【柳原学園】

□第五章
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(智也side)



「悠里、起きていますか?」


祭りから帰り興奮の醒め止まらぬ中語り合い、夜も更けた頃に各々自室へと戻った。
しかし私はその後笠松さんに許可を貰い、キッチンをお借りしてあることをした。
準備が出来てから、私は静かに悠里の部屋の前へ行き扉を叩く。
反応がなければ戻ろうと決めていたけれど、直ぐに扉が開き中から悠里が出て来た。
既に部屋着に着替えており、いつもの学園での恰好とはまた違った無防備さがある。


「どうした、智也」
「すみません、遅くに。少し時間、宜しいですか?」
「? あぁ、良いぜ」


中に入るか? という申し出に、私が苦笑を漏らすと悠里は小さく首を傾げる。
とても魅力的な申し出ではありますけどね。


「悠里、貴方は自分に好意を持っている者と夜に、自室で、二人きりになろうとするんですか?」
「…あ」
「忘れていたのか私がそんなことをするはずがないと思っているのかは分かりませんが、もう少し警戒心を持って下さい」


ついて来て下さい、と続けて言うと、悠里は申し訳なさそうな表情を浮かべて首を押さえていた。
無防備な所も愛らしく魅力的ではあるけれど、他の者たちにもこうだと気が気ではないんですよ。
キッチンに着き、ここに座っていて下さいと告げると、悠里は首を傾げながらも素直に椅子に座った。
そして私は準備していたティーセットをテーブルの上に置く。


「…紅茶?」
「えぇ。貴方に飲んでほしくて」
「俺に?」


はい、と頷くと悠里は私の意図を測りかねているように少し眉根を寄せる。
しかし私が何も言う気がないのを悟ると、悠里も何も言わずに私が紅茶をティーカップに淹れる様子を眺めていた。
ふわりと、白い湯気がティーカップから立ち上ると同時に香りが鼻腔を擽る。


「どうぞ、飲んでみて下さい」
「お、おぅ」


悠里はティーカップを手に取り、それを口許に持っていく。
すん、と悠里は香って目を二度瞬かせた。
しかし何も言わずに静かに、上品に飲む。
こくりと喉仏が上下する様を、私はテーブルの角を挟んで座って見ていた。
ティーカップを口許から離した悠里は、ほっと息をつく。
それから少し間を置いて、口を開いた。


「これ、最初アールグレイかと思ったけど、違うな。柑橘系の香りがする」
「流石ですね。これはレディグレイという紅茶で、アールグレイにオレンジピールとレモンピールが加えられているんです」
「へぇ、道理でいつものより爽やかな感じがすると思った」


これも好きだ、という悠里の表情は穏やかだ。
二人きりで、穏やかな悠里と紅茶を飲む。
まるで──私が想いを告げた、あの日のようだ。
そんな想いを余所に、悠里は「で?」と問い掛けてくる。


「急にどうしたんだ?」
「いえ…ただ、悠里の疲れを癒したかったんです」
「疲れを癒す?」


ゆるやかに立ち上る白い湯気を通して、あの日を想う。
定期試験で勝った私が、本当の貴方と話したいと願ったあの日。
悠里は、叶えてくれた。
私を、認めてくれた。


「今日が懇談合宿最終日ですが、どうでしたか?」
「え、あ…まぁ、有意義? だった、と、思う」
「楽しかったですか?」
「たっ…」


楽しかった、なんて。
"俺様生徒会長の松村悠里"は、絶対に言わない。
その証拠に、悠里は有意義なんて言葉で誤魔化した。
でも、ずっと見ていれば分かるんですよ。
貴方が楽しかったと、心から思っていたことは。
私が静かに悠里の言葉を待っていると、悠里は目を少し泳がせた後、俯いて。


「た…のし、かった」


小さな声で、そう言った。
それを聞いて、私は笑みを深める。
その言葉が聞きたかった。
貴方の本音が、聞きたかった。


「…懇談合宿前に、思ったんです」
「…、何をだ?」
「この期間、周囲に常に私達学校の…所謂麗斗君や笠松さんのような近親者ではない人間が居ることになる、悠里の疲労は幾ばくか、と」
「…っ!」


直接的なことは言っていないけれど、悠里はそれだけで察したようで。
悠里は本当の自分を隠している、これは私と悠里の共通認識だった。
まぁ、他にも知っている方は居そうですが。
それを踏まえて、私は思った。
偽りの、"俺様生徒会長の松村悠里"を演じ続ける悠里のことを。
しかもここは悠里の暮らしていた場所、所謂プライベート。
学園での生活よりもその労は大きくなるだろうと。


「お前…そんな、ことを…」
「悠里を楽しませるのは、他の者にも任せられます。でも、──貴方の拠り所になるのは、私で居たい」
「……っ」


この家で楽しませるのは、啓介や桃矢、俊太に任せた。
大人としての役割は、夏希先生に。
学友として勉強を教えるという、普段の学園生活ではないようなことは副委員長に。
そして波から守るのは、委員長に。


「……でも…」
「智也…?」


…本音を言えば、あの役割も私がしたかったという思いは、ある。
海で、私と俊太と桃矢は泳がず、砂浜や少し切り立った崖等を歩いていた。
その崖の上で、目にした。
突如大きな波に悠里が襲われ──委員長に抱き締められて守られていたのを。
その時の感情は、決して清らかなものではなく。
桃矢はともかく、隣の俊太を見ればまるで私自身を見ているようだった。
ありありと浮かぶ、──嫉妬の色。
チリ…と胸を焦がすものが込み上げ、それを散らすように目を閉じ息を吐く。
私は決めたのだから、あの日に。
悠里を友人として、副会長として、…男として、支えるのだと。


