【柳原学園中等部】

□第二章
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「今日は、どうするかな」


いつものように街に下りた綾部は、空を見上げた。
既に夕方になっており、昼間よりも気温が下がっている。
肌寒いと思い出す、本当の母親とその新しい家族。
自分が異物であるとまざまざと見せ付けられた日。
その帰りに買ったパーカーを手放すのは気が進まなかったが、逆に考えれば、手放すことで一年前の絶望を忘れられるかもしれない。


「新しい服でも調達するか」


喧嘩を売っても良いが、今日は買い出しということにしよう。
どこの服屋に入ろうか、と周りを見渡して、ふと違和感を覚えた。
……なんだ、この感じは。


「…視線、が…?」


違和感の正体、それはいつもなら直ぐに逸らされる視線が、いっときの間、綾部に留まっていること。
それから逸らされるものの、何か気まずさのような、心配そうな。
綾部を見た後、視線をどこか一つの方向に向けているような。


「……おい」
「なっ、なんだよ…ガン付けてねぇよ…」


綾部は直ぐさま一人の男に声を掛ける。
黒のパーカーに金髪、その男は当然その声の主が綾部、黒揚羽だと知っているようで。
話し掛けた途端腰が引けている。
しかしそれを気にすることなく綾部はその男に問う。


「何故、皆今日は俺を気にする?」
「さ、さぁ…」
「……俺は、族しか襲わねぇわけじゃないからな」


言わなければ、一人ビビっているお前にだって喧嘩を売るぞと言外に脅すと、男はひっと短い悲鳴を上げた。


「お、お前、黒揚羽だろ」
「だったら何だ」
「最近、あの黒揚羽にはオンナがいるって噂になってて」
「……オンナ?」


オンナ、女。
そう言われて思い浮かぶのは、あの顔だけだった。
ザッ、と。
嫌な予感が駆け巡る。


「オンナなんていない」
「関係の真偽はし、知らねぇけど、お前がよくホテルに行く女がいるのは何人も目にしてる」
「……ッ」
「恋人だろうがセフレだろうが、関係ねぇ。あいつらにとって、黒揚羽のお気に入りがいるってのが重要で…」
「……あいつに何をした!」
「ヒイッ、お、俺じゃねぇ! ただ、最近水面下で力付けてきた族のやつが何人か、その女捜してて…昼過ぎに、あっちの方に……痛てっ!」


綾部は胸倉を掴んでいたその男を投げ捨て、示された方に駆け出した。
心臓が、嫌な音を立てる。
頭が冷えているような、この上なく沸騰しているような。
まるで、父親の書斎から、父親と自分と本当の母親の写真を見付けてしまった時のような、後戻りできない感覚。
止めろ、止めろ、止めろ、止めてくれ。
どうか、どうか杞憂で、あってくれ。

走り続けていると、視界の奥の廃工場から、何人かの男たちが出ていく姿が見えた。
遠目から見てもニヤニヤと上機嫌そうな男たちは、綾部に気付くことなくその場を去っていく。
綾部は壊れそうなほどの音を立てている心臓を無視して、その廃工場に駆け込んだ。


「おい! 誰かいるか?!」


肩で息をしながら、数年振りの大声を出す。
はぁ、はぁ、と自分の呼吸音が嫌に耳に響く中、廃工場を探し歩き。
物資が入っていたであろう大きな複数の箱に囲まれた場所に。
服が破かれ一糸纏わぬ、傷だらけになった、女が。


「──ッおい!」


倒れた女の上半身を抱き上げる。
血液と、白く濁した液体にまみれたその身体で、綾部はここで何があったかを全て察する。
ペチペチと大声で呼びながら頬を何度か叩いた。


「……ぅ……」
「! 意識はある…っ」


少しホッとした声で、再度女に声を掛ける。
まるで死人のように真っ白な顔をしている女は、ゆっくり、薄く、目を開けた。


「ぁ……きん…ぱつ、く……」
「喋るな、待ってろ、今すぐ救急車を……」
「へ、へへ…なんか…必死、だねー」
「当たり前だろ…!」
「やさしい、ね、優しいね、やっぱり…優しいね…」
「こんな時に何言って…」
「…な、んでなんだろ……」


ボロボロになりながらも笑みを無理に浮かべていたが、突然掠れた小さな声に変わり、綾部は取り出したスマホの手を思わず止める。
女は焦点の合わない瞳でどこかを見詰めていた。


「なんで、だろ…なんで私、こうなんだろ…なんでこんな上手くいかないんだろ、…なんで、わたし、こんな風になっちゃったんだろう…」
「おい…っ」
「わかんないの、クロ、アゲハ、がどうとかって、そんなの、しらないのに」
「……ッ!!」


クロアゲハ。
その名前に、己の二つ名に息を詰める。
女の、キラキラしていたはずの瞳は光を灯さず。
真っ暗にどこかを見詰めて。
つ…、と。
涙が溢れる。


「期待されたく、なくて、こんなこと始めたけど、それって、そんな、わるいこと? 私、が、わたし」


そして一瞬、その視線は綾部を捉え。


「わたし、そんなに、わるい子、だったのかなぁ……?」
「────ッ」


すっ、と、再びゆっくり目蓋が閉じる。
息はしているが、気絶したようだ。
綾部は数瞬動かなかったが、静かにスマホから救急車を呼ぶ。
通話を切って、綾部はパーカーを脱ぎ女の身体に掛けてやる。


「……直ぐに救急車来るから」
「………」
「……ごめ、…………」


ごめん、と最後まで言うことなく、綾部は唇を噛み締める。
謝る資格なんてない。
ふと、目の端に白い紙切れが映る。
何となくその紙を拾って、中を見て。
は、と、乾いた笑いを出した。


「……こんなのが宝物なんて、…馬鹿な女」


先日綾部が描いたデザイン画。
キラキラ瞳に散っていた星は、もう見えない。
綾部は紙を女の傍に置き、立ち上がる。


「またな、なんてのはもう言わない。…さよならだ」


綾部は誰も聞いていない空間にそう残し、廃工場をあとにする。
黒揚羽の象徴であるパーカーを来ていない綾部だったが、声を掛ける者はいなかった。
寒くなってきたこの時期に、黒のTシャツ一枚というある意味目立つ服装だったが、視線を向けた者は直ぐに逸らす。
その顔が、表情が。
その全身が。
怒りという簡単な言葉では片付けられない程に。



廃工場から出てきたニヤけ面を、絶対に、絶対に、忘れるものか。


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