【柳原学園】

□第六章
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「松村君、黒田君、お疲れ様です」
「桐生先生」
「……お疲れ様です」


後ろから呼ばれ振り返ると、桐生先生がこちらに歩いて来ていた。
見回りかな、風紀担当教員だし。
桐生先生が受付の方を覗き込んで来た。


「何かありましたか? 少し騒がしい…」
「あ、桐生」
「ヒッ!!」


俺たちと喋っていた三人を見た瞬間、桐生先生が引き攣った声を出した。
その声が恐怖に塗れている気がして。
その瞬間、ガシィッと霧島さんが桐生先生の肩を掴んだ。


「桐生、何かなその声は」
「き、霧島、なんで君、来てるんですか…っ」
「僕が来ちゃいけなかったのかな?」
「ま、まさかー…うっ、胃が…っ」


桐生先生は口元と胃を押さえて呻く。
ど、どうしたんだ、もしかして知り合い?
…そっか、二人とも学園の卒業生なら。


「桐生先生、霧島さんと顔見知りだったんですね」
「何言ってるんですか、この霧島が、一番イカれてる祐一のしんえ…ぐえっ」
「桐生先生、久々で積もる話もあるし、僕たちのこと案内して下さい」
「え、嫌です」
「…ビビってるクセにキッパリ断る所とか変わらないね、桐生」


ふぅ、と呆れたように息を吐く。
桐生先生のそういう所って昔から変わらないのか…。
だから不良がわんさかいる風紀から、からかわれたりするんだよな…。


「…お前、この前突然連絡してきたでしょう」
「はい」
「今日は重要参考人も連れて来たんだ」


そう言って霧島さんは、アキさんを示した。
何の重要参考人…?
桐生先生はアキさんの風体に少し怯えながら首を傾げる。


「この方は…?」


霧島さんが桐生先生に耳打ちすると、桐生先生の目が見開かれた。
そしてその視線がアキさんへと向かう。


「貴方が祐一の…でも何だか見た目が随分と変わっているような…?」
「二人にバレたくないんだ、察しなよ桐生」
「二人…あぁ、なるほど、だいたい理解しました」
「情報交換と行こうぜ、先生」


そういうことなら、と桐生先生は頷いた。


「黒田君、僕は少し離れます。もし風紀の問題があれば連絡してもらえますか?」
「……分かりました」
「松村君、お三方を少し預かりますね。案内してきます」
「あ、はい、お願いします」
「じゃあね、悠里君」
「それでは悠里様、黒田様、また」
「…じゃあな、悠里」


そう言って三人は先生に率いられて中へと入って行った。
なんか…よく分からなかったけど、仲は良いんだよな。
桐生先生から霧島さんに連絡したって言ってたし…。
…昔の柳原ってどんな感じだったんだろう。
別に親父のことが気になるわけじゃないけど。
きっとその頃も濃い物語があったんだろうな。
…何故だろう、桐生先生が吐血してるイメージが強い…大丈夫かな……。


「……さっきの人たちは、八重さんと…」
「あぁ、霧島真尋さん。街の喫茶店の店主で…レイがお世話になっている人だ。アキさんは…よく分からねぇ」
「……あのアキという男、どこかで…確か、松村の…」


え、桃矢に心当たりがあるってことは、俺なら知ってなくちゃいけない役職持ちとかじゃないのか。
それとも警備関係の方…?


「桃矢!!」


突然女性の声がした。
そちらに目線を移して、思わず感嘆の声が漏れる。
うわ、綺麗な女性だな。
切れ長の瞳、頭頂部で結われた長い髪。
…頭頂部で結われた?
俺は隣の桃矢を見る。
頭頂部で結われた、長い髪。
もしかして。


「……姉さん」


やっぱりか!! そっくりだな!!
黒田家の遺伝子すごいな…美形姉弟…。
確か黒田家はこのお姉さんが後継者なんだよな。
お姉さんも武芸に秀でていそうな、スラッとしたスタイルだ。