「…貴方が疲れたと思った時、思い出してもらえるような存在になりたいと、私は思っているんです」
「それは…」
「分かっています。学園には麗斗君が居る。夏希先生や志春先生のような大人や、花梨先輩のような親衛隊もいる。でも、私は…」
「ちょ…ちょっと待て、智也」
「っ、悠里?」


がしっ、と腕を取られて目を瞬かせる。
悠里は何故か、焦ったような、…どこか泣きそうな表情をしていた。


「お前、前も言ったけど…何でそんな自己評価低いんだ」
「…はい?」
「俺…俺の、せいか。…俺のせいだろうな」
「悠里? 何が…」
「智也」


真っ直ぐに、悠里は私の目を見る。
そこにはただ守られるだけではない、強い光が宿っていた。


「お前は充分、俺の拠り所になってる」
「え…?」
「疲れたと思った時に俺の好みの紅茶を出してくれるし、会長の仕事もお前のサポートあってこそだ」
「…私、悠里を支えられてたんですか?」
「支えてもらってる、充分なほどに」


だからもっと、自信を持ってくれ、なんて。
まるで懇願するように悠里は告げる。
じわじわ、じわじわと。
先ほどの胸を焦がすものは霧散し、代わりに温かいものが広がる。


「悠里」
「何だ」
「好きです」
「…は!? 今そんな話の流れだったか!?」


腕が離れると同時に赤に染まる顔。
あぁ、ただただ貴方が愛しい。


「好きです」
「だから…っ」
「すきです、悠里」
「…智也?」
「…すきです」


薄々、分かっていた。
私の気持ちが報われることはないだろうと。
だけど、それでも。
貴方を求める欲は、溢れ出るばかりで。

──悠里を、私のものにしたい。

癒したい、本当の気持ち。
支えたい、これも本当。
だけど、これらに誤魔化しきれないほどの欲が、時折頭をもたげる。
そんな想いをもう一度、好きですという言葉に乗せた。
情けなくも、声は震えていて。
悠里があたふたと焦っているのが分かった。
その様子に、少し毒気を抜かれる。
可愛い。
駄目ですね、こんなことじゃ悠里を支えられない。
顔を上げて、すみませんと謝ろうとした。


「ゆ…」
「あの、な」
「あ、はい」
「…なんつーか、俺、これでも、お前には、す、素直、なつもりなんだよ、これでも」


これでも、と頬を掻きながら悠里は二度言う。
まぁ、確かに、あのガーデニングハウスでの一件以来そう感じてはいた。
でも悠里がそう言う真意が分からず、私は黙って先を促す。
すると悠里は、いつもの自信ありげな様子を潜め窺うように少し首を傾げて口を開いた。


「一応、ここまで素直に話すのお前だけなんだけど…それじゃ、ダメか…?」


この時、真っ先に思ったことは。
…悠里の部屋で二人きりではなくて良かったという、少し前の自分への惜しみない称賛だった。
込み上げるものを抑える為に、肘をテーブルについて指を組み、その上に額を乗せる。
可愛い、何なんですかこの生き物。
懇談合宿で己を偽り続けて来た反動が今来ましたと言わんばかりの素直さ。
ふぅー…と長い息を吐く。
もし、これを二人きりの時に言われたら…確実に押し倒していた。
良かった、悠里を傷付けずに済んだ。
──悠里の信頼を、失わずに済んだ。


「と、智也?」
「…悠里、すみません」
「な、何が」
「貴方の私への信頼を見くびっていたこと…と」
「…と?」
「これからのことを謝っておきます、すみません」
「…は、おい、智也、どういう意味だ? おい、智也」


にこりという笑みを浮かべ、言うつもりがないことを示すと、悠里はひくりと口元を引き攣らせる。
今まで、他の者…生徒会役員や風紀の前で私は副会長としてしか悠里に接してこなかった。
公私混同をしないように、努めていた。
でも、この想いは留まることを知らず。
これから皆の前でもうっかり気持ちを告げてしまいそうです。
悠里は追及することを諦めたようで、しかし私が前向きになった雰囲気を感じたのかどこか安堵した様子だった。
ティーセットを片付けてから、悠里を部屋に送る。


「紅茶…レディグレイ、美味しかった」
「良かったです」
「昼前には学園に戻るからな、早く寝ろよ」
「あ、悠里」


扉を閉めようとした悠里を、最後に呼び止める。
何だ? と扉をまた少し開けて私の方を見る。
そんな悠里に、私は告げた。


「花言葉があるように、あのレディグレイにも、実は意味があるんです」
「意味?」
「──『たった一人の貴方へ』」


そうして私は、ほんの少し背伸びをして。
悠里の額に、口付けた。


「私の、たった一人の悠里。よい夢を」


そうして私は、自室へと戻った。
扉を閉めて、くすりと肩を震わせる。
少し呆けた顔をした後に、これでもかと言う程真っ赤になった。
可愛い、愛しい、私にとってただ一人の尊い存在。


「──おやすみなさい」


私も良い夢が見れそうだと、世界を瞼で覆う。
こうして懇談合宿の最後の夜は、ゆっくりと更けて行った。




◇◆◇第五章 完◇◆◇
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