【柳原学園中等部】

□第三章
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どうしようかなー、と。
綾部は地面に座り壁を背に、青空を見上げた。

先日入学式、そして新入生歓迎会の立食パーティーが終わり、最初の定期試験を目前に控えた日。
中等部からの習慣で自主的に外の見回りをしていた綾部は、校舎の壁を背に蹲っている生徒を見付けた。
具合が悪く立てないのか、とその生徒に声を掛けようとした直前、その生徒が背にしている校舎の中から声がしたのだ。
具合が悪いなら保健室に来るか寮に帰れ、と。
低く艶のあるその声に、綾部は反射的に校舎の曲がり角に身を隠す。
生徒はピクッと肩を揺らすが、蹲りながらも首を振った。


「具合は…悪くない。ただ、不安、で」
「不安だァ?」


不安だと溢す生徒の声は聞き覚えがあるような気がするが、蹲っているため顔が見えずくぐもって聞こえる。
綾部は意図せず盗み聞きのような状況に苦笑するが、ここで動いて音でも立てればこの生徒はその不安を吐露出来ないかもしれない。
どうしようかなー、と曲がり角に座り込み青空を見上げ、綾部は生徒に申し訳なく思いながら動かないことを選択する。
曲がり角に身を隠す綾部、蹲り顔が見えない生徒、校舎の中から声だけがする人物。
奇妙な状況だからか、逆に生徒は不安を口にすることが出来ているようだ。


「今度、高等部に上がって初めての試験がある」
「…あァ、中等部までの学力を見る試験だろ? 何が不安なんだあんなの」
「もし、もし、…低い点数を取ってしまったらどうしよう、って…」
「はァ?」


綾部の心の声と重なった。
初めての試験ということは、この生徒は自分と同じ一年なのだろう。
その初めての試験が不安でこんな落ち込みまくった声を出しているのか。
真面目な生徒なんだろうなー、と綾部は後頭部を壁に付けて、たはー、と静かに笑う。
ちなみに綾部は中等部に上がるまでは賞を貰うほど優秀であったが、中等部から今まで全く勉強をしてこなかったため今や見る影なく。
赤点回避するかどうか、まで学力は低下していた。
そんな綾部は今度の試験も全くプレッシャーに感じていない。
上を目指していないからだ。
しかしきっとこの生徒は。


「低い点数って、お前は馬鹿なのか? 諦めろ」
「ちょ、直球過ぎる…頭、悪い方ではない、と思う、んだけど…」
「じゃァ、勉強不足か? 勉強しろ」
「勉強はこれでも凄くやってる、つもり」
「自信がねェだけか。寝て起きて飯食って試験受けろ」


ぶっきらぼうな言い方だが、助言が的確だ。
一体この声の主は誰なのか興味が湧いてきた一方で、生徒は尚も顔を上げない。


「それは、そうなんだけど…もし満点取れなかったら…」
「満点だァ? 別に取れなくても中等部に送り返すなんてこたァしねェよ」


満点を取るつもりなのか、この生徒は。
綾部も声の主も赤点、高くても目標80点くらいのイメージでいたのだが、そういう話ではなかったらしい。
満点なんて、取る方が稀だ。
正解が一つしかないものならばまだしも、出題者や採点者の裁量で正誤が決まるものもある。
少しのニュアンス違いでバツになったり、キーワードが全部入っているだけでマルになったり。
そんな中で満点を取ることを目標に。


「…満点を取れなかったら、目標を達するのに支障が出るかもしれない」
「目標?」
「目標を達せられなかったら、俺は、俺は…見限られるかも…アイツを護れない…それだけは…」


声が震えている。
見限られる、その感情には覚えがあった。
優秀であろうとした自分。
認められようとした自分。
全ては、両親に、家族に見限られたくなくて、愛されたくて。
結局は家族でもなんでもなかったと発覚して全てを諦め、今に至るわけだが。
それと同じような葛藤をしているのだろうか、この生徒は。
声の主も何を思ったのか、沈黙している。
暫く誰も声を発さず、そよそよと春の風が漂って。


「おい」
「ぅわっ?!」
「これやる」


突然それを破るように、ガララッと荒く窓が開いた音が響き、再びピシャンと窓が閉まった。
何が起こったのか曲がり角に身を隠す綾部に詳しくは分からなかったが、声の主が窓を開けて生徒に何かを渡した後、再び窓を閉めたのだろう。


「な、何だこれ…か、髪ゴム?」
「弟から貰った、姉貴がデザインした髪ゴム」
「え、えぇ…? そんな、家族からのプレゼントなんか貰えない」
「姉貴が失敗作として弟に回して、弟も要らねェっつって俺に回ってきただけだ」


まァ、弟は結んだら生徒にからかわれたっつってたがなァ、と独り言のように呟く声の主。
その生徒はその髪ゴムを眺めながら、疑問を口にする。


「でも、どうして俺に?」
「お前、そんなボサッとした髪で俯いてっから自信も無くなるんだよ。それで髪でも結んで顔上げて、堂々としてるんだなァ」


そう一方的に伝えて、声が聞こえなくなった。
声の主は窓から離れたようだ。
そこに残されたのは、髪ゴムを眺めて唖然とする生徒と、尚も動かず、強引な人だったなーと声の主に苦笑する綾部。
綾部はソッと、曲がり角から生徒の姿を覗き見た。
その生徒は座り込んで入るものの髪ゴムを手に顔を上げている。
しかし髪が垂れていて、横からではその顔を拝むことは出来なかった。
やがてその生徒は立ち上がる。


「髪を結んで、顔を上げて、堂々と…」


単純な助言ではある。
しかし、形から入るのも、古来から為されてきたことだ。
先ほどの会話で何かを得たのか、それとも取り敢えず言われた通りにしようとしたのか。


「…よし!」


そう気合いを入れるようにその生徒は立ち上がり、貰った髪ゴムで、髪を結び出した。
その生徒が選んだヘアスタイルは、ハーフアップ。
ぱちん、と、髪を結んで、腕を下ろした。
髪が結ばれたことで、横からでもその顔が見えて。
目を、見開いた。


「取り敢えず試験範囲の見直しをして、睡眠をしっかり取ろう。顔を上げて…堂々と」


ぐ、と拳を握り締めてその場を去った生徒の気配が完全になくなった所で。
綾部は曲がり角から姿を現し、呆然とその生徒が去って行った方を見詰めた。
不安だとこぼしていた。
最初の試験で満点を取れないかもしれないと。
震えた声で、蹲って。
そんな姿、知らない。
そんな言葉、知らない。
だってお前はいつも、自信満々で、胸を張っていて。
何様だと思うくらいに傲慢で、俺様で。
いつだって、余裕そうに、笑っていたのに。


「……松村、悠里………」


さっきのやり取りは夢か?
あんな、あんな、どこにでもいるような不安を抱えた生徒が。
あの、松村悠里?
なんなんだ、これは。
誰なんだ、アイツは。


困惑と混乱のまま迎えた最初の試験。
松村悠里は見事満点で一番を取り、取り巻きから褒め称えられ。
自信満々に堂々とした笑みを浮かべ囲まれている悠里とすれ違った、高等部養護教諭の柿崎志春が。
悠里のハーフアップを飾る髪ゴムを見て振り返り、足を止めた姿を。
綾部だけが、目に留めていた。


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