【柳原学園】

□第六章
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「身を隠したんですか? 俊太なら、余計なお喋りは止めたらどうですか、なんて言いそうですけど」
「…俺のこと正確に理解してもらえて光栄です。でもその時、俺も気になってたんです。松村会長、俺に感情的に言い返してきたことがなかったから」


そう、気になっていた。
今以上の毒舌を吐いても、悠里は感情的に俊太を怒鳴りつけようとはしなかったから。
それどころか、言葉を制しようと変な圧力すら掛けてきたことはなかった。


「そしたら松村会長、何て言ったと思います?」
「…なんでしょう?」
「『キレる要素がどこに?』だそうです」
「…なるほど」


智也は納得したように頷くが、当時の自分は意味が分からなかった。
あんな言い方をされて、何故『キレる要素がどこに?』なんて寝惚けたことを言えるのか。
そのまま息を潜めて話を聞いていた。
すると悠里はこう続けたのだ。


「『島崎は間違ったことを言っているわけじゃない。あの言い方は個性であって、俺が怒る要素じゃない』と」
「悠里らしい…」
「あの人は俺の言葉を、敵意として捉えていなかったんです」


確かに、松村会長が嫌いだから、毒舌を吐いていたわけではない。
庶務になるのが嫌だから、八つ当たりをしていたに過ぎないのだ。
俊太ははぁ、と机に突っ伏した。


「分かりますか、その時の俺の恥ずかしさ。俺のガキさを、あの人は全部受け入れたんです」
「悠里は寛容ですからね」
「今でこそそれは分かります。でもあの時は消えたくなるくらいに恥ずかしかった」


悠里は最初から、向き合っていたのだ。
八つ当たりしかしてこない、同じ生徒会役員である自分に。
それなのに自分は気付かず自分の役目から逃れられない苛立ちを、そんな相手にぶつけて。
なんという甘さ、なんという傲慢さ。
どちらが俺様かと、当時の俊太も頭を抱えた。


「…そこで俺は自覚したんです」
「…それは、受け入れてくれた悠里への、好意?」
「いいえ、あの人が嫌いだという感情です」


え、と。
智也は短い声を出した。
そんな智也にお構いなしに、俊太は顔を上げずにつらつらと語り出す。


「俺様っぽい所が嫌いです。なのに仕事に真面目な所も嫌いです」
「しゅ、俊太…?」
「鈍感な所も嫌いだし、時折見せる笑顔も嫌いです」
「…、それは…」
「涙も、弱さも見せようとしないあの人が嫌いです。頼ろうとしないあの人が、嫌いです」


智也はもう、何も言わない。
じっと、それを聞いている。


「工藤副会長から好意を受けるあの人が嫌いです。里中会計を甘やかすあの人が嫌いです。黒田書記に密かに憧れているあの人が嫌いです」
「……」
「そして何より。──俺を受け入れてくれたあの人が、嫌いです」


俊太も昔は、毒舌なんてものは口にしない、ごく普通の子どもだった。
しかし柳原入学前、ある少女に告白を受けたことで大騒動になったことがある。
俊太は島崎家の御曹司としての自覚があったため、勿論その告白は断った。
少女を傷付けないよう、オブラートに包んで。
するとどうしたことか、少女は自分の気持ちを受け入れてくれたと。
婚約関係にあるのだと声を大にして言いふらしたのだ。

人材発掘の企業である島崎家、人間関係、特に結婚については特に気を遣わなければならない。
なのに大ごとになってしまった。
その時は何とか騒ぎは収まり、事なきを得たのだが。
その時子どもながらに強く思ったのだ。
はっきり言わないと、伝わらないのだと。

柳原学園中等部に入学して、自分の言葉を偽ることをしなくなった俊太は、好かれることと嫌われること、両極端であった。
当然だ、明け透けな、相手を気遣うことのない言葉を投げかけられて傷付かない人間は少ない。
しかしそんな小さな人間関係の軋轢よりも、昔のような大きな軋轢を生むことを恐れたのだ。
俊太の、弱さだった。


「この口調は、俺の弱さです。俺の弱さを、よりにもよってあの人に、受け入れられた。屈辱です」
「……」
「嫌いなんです、嫌いなんです、本当に…嫌いな、はずなんです」


そう言って黙ってしまった俊太を、智也はじっと静かに見詰める。
そしてすぅ、と一息吸って、にっこりと、笑った。


「俊太は逃げてばかりですね」
「は…?」


智也から出た予想外の言葉に、思わず俊太は顔を上げる。
すると目の前に、見たこともないくらいの笑顔が広がっていた。
変な悪寒が背筋を走り、俊太は咄嗟に身体を少し仰け反らせる。


「今の俊太は、悠里が心惹かれる相手が出来て、傷付きたくないから嫌いと自分に言い聞かせておこう、という状態ですよね」
「な…っ」
「私には。…先程の嫌いだという言葉。私には、…ただただ、好きだと叫んでいるようにしか聞こえなかった」


俺様っぽい所が好きだ。
なのに仕事に真面目な所も好き。
鈍感な所も好きだし、時折見せる笑顔も好き。
好きだから、弱味を見せてほしい。
好きだから、頼ってほしい。
好きだから、他の役員を構うと嫉妬する。
そして何より。
──俺を受け入れてくれたあの人が、好きです。


「…きっと、俊太自身は分かっているんでしょう。ただ、好きだと口にするのが恐ろしいだけで」
「……」
「…私だって、恐ろしかった。好きだと伝えることは」


智也は微かに眉根を寄せて、胸に手を当てる。


「私だけではなく、大なり小なり柳原の生徒は家を背負っています。恋愛は簡単ではありません」
「……」
「その上私たちは生徒会役員。抱える親衛隊も大規模です」


そして何より、と智也は仮眠室と、目の前の俊太を見た。


「誰も好意を伝えなかった中で、私だけが伝えることが、恐ろしかった」
「…そんなの、俺らは…」
「私は今の生徒会が好きです。貴方達が大切です。友人だと、思っています」


友人すら簡単に手に入らないこの柳原で、そう思える相手が出来たのは、とても幸運なことだと思う。
だからこそ。


「私が伝えれば、どう関係性が変わるのか。怖かった。でも、…伝えずにはいられなかった」
「…何故、ですか。そんな怖かったのに、何で…」
「悠里が好きで、好きで、…叫びたいくらい、愛してしまったからです」


智也はふっ、と。
年相応に照れたように笑った。


「貴方の言葉、まるで私の叫びを聞いているようでした」
「……」
「私は啓介のように、悠里にどうこうしろ、とは言いません。でも、その叫びを、俊太自身が受け入れてあげて下さい」


智也はうっすらと涙の膜を張る俊太の目元を、そっと撫でた。


「せっかく私たちはこの柳原学園で、得難い感情を、抱くことが出来たんですから」


大事にしてあげて下さい、と。
智也はそう告げた。


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