそうだと、判断した」
「……」
「だけど俺相手でもきっと、ソイツは簡単に相談しない」


前髪にそっと触れられて、俺の視界がより鮮明になる。


「なぁ、松村。ソイツはどうやったら、俺に相談してくれると思う?」


今日ここに来てから、ソイツの顔を見てから。
むしろ本当は、電話をもらった日から。
俺はずっと悩んでるんだ。
先輩は、そう静かに、"自分の悩み"を打ち明けた。
その問いに、俺は俯いて、笑う。


「…それは、難しい悩みですね」
「そうだろ?」
「そもそも本当にその人に、悩みがあるんですか? 周りの、先輩の勘違いかも…」
「それはない。気付いてないのかもしれねぇけど。ソイツ、生徒会の引き継ぎの時みたいに、切羽詰まった顔してんだよ」


生徒会の引き継ぎ。
切羽詰まった顔。
生徒会長と、家の名前に。
何をしても、空回っていた、あの時。
俺はぐっと唇を噛み締めた。


「…悩みがあっても、その人は、自分でどうにかするべきだと思ってますよ」
「一人でどうにか出来る範囲なら、ソイツの周りも俺も、ここまで気にしねぇ」
「っ一人でどうにか出来ます…!! 俺は…ッ!!」


生徒会室に、俺の声が響き渡る。
その声にハッとして、俺は口元を覆った。
認めた。
認めて、しまった。
先輩が言っている"ソイツ"が。
"ソイツ"が悩みを持っているということを。
俺が、どうしようもない悩みを抱えていることを。
今俺自身が、認めてしまった。
口元を覆ったまま動かなくなった俺に、先輩は静かに言う。


「…少しでも余裕のあるお前なら、俺の言う"ソイツ"が自分だと認めるような発言は、絶対にしなかった」
「…っ」
「松村。…松村、一つ、答えてくれ」


俺はうつむいたまま、九条先輩の足元を見つめて微動だにしない。
それでも先輩は続ける。


「お前、俺のこと、どう思ってる?」
「……、…?」
「野本にも川井にも、さっきの夏希先生にだって、お前は丁寧な言葉を遣わなかった」


野本、川井、夏希。
俺様の演技の一貫として、俺は先輩だとも先生だとも呼んでいなかった。
でも。


「そんなお前が、俺には先輩呼びだし、丁寧な言葉を遣う。あの引き継ぎの、あの時から」


俺一人に認めさせてみろ。
そう言って、肩の荷を、下ろしてくれた。
ずっと縛られていた、潰されそうだった俺を。
救ってくれた。
あの時から俺は、この人を。
演技抜きに、心から、尊敬していた。
今も、ずっと。
俺はそっと、口元から手を離す。


「…尊敬、してます。俺は、先輩に、ずっと。…憧れて、います」
「そうか」


そう答えると、先輩はそっと俺の両頬をその大きな手で包んで、顔を上げさせる。
まるで、あの引き継ぎの時に戻ったようで。


「…先輩が思っているよりきっと、俺の荷物、重いと思います」
「あの松村悠里が憧れている俺が、その荷物で潰されるとでも?」
「もしかしたらこの先ずっと、頭にチラついたり、縛られてるって思うかも」
「そんなん聞いてみなくちゃ分からねぇし、それなら一緒に縛られてやるさ」


一緒に、縛られてやる。
その言葉が、ずっと、欲しかった。
過去に俺を救ってくれた、演技を通り越して尊敬している人からの。
その言葉が、ずっと。
松村の重荷に潰されないと確信できる、この人から。
俺は目の前の先輩の顔が段々とぼやけるのを感じながら、頬を包むその手の上に自分の手を重ねる。


「っおれ、もう、どうしたら良いのか、わからなくて」
「うん」
「ずっとみんなを騙してきて、なのに今更、こんな、力をかりるなんてできなくて」
「うん」
「おれ、っまつむらと、じぶんの気持ちが、もう、わけわかんなくて…っ」
「うん」


優しい相槌が、耳に入って来る。
ボロボロと、涙が溢れてくる。


「くじょう、せんぱい、おれを、助けて、くれますか…っ」
「うん、任せろ」


泣きじゃくる俺の額に、こつんと額をくっつけて。


「あぁ、良かった。俺の悩みも解決されそうだ」


ありがとな、松村。
そう言って安心したように笑う先輩に。
更に涙が止まらなくなった。


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