「弟の勇姿、見に来たわよ。どう、しっかりやれてる?」
「……今の所、問題はない」
「そう。うちの連中もちゃんとやってる?」
「……あぁ」
「もしサボる馬鹿がいたら私に教えなさい。クビになった方がマシだってくらい、しごくから」


あははっ、と明朗に笑って桃矢の背中を叩く。
凄い…パワーのある人だな。
お姉さんは隣の俺に気付いたようで、あ、と呟いた。


「ご挨拶が遅れてごめんなさい。桃矢の姉の黒田明美です」
「生徒会長の松村悠里です」
「貴方が……」


明美さんが目を見開く後ろで、小さな呟きが聞こえる。
そこに、大和撫子を体現したような女性が佇んでいた。
その女性は口元を押さえて、俺をじっと見つめている。
な、なんだ…?


「貴女は…?」
「あ、ごめんなさい…私は黒田の関係者の望月小百合と申します」
「初めまして、望月さん。柳原の文化祭、楽しまれて下さい」
「えぇ…」


俺の言葉に返事をしながらも、じっ…と静かに見詰めて来る。
望月さんだけじゃなくて、明美さんも。
俺、なんかやらかしたか…?


「悠里君、だったわよね」
「はい」
「桃矢のこと、どう思う?」
「はい?」


思わず聞き返してしまった。
桃矢のこと、どう思うか? なんだその質問。
すると桃矢が珍しく眉を顰めて明美さんの肩を掴んだ。


「……姉さん」
「あぁ、ごめん、他意はなくて純粋に気になっちゃって」
「…私も、気になります。だって、この方、なんでしょう。桃矢さん」


二人に見つめられて、桃矢は言いにくそうに、そうだが、と頷く。
俺がなんだ、黒田関係者の三人でしか分からない話なのか。


「……悠里を困らせないでくれ」
「あぁもう、分かったわよ。もう訊かないからそんな怒らないで」
「…桃矢さんでも、怒るんですね…」


桃矢が怒る…!?
確かにいつもより声が低いし表情も硬いけど…。
…桃矢をどう思ってるか、か。


「ごめんなさいね、突然変なこと訊いちゃっ…」
「桃矢は生徒会役員として仕事をしっかりと熟す、頼れる人間だと評価しています」
「…そう、ですか」


それと、と俺は笑みを浮かべる。
生徒会長としてではなく、悠里個人としてなら。


「佇まいも、所作も、人間性も…恰好良くて。憧れるに値する人間の一人だと、思っています」


その答えに、三人は目を大きく見開いて。
桃矢はカッ、と、顔を真っ赤にした。
その顔に次は俺たちの方が驚いて。


「と、桃矢…? どうした?」
「……っ、なん、でも、…っ」
「あはははっ! やだもう、弟のこんな顔初めて見た! 分かった、分かったわよ、姉さんが悪かった! あははっ!」


何故か明美さんは腹を抱えて爆笑している。
いや、こんな急に真っ赤になるなんて…もしかして体調悪かったんじゃないのか。
真っ赤な桃矢、心配する俺、爆笑する明美さんという混沌とした空間で、ふぅ、と息を吐く姿。
望月さんが頬に手を当てながら口を開いた。


「…桃矢さんにそんな表情をされたら、もう私も何も言えません」
「まぁ、最初から文句なかったけどね」
「桃矢さんの決めたことです、私も文句はありませんでした。でも、…先程の悠里さんの言葉で納得がいきました」


明美さんは笑いを収め、二人に真剣な瞳で射抜かれる。


「桃矢を末永く、よろしくね」
「よろしくお願いします」
「…はい……、…?」


そう言って、二人は受付を通り過ぎた。
その背中を見送る俺の頭の中には疑問符だらけだ。
桃矢を見ると、ふぅー…と長く気を吐いて顔を上げた所だった。
もう顔色はいつものように戻っている。


「…どういうことだったんだ?」
「……悠里は気にしないでくれ」


いや、桃矢がそう言うなら俺も深くは突っ込まないけど。
桃矢も俺の事深く聞いたりしてこないし。
でも、一つだけ訊いて良いかな。


「望月さんって、何者だ?」


そう尋ねると桃矢は珍しく少し迷ったように逡巡して、俺の耳に口元を近付けた。


「……俺の、元許嫁だ」
「い…っ!?」


許嫁…!? 望月さんが…!?
でも、元、って…理解が追い付かない。
桃矢と望月さん、侍と大和撫子で何というか…お似合いのような感じだったけど…。
俺の疑問を何となく察したのか、桃矢は小さな声で答える。


「……今年の三月に、俺の方から解消を申し出た」
「…何故、ってのは、訊いて良いことか?」
「……彼女よりも守りたい人が出来た」


守りたい、ひと。
…あれ、ちょっと待って、何かそのフレーズ、最近聞いたような。
具体的に言うと、昨日。


──高校だけでなく、将来的にも、お前を守るつもりがあるとだけ、知っておいてほしい。


ま、さか。


「…俺、とか……」


冗談だよな、俺の勘違いだよな、と願いながら半笑いで尋ねると、桃矢は真剣な眼差しで、一瞬だけ口の端を上げただけで何も言わず。
受付に来る保護者達の挨拶へと戻って行った。
俺はそれに愕然とする。
うっそだろ、お前、それは、それって。


「どんっだけ、本気なんだよ…!?」


小声だけど、心情的には叫んでる。
婚約解消するほどに、俺を守りたいって。
桃矢は後継者ではないけど、長男だ。
それなりの責任とかがあるはずなのに。
三月って、生徒会の引き継ぎくらいだよな。
俺、ほんとに桃矢に何をした…!?


「……悠里は何も気にしなくて良い」
「いや、お前…」
「……姉さんたちも納得している。それに」


また保護者を見送って、桃矢は俺の方を向く。


「……さっきの言葉でおつりが来る」
「さっきの…って、あれは、ただの評価で」
「……それでも、憧れていると。ただその一言で、俺はもう報われている」


報われてるとか、報われないとか、そういうことじゃなくて。
…これは、いずれ桃矢としっかり話す必要がありそう。
本気で憧れているけれど、兄貴としてだし。
そういう俺の意図が伝わらない。
周りに人がいたんじゃ、素に近い状態で話すことも出来ない。


「…今度じっくり話するぞ、桃矢」
「……悠里が気にすることではないと…」
「するに決まってるだろうが」


何で当事者の俺が置いてきぼりなんだ。
はぁ、と小さく溜息を吐く。
…素、か。
最近は皆の助けもあって、昔よりは横暴な俺様をあまり演じてはいないけど。
智也も啓介も俊太も、花梨も桃矢も、皆、演技の俺にいろいろな感情を抱いてくれてる。
でもそれは、本当の俺じゃない。
分かってる、レイの助言があったとしても、演技をすると、そちらの方が皆がついてくると判断したのは俺だ。


「……」
「……少し、休憩するか?」
「いや、大丈夫だ」


あぁ、くそ。
あの時から、修学旅行から、ずっと。
自分がどうあるべきなのか、分からない。
自分がブレる。
それに振り回される周りの奴らに迷惑かけてる。
それでもこれは、自分で、見付けないと。
そんなことを考えていると、ふと。


「受付お疲れさん。はい、卒業生、チケット一枚」
「はい、お預かりしま…って、えっ!?」
「え、あ、うそ…!?」


受付の子達の驚く声が思考の中に入って来た。
ん、なんだ、どうした?
俺はゆっくりと、顔を上げる。
そして、目を見張った。
俺と二歳しか違わないのに、すごく大人で。
演技をすると決めた俺すら、尊敬の念を隠すことをしなかった。
数ヶ月前まで、ここにいるのが当たり前だった人。


「九条、先輩…!?」
「よっ、頑張ってるな、生徒会長!!」


明朗な笑顔、数ヶ月も会っていないなんて思わせない気軽な挨拶。
九条咲良。
伝説の前生徒会長が、そこにいた。


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